4地下訓練場
内調本部は芝離宮の地下に作られている。
誠は、レディ、カブトの春川兄弟と共に芝離宮に隣接する雑居ビルの薄暗い出口から出た。
2階に、山田トレーニングジムと書かれた、数十年前の看板がかかっている。
誠たちはここに通っていることになっているのだ。
「ねぇ順平。
ちょっと桜庭学園を見て行かない?」
カブトは、自分より小さい兄のレディに背後から乗っかるように肩を回して甘えた声を出す。
なるほど、レディの言うように、昨年末に戦ったカブトとは別人のようだった。
彼が演技でそうなっているのか、開頭手術の影響なのかは詳しくテストをされ、心を見られる青山の影によっても調べられていた。
結果は嘘や演技の可能性は無い、との事らしかった。
色々なストレスの影響で、微妙に幼児退行の兆候が見られるが、傷の回復と共に癒されていくだろう、という。
だから、大きなストレスになりそうな、自分がレディと敵対し内調にも大きな被害を与えていた、という風なことは当面、気づかせないようにしよう、という判断がくだされたのだ。
レディは、背中にカブトを乗せたまま、当人には判らないように誠に事情を説明した。
「ん、なんで今から?
もう8時になるぞ」
「だって誠だって初めてだろ?」
振られて誠は、
「ああ、そうだね、一応合格発表の日に校庭までは入っているけど…」
「誠は明日から、毎日春休みだから何時になってもいいんだろうけど、俺は明日も学校なんだぞ」
「だって順平。
僕だって仕事仕事で、中学にほとんど行ってないから、小等部しか知らないんだよ。
道に迷ったらどうするの?」
「新入生は、皆同じだろ。
高校から入る誠みたいな奴だっているんだから、なにも問題は無いだろ?」
「トレーニング場を誠に見せたいんだよ。
誠は行った事無いでしょ?」
内調のトレーニング場で訓練するのは影に目覚めて職員になった者だけだった。
小中高の学生は、桜庭学園内のトレーニング場でトレーニングするのだ。
そこはカブトの記憶でも鮮明に残っている懐かしい場所だった。
「誠には関係ない場所だろ。
まぁ構わないか、長い春休みなんだからな。
でも、だいぶ新しくなったらしいから、そんなに懐かしい感じはしないかもしれないぞ」
とレディは、カブトの頭を撫でて浜松町の駅を通り過ぎる。
桜庭学園は、第一京浜、誠的には大門駅を通る浅草線、大江戸線の少し新橋寄りに進んだところにある、歴史ある学校だった。
錬鉄製の門は閉まっていたが、3人は影繰りだった。
カブトは2メートル何十センチかある門を、ちょっと手をかけ飛び越えてしまう。
さすがの運動能力だった。
レディは溜息をついて、振り子を出す。
破壊するつもりなのか、と誠は慌てたが、振り子は小さくも出来るらしい。
ひょい、と錬鉄の先の侵入防止の尖った部分に固定すると、ひょい、と飛び越えた。
2人は、笑顔で誠を見ている。
はぁ、と溜息をつき、誠は門を透過した。
「さすがに不法侵入で怒られるんじゃないんですか?」
誠は微かにビビりながら言うが、レディは。
「いや、誠や恭平の同級生は、まだ必死にトレーニングしているよ。
もしも4月に影繰りになれなかったら自動的に1組だ。
もし目覚めさえすれば他のクラスになれるんだからな。
1組は、影繰りクラスで、他の普通科とは別な、嫌な授業が沢山あるんだ」
「嫌な授業ですか?」
「そーそー。
検査をしたり、影判定って言って、痛くされたりするんだ」
カブトも話す。
「影判定で痛くするんですか?」
「ほら、誠も確か、襲われたか何かしたんだろ。
そういう、ショックを与えて目覚めを促す、って言うんだけど、やられる方はあんまり面白くは無い訳だ」
誠も高円寺駅で殺人犯に襲われたことを思い出した。
「確かに、ちょっと嫌そうですね…」
「電気を流されたり、急に針を刺されたり、酷いんだよ」
カブトは憤慨して言った。
3人は校舎を回り込んで体育館に続く渡り廊下を横切って、その奥にある、小さな木造建築に向かう。
「なんか、出そうな雰囲気ですね…」
誠は、そう言うものは好きではなかった。
「まぁ、ほら、こういう恐ろしげな場所はあまり近づかないだろ。
都合が良い訳さ」
「旧校舎。
本当におバケが出るんだよ」
カブトはくすくす笑った。
「影繰りが、興味本位で立ち入った子供を本気で脅かすんだ」
