一、反逆者(2)
フォーレーン王国の現状は、とても危ういものだった。
諸侯は力をつけ、王子であるジークひとりではその力を制御できないまでになっていた。
加え、国王テセウスは危篤の身。
更に悪いことに、隣国である軍事大国ノルンも、不審な動きを見せている。フォーレーンの豊かな大地を、ノルンは過去幾度も狙っている。
曰く。
クリスを第一王位継承者であるジークの妃とすることで、彼女の身を、ひいてはその義兄弟のフレイシス兄弟を守るということだった。
貴族でもない――フレイシス家は貴族と呼べる家柄ではなく、クリスに至っては孤児である――いち騎士ではなく、妃、即ち王族ともなれば、彼等も容易に処刑を強行できないだろう、と。
「こんな形でしか……君を守れない、愚かな私を許して欲しい」
彼女とて、フォーレーンの現状は理解している。
選択肢はなかった。
「それで……ほんとうに、二人は助けられる?」
「助けよう。
彼等は私にとっても、大事な幼馴染で――親友なのだ」
それならば、と。
クリスは、ジークの申し出に従った。
長い銀髪を解き純白のドレスを纏った彼女は、別人のように美しく、伝説上の月の女神にも、聖女アバスにすら劣らないように思われた。
そのときクリスはまだ、『政治上の、身を守る為の措置』としか、婚約というものを考えていなかった。
クリスは知らない。
幼い頃から、ジークが彼女に、どんな視線を注いでいたか。
だからこそ。
妻になる――という言葉が、文字通りの意味であるなどとは、彼女には思いもよらなかったのである。
しかし、一度自分自身で口にしたことで。二人を助けるには、他に方法がなくて。
混乱したまま、クリスはジークのベッドに身を沈めさせられ。
熱っぽく、囁く青年の声を聞いた。
「……クリス」
思い詰めたような強い視線が、クリスを貫く。
身に起こるであろう出来事を、そこではじめて彼女は覚悟した。
それでも。
覚悟をしたつもりでも、やはり震えが止まらない。
その腕を捕らえ、ベッドへと押し付けているそれは――『男』の力だ。
手合わせでは勝負にならなかった……あの、ジークの力が。こんなにも強かったなんて。
「ずっと、ずっと――君を見ていた。君に、触れたかった」
上気した頬。銀色の髪を掬う、彼の指もまたちいさく震えている。
どんなに頑張って勉学に、武術にと励んでも、優秀な末弟ウェルティクスには足元にも及ばない。ティフォンのように、思うが儘に振る舞うこともできない。
中途半端で臆病なこのジークという男を、無条件で受け入れてくれたのがクリスだった。
ジークはジークだと。そのままでいいのだと。
そう言って、微笑んでくれた幼いクリスは、ジークにとって女神そのものだった。
それが……少年の初恋だった。
そう。――ずっとずっと、見ていたんだ。
どんどん綺麗になっていくクリス。その隣には――壊れる程、望んだ位置には、いつもラグナがいた。
二人は恋人同士という訳ではなかったけれど、そう見紛う程に仲は良かったし、ジークには入り込めない壁が確かに存在していた。
漆黒の聖騎士と呼ばれ、その実力は大陸一とも噂された彼。
第一王子でありながら、将来も期待されない凡庸な自分。
立場を利用した、卑怯な手だとしても。
本当の意味で、心まで自分のものにできないと理解していても。
それでも……渇望していた。
「私を軽蔑してくれ、クリス。
……もう、限界なんだ」
相手が抵抗できないことを、彼は知っている。
良心の呵責もあったが、もう、どうにもできなかった。
その手が少女の頬へと伝う。白磁のような肌は、当たり前だけれど温かく、そして柔らかい。
ジークは戸惑いながら、視線をクリスの唇、そして白いドレスへと移す。
白い胸の膨らみが、彼の中の炎を焚き付けてやまない。
普段は体型の表れない男の服を着ている所為で、余計にそれは艶かしい。
「……私だけのものにしたい。どんな手を使っても」
いとおしげに告げる声音はしかし、自嘲気味に響く。
――『少しは女としての自覚を持たないと、そのうち後悔することになるぞ』
不意に、ラグナの台詞がフラッシュバックする。
――そんなこと言ったって、ほかにどうしようもないじゃないか!
心で毒吐いたところで、彼に伝わる訳でもないのに。
それでも、不意に。頬を水晶色の雫がこぼれる。
艶やかな桜色の唇に、ジークのそれが重なったと思った、
その、刹那――。