6狂気
永田は、指令室に降りてきたアクトレスを見て、
「良い訓練だったようだな」
と、声をかけた。
アクトレスは世界的に名の通った影繰りであり、同時に悪名も高い狂気の影繰りでもある。
気に入った若い男を殺すまで付け回したり、パートナーにして殺してしまったりしている。
今回、アクトレスを小田切誠の教官に付けたのも、無理に引き離しておかしくするより、自分が注意して見ていようと思っての配置だった。
それが功を奏したのか、暴走しがちなアクトレスの行動は、ピタリ、と止まっている。
自制心を持って仕事にも当たっているようだ。
少々手癖が悪いのは、昭和の匂いを知っている影繰りには珍しくはない。
昔はこんな奴らばっかりだったのだ。
が、今日は朝から空気が違っていた。
おそらく、試す気になっているのだろう、と思った。
あと1時間長引いたら、さすがに止めようか、と思ったが、小田切誠は無事、個室から無傷で帰還した。
そしてシャワーを浴びて上がってきたアクトレスからは、今朝方感じたような殺気にも似た空気はきれいに消えていた。
「ああ。
あの子は物になるようだ、首切り。
多分例の神って奴、誠に移っているかもしれない…」
永田は唸った。
「その話、本当なのかよ。
影繰りの中に神が入り込むことがある、なんてお伽話みたいに聴こえるぜ、さすがに」
「そういうは何度か会ったことがある、ブルーマンって影繰りは、幽霊船そのものを操っていたよ。
ああゆうのは、影繰りから影繰りに、乗り移って永遠の命を繋いでいるんだ。
あの子はヒュノプスを宿してるよ。
そして、今日それを接続してきた。
あれは化けるさ」
ククク、とアクトレスは噛みしめるように笑った。
精神の方は完全に回復した、という訳ではないようだ。
その昔、彼女は実の弟と、コンビを組んで仕事をしていた。
おそらく、彼女の黄金期と言っても良い充実した時期だろう。
その時期、アクトレスは内調の影繰りであって、まさにトップとして君臨していたのだが、事故で弟を亡くす事になった。
弟さんを亡くした後、数年を彼女は内調で過ごしており、一人で、コンビだった頃と同じだけの仕事をこなしていたが、やがてフラリと海外に消えた。
消えること自体は珍しい事ではない。
一流の影繰りは、どこへ行っても歓迎されるし、公務員よりはフリーランスの方が手取りは桁違いに良い。
情報を盗んだとか、トラブルを起こしたとか、そう言うことは一切なかったという。
ただし、海外へ出てから、彼女には戦場のブラックドックの綽名がつき、またアクトレスと言う二つ名も持つようになった。
女優のように変貌する、と言う意味らしいが、影繰りの実態は、中々判らないことが多い。
アクトレスクラスの影繰りと敵対した相手が生きて帰る、こと自体殆どないし、まして現場が戦場では生き死には日常の範囲内だ。
ただ実際に戦った永田が見たところ、アクトレスは、より過剰に、カラスや猫に変身できるように、契約を変更し続けているのではないか…。
そんな気が、永田にはした。
影繰りは、己の影と、出会ったときに契約をする。
それを日本では古来から指切り、と言った。
心臓を測る、という国もあり、魂を売る、という地域もある。
いずれにしろ、この影と言う妖怪とも悪魔とも、潜在意識ともいう怪物との契約は過酷であり、履行は絶対だった。
普通は、契約の変更、と言うのはまず出来ない。
ただ訓練により、永田のバリアーなら、棘を出す、とか壁を作る、など創意工夫によりマイナーチェンジは可能だ。
だが、元は黒い犬だか狼だかだったものを、小さな猫にしたり、空飛ぶカラスにしたり、はとてもマイナーチェンジとは呼べない大工事だ。
影くりと影とは、出会って契約を交わすときに、一度だけまみえるものだが、再契約が出来る、と伝える話も風の噂に聞いたことはある。
だが、それはとてつもない代償を払うはずのものだ。
ただの怪談かもしれない与太話では、自分の子供を売ったとか、片手を差し出した、とか言われていた。
多分はアクトレスも…。
それは薄っすらと永田も感じていた。
彼女からは、どこか、そういう狂気を感じるのだ。
むろん、噂がそう感じさせるのかもしれない。
彼女と組んだパートナー、特に彼女が気に入って育てた年若い男は、度々命を失うという。
また、敵対者としても、彼女は特定の男にこだわって、追いかけて、安い仕事や怪しい国家、組織の仕事でも好んで引き受け、それは狙われた男が死ぬまで続く、といった事象が面白おかしく語られる。
病んでいる…。
そう、この業界では評判になっていた。
ただし永田が思うには、病まない影繰り、などは本当のところ、いるのだろうか?
小金井のように、戦いの場に出ない、と自分も言い、職場でも出さない、と考えていたとしても、12月のような事態になれば戦わなければならないのが影繰りなのだ。
永田だって、未だに戦場の夢を見る。
夜中に、平和な八王子で焼夷弾の音を聞いて跳び起きる事もある。
駅のホームで、不意にM16機関銃を頭に突き付けられた時の記憶が蘇る事もある。
拉致されて、死んでもおかしくない量の自白剤を打たれて一週間、記憶が飛んでいる時期が永田にあったが、時折、それを思い出すことがあった。
それは地上の風景ではない。
見ただけで頭がおかしくなるような生き物が、行列を成して蠢く世界だ。
と、言っても、現在の永田はそれを全く思い出さないし、思い出そうとも思っていない。
だが何かの拍子に、大汗を掻いて跳び起きるときがある。
あれ、を見たのだ、と、それだけは判る…。
永田も影繰りとして散々ヤンチャをした来た方だが、アクトレスは内調を出てからこの方、戦場だけを駆け抜けた、と言って良い。
体は生きていたとしても、心の奥底では、とうに死んでいる部分もあるのは、どの影繰りも同じなのではないのか、と永田は思った。
「体を休ませろ、と言っただろう!
何をフラフラ遊び歩いているんだい、お前は!」
どぎつく声を荒げるアクトレスの声を聴いて、永田は回想から帰還した。
品川駅の爆発事故のあおりで浜松町の列車運休に巻き込まれ、レディやカブトと一緒に、小田切誠が本部に戻ってきたのだった。