「悪趣味だな…」
微かに、誠の声が震えていた。
「最近は、黒猫やカラスのお化けが出るらしいぜ」
クスクスとレディは笑った。
アクトレス教官か井口さんだろうか。
「まぁ、黒い蝶が飛び始めたら、死人が出ますからね…」
げんなりと誠は呟く。
旧校舎には全く光りが無かったが、影繰りである誠たちには闇は何の障害でもない。
ずんずんと真っ暗な校舎の廊下を歩いていった。
幾つか教室らしい部屋を超えると、分厚い木製の扉があった。
ドアノブが無く、場違いなカエルの顔の彫刻が彫ってある。
カエルの口は、半分開いていた。
レディがカエルの口に手を差し込むと、カチリ、と音がして鍵が開いた。
「登録した指紋認証しか受け付けないんだ。
だから誠も入れない訳だ。
透過すれば良いだけだけどな」
レディが教える。
先には真っ直ぐに、どこまでも降りていく階段が続いていた。
数分間、無言で階段を降りていくと、コンクリ打ちの広いトレーニングルームに出た。
誠が今日、アクトレス教官にしごかれたようなリングが4つ縦に並んでいて、その両脇にサンドバックやトレーニングマシン、ガラスなどが設えてあった。
数名の中学生らしい子供たちが汗を流しており、一人、身体の出来上がった男がサンドバックを叩いていた。
「よう、川上。
頑張ってるな」
川上は必死でサンドバックを叩きながら返答した。
「…春川先輩。
何でこっちに来たっすか…」
「後輩の、誠と恭平が4月から高1になるんで、見せに来たんだ」
川上は、突然手を止めると、振り返った。
「誠って、あの小田切誠っすか?」
一直線に、誠を見つめている。
「そうだ。
去年の12月には、たった一人で内調を救って金一封をもらった誠君だ」
誠は慌てた。
「ちょっと、レディさん!」
「いくら入っていたのかぐらい、教えて見ろよ」
誠は一瞬考えて、
「20万円」
「20万!」
カブトが騒いだ。
「東京を救って、20万か!
ケチだなぁ…」
「いや、俺はせいぜい一桁だと思っていたよ。
二桁出たかぁ…」
レディは、何故か気落ちしたようだ。
「まぁ、ちょっと強いぜ、こいつは」
カブトもアハハ、と笑いだし、
「そーさ。
誠は強いから、多分俺でも敵わないよ」
言って、レディの背中から誠の背中に乗り換えて、誠の髪をグシャグシャ搔き混ぜた。
「そうだ、誠、ちょっと川上を鍛えてやってくれよ」
レディが言うと、カブトも喜びだす。
「無理に決まってるじゃないですか!
僕は去年の11月まで、全く素人だったんだから!」
「馬鹿だな。
これは影繰りの戦いだぜ。
透過も影の手も使っていいんだ。
楽勝だろ」
誠は困惑した。
卒業式を終えてから、8時過ぎまでトレーニングをしていたのだ。
正直、洗濯物の入ったカバンを持つだけでしんどかった。
レディは誠の耳元で、
「勝てなくても良いんだ。
ちょっと川上に自信を付けさせてやれば」
負けろ、と言われるのも、なんとなく微妙だった。
「誠、誠!」
とカブトもノリノリで、
「もし誠が勝ったら、こう言うんだよ…」
と囁いた。
どうにも仕方が無いようだった。
誠は、観念し、さっき着た中学の制服を脱いで、スパッツとノースリーブのTシャツに着替えた。
川上は、どうもギラつく視線を、誠に向けていた。
どこかにゴングが用意されていたらしく、カーンと試合のようにゴングが鳴った。
川上は、素早く前に出てくると、誠の側頭部に蹴りを放った。
誠は手で蹴りをガードしながら前に出て、川上の顔面にジャブを撃ちこむが、川上は素早く後ろに下がっていた。
誠は追いかけて前に出る。
川上はリングの角を避けて横に逃げる、と見せかけて、突然誠、誠にパンチを撃ち込んだ。
誠は、自然に反応していた。
しなやかに背を曲げて、川上の拳を交わしつつ、顎にパンチを入れて、飛び退いた。
ぐしゃり、と倒れた川上に、カブトに教えられていた言葉を囁いた。
「…殺し合いは、遊びじゃないぞ…」
と、蹲っていた川上が、髪の毛をバサリ、と逆立てた。
総毛立つ、とはいうが、本当に毛を逆立てた人間と言うのを、誠は初めて見た。
その逆立った髪の毛が、何かの形を成していく…。
えっ!
誠は驚いて、川上を見つめた。
レディもカブトも、あっ、と言葉を失う。
川上は総毛立ったのではなく、耳が、犬の耳のように頭の上に持ち上がっていたのだ。