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帰る場所

作者: はまち

「みやけっちはさぁ、なんで保健室の先生になろうと思ったの?」

 午後になると秋風が冬を連れてきたから、私はたまらず窓を閉めた。

 回答の前に「ごめん、寒かった? なんか飲んだら?」とフォローが入る。そうしよっかな。コーヒーあんま好きじゃないから、必然的にお茶になるんだけど。

 この場所でのルールもだいぶ覚えた。お茶とコーヒーは自分で沸かせば飲んでいいこと。辛くないときはベッドを使っちゃいけないこと。病人はそっとすること。

 それでもって、勉強はしっかりすること。学校だから当然か。

「実は私も保健室通いだったって言ったら、驚く?」

「驚く。現に今驚いてる」

 みやけっちはまだ若い。肌でわかる。公立中学のせいか、化粧はそれなりに薄めの仕上がりで素材本来の味で勝負しないといけないんだけど、十分新鮮だと思う。魚かよ。

 あと結構かわいい。上から目線でごめんって感じだけど、みやけっち目当てにわざとやってくる男子もいるから、客観的に見ても容姿は整っているんだろう。

「なんでよ」みやけっちが笑いながら、マグカップを手に取った。十分前に淹れたインスタントコーヒーはもう冷めているかもしれない。

「あんまこっちの畑の人間じゃないと思ったから」

「うわそれ、結構ショック。これでも小学校の頃なんてほとんど保健室だったからね」

「え、マジで?」

 驚いただろー、そうだろーと、いたずらっぽく歯を見せるみやけっちが保健室の住人だったとはやっぱり信じられない。

 百人いたら百人、明るい世界の住人だって答えるはずなのに。

「お、もう休憩時間終わりじゃん。次英語でしょ? 頑張りなね」

「えー、もうちょっとお喋りしようよ」

「お喋りはいつでもできるけど、勉強はいつまでもできるわけじゃないのです」

「はいはい」

 実際みやけっちも勉強したから先生になれたんだろうし、私も勉強だけは手を抜かないようにした。将来の選択肢は広げたいし。まあ保健室登校の時点で割りと狭まってるんだろうけど。

 それから会話らしい会話はあまり交わさなかった。「暖房いる?」「ううん、大丈夫」とか些細なもの。

 もうお互い余計なやり取りをしなくても済むって知っていたから。

 この学校に来て一ヶ月経つけど、友達らしい友達はみやけっちしかいない。でもいっかなんて思ってる。みやけっちはどの友達よりも友達っぽいし、距離感をわかってくれてるっぽい。

