一
第一章『虹色の花瓣 ~246:191:188~』
一瞬、見間違えたのかと思った。
小、中と同じ学校だった、剣道部所属の籐乃零香の竹刀袋の中身を、俺はその日知ってしまった。
俺は日課として毎日、学校の花壇を手入れしている。これはもう小学校からの習慣のようなものだ。
もともとは俺が小学5年生の頃に受けた罰から転じたもので「給食の牛乳を飲まずに取っておいて、それを帰り道に川へ投げ入れて破裂させる」という遊びの代償だった。
小学校は川の上部にあり、橋の上から川を見下ろすと、ごつごつとした岩が多くある。
中には尖っていて、危ないから川へは降りないように、と教師に何度も忠告された記憶がある。そういう岩を目掛けて、牛乳パックを投げつけるのだ。
すると、紙の包装は容易く裂け、真っ白な牛乳が川へと流れるのだ。それを眺めるのが好きだった。
そんな変な小学生時代を過ごしていた俺は、ある日行為を目撃され、気を付けていたのに、と考えながら職員室へ向かった。
何度か謝り、反省文も書いて、最後に罰として花壇の水やりを言い渡された。最初は本当に面倒だと感じながら水をやるだけだった。誰に迷惑を掛けたのかもよく分からなかったし、少し理不尽に感じている部分もあったと思う。
しかし、花壇を見ると雑草だらけで、花も心なしか元気がないように思えた。それは、昨年に年配の先生が退職したからだということを知った。
国語を教えていたその爺さんの先生は唯一好きな先生だったので、仕方なしに雑草を抜いてやった。花壇が整っていく様子は、なかなかの楽しみを与えてくれた。
それに加えて、花が綺麗に咲いたのが嬉しかった。なので昼休みに図書室に行って、花の図鑑や、栽培方法も調べた。それの通りに肥料や水分、日照時間をうまく調節してやると、花屋で売られている花のように美麗に咲いた。
そういう経験から、中学も進んで花壇の手入れをしていた。
高校生になっても率先してやっていると、2年の後学期にして美化委員長に任命されてしまった。
美化委員は2年が多く、数少ない3年生に一目置かれていたことが理由らしい。
校内のごみ拾いは気が乗らないが、花壇の手入れが済んだときには手伝っている。
また、掃除道具の購入など、予算に関わる仕事もあり、それを知ったとき、1年で副委員長の瀧本鞆子にそれらを任せて逃げてしまった。
そもそも花壇の手入れ以外には、あまり興味がないのだ。
そんな俺に対し、副委員長は文句も言わずに仕事をしてくれている。彼女の仕事の精度は、かなり高いらしくありがたく感じていた。
すると再び、高校3年、彼女は高校2年の前学期にも、委員長と副委員長を任命されてしまった。同じ副委員長なので、事務的な仕事は任せて、俺は今まで通り花壇をいじるだけで良いことが幸いだった。
今日も、放課後に美化委員会の仕事はないのだが、花壇をいじっていた。すると何やら黒くて長いものが花壇の中に紛れていた。
それは竹刀袋で「籐乃」と刺繍されていた。俺にとって看過できない事だった。
俺は竹刀袋を持ち上げて、剣道部へ文句を言いに行こうとした。
しかし、それは想像を越えた重量で、手に袋を残して、中身だけ滑り落ちてしまった。
それは真竹などの竹の音ではなく、金属音を発して地面に落下した。
「は……?」
見ると、鞘から少し、月白色の、それでいて底の知れない鈍重な輝きを放つ刀身が覗かせていた。
刀剣と思われるそれは、二振り納められており、もう一方は峰の部分に奇妙な凹凸があしらわれていた。どちらも竹刀より短く、片手ずつで扱えそうなものだった。
内心かなり驚いたが、周章狼狽しても何かが変わるわけでもない。そう自身を落ち着かせ、一先ずもとの竹刀袋に戻し、それを抱えて剣道部のいる武道館へ向かった。
「――――ヤァアアァ!!」
「――――エヤアアァアア!!」
といった、奇声じみた掛け声をあげながら練習する女子剣道部を訪ねた。その反対方向では男子剣道部が、完全に奇声をあげている。また、それらとは無関係に奇声をあげながら走る陸上部の山田が居たが、よくあることなので目も向けず籐乃が来るのを待っていた。
ただ呼びつけただけだが、年頃の女の子たちは告白かなにかと勝手に勘違いし、色めきだちながら籐乃を呼んでいる。
道中考え直し、竹刀袋は美化委員の倉庫に一旦隠してきているため、用件が知らされていないのもその勘違いの要因だろう。
女子剣道部は、雰囲気から見てとれるように、真剣に取り組んでいるのが4割前後、それ以外の6割は不真面目な者が多い。
しかし、この剣道部に入部するのは何故か。それはやはり場所によるものが多い。ここ武道館は校舎から一番離れており、教師の目が届きにくいだけでなく、顧問が忙しいためほとんど訪れない。