 生身同士じゃなくて、薄いベニヤ板一枚分を通しての距離っていうのかな? それが気持ちいい。だって、みんな壁がなさすぎるから。

 そして今日も。

「ちぃーっす。三宅先生、休んでっていい?」

 壁を持たざる者の登場だ。保健室のドアぐらい、もっとゆっくり開けてくれといつも思う。

 ばさばさしたまつ毛をひっさげた彼女は、後藤さんって名前らしい。週三回はこうして襲来するからさすがに耳に残る。

 いつも元気そうな、ちょっと苦手な子。

「休むのはいいけど、担任の先生には?」

「言った。数学の田島先生に。『あたし、熱がありそう』って」

「それで体調は?」

「絶好調かも」

「もう少し嘘をつくことを覚えなさい」

 基本的にみやけっちは来る者は拒まずなスタンスだ。一見病人じゃなかったとしても、ある程度の時間保健室に居させてから教室へ返す。そんな光景を私は何度も目にしてきた。

 なんでって訊くと、「若いんだから休みたいときに休んでもいい」って答えてくれた。そんなもんなのかな。

 特に診察することもなく、みやけっちは隅っこの長椅子に後藤さんを座らせた。

 落ち着きがないのか、両足を宙に浮かしてはぶらぶらさせている。

「勉強してる子いるから静かにね」と釘を刺した途端、

「おっ、いつもの! えっと奈子ちゃん……だっけ?」

「そう、だけど」

「今日は顔色よさそうだね。元気してる?」

「まぁまぁ」

「じゃあよかった」

 やっぱよくわかんないや、後藤さんって。

 そのあと先生がトイレに行くって出てってから、後藤さんは結構話しかけてきた。

 暇つぶしのつもりなんだろう。同じクラスだったらきっとコミュニティが違って、こうして話すことだってなかったかもしれない。

「好きな季節はなに? 髪どこで切ってる? 学校慣れた?」

 強いて言えば秋。笹塚のランコントル。保健室には慣れた。

 会話のキャッチボールというよりかは壁当てっぽいやりとりだ。

「教室にはいつ行くの?」

「もうちょいかな」

 日がだいぶ傾いてきていた。

 もう秋も深まってゆく。


 翌週の月曜日、勇気を出して教室へ行ってみた。

 吐いちゃうかもとか思ったけど、意外とそんなナーバスな気分になることなく、すんなり席に座ることができた。

 窓際最後列に用意された私の新しい居場所。多少の視線は感じるけど、私は腫れ物だからさわれない。

 ああこれ、すごくありがたいかも。このまま適度に放っておいてほしい。

 道端にある小石のように気づかれなくてもいい。蹴られさえしなければ、私の第二の中学生活はそれで――。

「あれ、奈子ちゃんじゃん。おはよ」

 お前、同じクラスだったのかよ。

 心のなかで突っ込んで、挨拶は頷くだけにしておいた。

 だって私は腫れ物のままでいたかったから。

 後藤さんはというと、「返事してよー」とか軽口叩きながら、私のちょうど横の椅子を引く。

「お隣さんだね、よろしくね」と彼女が背をもたれかけようとして、「――いってぇ!」と声が響いた。

 さすがに何事かと思って、「大丈夫?」と声をかけると、「ああ、平気平気」と後藤さんは手を振った。

 彼女は背もたれになぜか糊付けされていた画鋲をとって、「いつものことだから」と笑う。

 そのときの後藤さんの表情が私は忘れられない。マーブル模様のその笑顔は決して楽しくて笑っているわけではなかった。

 私は周囲を見渡す。ある者は視線をそらし、ある者は口元を手で隠している。そしてある者は腹を抱えて指を指している。

 ああそっか、そういうことか。

 これが、いつものことなんだ。

「いこっか、後藤さん」

 私は後藤さんの右手を掴んで、走り出した。

「えっ、ちょっ、待って」と何がなんだかわからない彼女の手は、今にも凍りそうなほど冷たかった。

 私だってどういうことかわからないけど、走り出した足は止まらない。

 だけど、これだけはわかる。

 ――私たちには帰ってもいい場所がある。


 二人して息を整えて、威勢よくがらっとドアを開けると、いつもの顔がそこにあった。

「みやけっち、ごめん。一日も持たなかった」

「まぁゆっくりしてったら? 後ろの後藤さんは今日も熱?」

「この人、今日は逆に熱がないんです」

「ありゃりゃ。それにしても二人で来るのは珍しいね」

 みやけっちの提案で、私がお茶を用意してあげることになった。

 用意っていっても大げさなものじゃなくて、湯呑みにティーバッグをいれてから、ポットからお湯を注ぐだけ。

 全く心がこもっていないでしょ? だけど私はこれが好き。

「これ、熱いから気をつけて」

「うん」

「熱いでしょ?」

「うん、めっちゃ熱い」

 後藤さんが初めて笑った。そんな気がした。

「ねぇ、みやけっち」

「なに?」

「これからもここに帰ってきていい?」

 そう訊くと、みやけっちは「なんで柄にもないこと言ってんの」とくすくす笑った。

「ここを帰る場所だと思ったなら、いつでも帰ってくればいいじゃない」

「えっ、そしたら毎日来ていいの?」早速、後藤さんが食いついた。

「険しい道のりになるよ」と、みやけっちがおどろおどろしく体験談を語り始めた。

 途中でチョコレート休憩をはさみながら、あるいは怪我人の手当をそっと見守りながら、脱線も交えた会話は夕暮れまで盛り上がった。

 終礼のチャイムが鳴ると、「ずっとここにいたい」と後藤さんと一緒になって、みやけっちを困らせた。

「もう、早く家に帰ってよ。明日もまた来るんだし」

「嫌だ」

「なんでよ」

 モラトリアムだって笑ってもいい。逃げてるって笑ってもいい。

「だってここが私たちの帰る場所だから」

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