そのため、女子剣道部の6割はお喋りを楽しんだり、簡単な練習をするのみだ。
4割から不満が出ない理由は、自分達が広くスペースを使えるからだと、知人に聞いたことがある。
少し経って、防具を脱いだ籐乃が訝しそうな視線を向けながら歩み寄り「何か用でも」と尋ねる。
籐乃は真面目にやっている方の人間のようで、凛々しい眼光に竹刀が似合っていると感じた。
春先で気温も上昇しているからか、流麗な黒髪が濡れて、毛先に汗が滴っていた。そのやや後方では、半身を乗り出して話を聞こうとする女子たちがいた。
さすがに人目を避けるべきだと考え、竹刀袋、美化委員倉庫、とだけ告げた。
籐乃自身にも都合があるだろうと思い、俺は「遅くても構わない」と付け加えて、先に美化委員倉庫へ足を運んだ。
美化委員倉庫は、主に掃除用具を収納するための倉庫で、場所は今いる武道館のやや東に布置されている。
学校全体は、北側に正門、東に東門があり、学校の敷地の上半分は校舎と出入り門で占められている。
下半分に体育館、武道館などが建っている。その内、武道館は二つあり、特に左下に奥まった方が剣道部の活動場所だ。
もう一方は、柔道部と弓道部があるが、そちらは体育館にかなり近いため、必然的にバスケットボール部の顧問等の教師から見える。
花壇は上半分の校舎を囲むように設けられ、そこには俺が手掛けた花が咲き揃っている。今の季節には、正門の桜の花が綻びている様子を観賞することもできる。
夕暮れの空を眺めながら、俺は倉庫に持たれて籐乃を待つ。現在時刻は18時40分、部活動終了は18時半だ。
そろそろ来ても良い頃合いだ。竹刀袋を取り出しておこうと考え、鍵を開けて倉庫の扉を開く。
中は少し黴臭く、臭いが竹刀袋に付いていたら悪いな、と思いながら竹刀袋を手に取った。
それから約1分後に籐乃が一人で歩いてきたが、その姿に違和感を覚えた。
籐乃は既に胴着を着替え終えており、この学校の制服に身をつつんでいる。
左手には鞄を持ち、右肩には「竹刀袋」が提げられていた。
即座に自分が把持しているものに目をやる。しかし、俺が手に持っているものは、間違いなく「竹刀袋」だった。
「あなたの用件は分かってます。それを拾ってくださりありがとうございます。受け取ります」
そう言いながら、籐乃は右手を伸ばした。俺はそのまま渡そうとしたが、少しの逡巡の後に理由を聞いた。
「なんで竹刀袋が花壇にあったんだ」
「分かりません」
籐乃は真顔のままだ。恐らく、嘘ではない、もしくは隠すべき理由があるのだろう。
「……じゃあ、この中身は、刀剣は一体なんだ」
「それは言えません」
「……そうか。とりあえず花壇に竹刀袋を置かないようにな」
これ以上聞くのは難しく、関わるのも危険な気がして俺は竹刀袋を籐乃に渡した。
籐乃は受け取った際に少し首を傾げたが、すぐに元の表情に戻った。
「分かりました。以後気を付けます。
……確かに受け取りました。この事は口外しないでいただけると嬉しいです。ではまた」
そう言って籐乃は受け取った竹刀袋を左肩に掛け、重量を感じさせない足取りで、東門へと歩いていった。
部活動が終了する時刻には、正門は閉められている。そのため、閉門していない東門から出る必要がある。
俺は用事も済んだので、倉庫の鍵を閉めて帰宅するべく東へ向かっていた。
すると、再び竹刀袋が落ちていた。同じく「籐乃」という刺繍が入っており、しかし今度はその中身が入っていないことに気付いた。
とりあえずそれを拾い上げ、呆れながらも自分の鞄に入れた。
明日にでも渡すか、と考えながら、歩いていく。
倉庫の立ち並ぶ右下の区画は人通りが元より少なく、部活動が終わる時間帯はほぼ無人と言える。
そんな中俺は「ぱしゃり」と自分の足元から、水の跳ねる音を聞いた。
辺りは薄暗く、色彩の判別ができない。
ただ、三日ほど前から雨は降ってない。この場所には水道は少なく、水が地面に溜まる要因もない。
そんな思考を巡らせていたら、この道の奥でチカッと何かが光った。
「なんだ……?」
駆け足で走り寄ると、その点滅は忙しなく発生していることが分かった。それが一際眩しく光ったとき―――
―――光芒を引いて、すぐ横を何かが通り過ぎた。
それは倉庫の側面に、激しく叩きつけられ、呻き声を漏らした。
「喜井地……君、逃げ……て……!」
「―――と、籐乃!?」
それは、全身至るところから血を流した籐乃零香だった。
二話に続きます。
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