五、紫電の剣士(29)
「〜〜だッ、だからぁ!
僕だって好きであんな格好してた訳じゃないんですってば!」
女装を解除したルーイが、必死に訴えかける。
「違うのか?」
「違いますッッッ!!」
しんそこ意外そうに、琥珀色の瞳を大きく見開くフォルクルス。ルーイはといえば、既に涙目である。
「そもそも、変装をしていたのだって……」
がくりと肩を落としつつ、少年はぽつぽつと話し始める。その面差しには、疲弊の色が濃く滲んでいた。
ルーイット=フレイシス。彼は、フォーレーン王国で特殊部隊――所謂密偵を束ねる立場であり、また王国騎士の中でも名高い『漆黒の聖騎士』ラグナ=フレイシスの弟ということから、顔を知られている危険性があったのだという。
「へぇ。そうだったのか。お前さん有名人なんだな」
「一部で――だがな。
実際、俺も名前だけは聞いたことがある」
惚けた調子のフォルクルス。一方、セリオはついとルーイを一瞥し、合点がいったよう頷く。少年の容貌は、以前見たことのあるラグナの姿絵と特徴がよく似ていた。
「いや、あの、あまり有名になっちゃ困るんですけど……」
クリスさんはともかく僕の場合――、と、俯いたまま彼は零す。
確かに、大っぴらに顔が割れてしまったら、密偵など到底務まらないだろう。兄に顔が似ているというだけで、随分ハードルが高いと言えなくもないが。
「じゃあ、あのとき王都から僕を脱出させたのは……」
クリスの顔から、さあっと血の気が引く。ルーイは表情を曇らせ、重く首肯した。
「……今回の事件にパニッシャーが絡んでいることを何とか突き止めたので、変装して潜入調査をしていたんです。
それで、クリスさんや兄さんが危ないって知って、大急ぎで助けに行こうとしたら――」
ぎり、と、そこで歯を軋ませる。指の爪が掌に食い込んでいた。
思い出したくもない、光景。脳裏を掠めたのは――白いドレスを纏った彼女と、それに覆い被さるようにしていた男の姿だった。
彼の中の『もうひとりの自分』が制止しなければ――毒を塗布したナイフは、間違いなく王子ジークの命を奪っていたことだろう。
「お、おい……ルーイ……どうしたんだ?」
少年の双眸に、刹那、憎悪と殺気が揺らめく。それを訝しんでか、クリスはおず、と声をかけた。
「えっ?あ、な、何でもないですよ!なんでも。あははははっ!」
そこで我に還り、誤魔化し笑いを浮かべるルーイ。それは果てしなく白々しかったが、クリスはまあいいかと呟き、それ以上追求することはなかった。
「僕とラグナに、危険を報せる為に……」
つまりは、あの戦いも完全に仕組まれたものであったのだ。クリスはぐしゃ、と両手で銀髪を掻き毟る。民を守る為に剣を振るっていた彼女にとって、その現実は――あまりに残酷で。
――ラグナの言うとおりだった、訳か。
そこで、彼女は何かを思い出したようにばっと顔を上げた。あまりの勢いに、その場にいた全員がやや身構える。
「なあルーイ、ラグナは!?
君が生きてたってことは、反逆の容疑はともかく処刑は行われてないんだろう!?だったら――!」
声を荒げ、腕に掴みかかってきた彼女に、ルーイは言いにくそうに答える。
「……それが……僕も調べ回ってはみたんですけ、ど……。
えっと、調べれば調べる程、ことごとく偽者で……下手に有名なだけに、質が悪いです」
うなだれるルーイに、クリスは肩を落とす。彼は一瞬しまったという顔になり、それから彼女を励ますようにこう続けた。
「ま、まあ兄さんのことだから大丈夫ですよ!
殺しても死なないっていうか、地獄からでも笑って生還しそうっていうか……!」
「いや、それ既に人間じゃねえだろ」
捲くし立てる少年の横、思わずセリオがぼそり、突っ込みを入れる。
「え、あれ?ええと……まあ要するにしつこい――じゃなくって、しぶといっていうか!」
ますます失礼な方向に話が流れている。
「そう、だね。……昔から、彼はしぶとかったもの。
――有難う、ルーイ」
「…………。いや、おい。美しく纏まってるとこ水を差すようで悪いんだけどよ。
お前等、さっきから散々なこと言ってる自覚はあんのか……?」
頭を抱えるセリオ。信頼の証かも知れないがあんまりである。しかし続く会話に、また口を噤み耳を傾けた。
「それで、ルーイ。『今回の事件』って?」
「……はい。クリスさんや兄さん、それにウェルティクス様をフォーレーンから引き離して、ジーク殿下を擁立させる。それによって、一部の貴族達が国を思いの儘に操ろうとしていることは少し前から判っていました。
家柄より能力を重んじるテセウス陛下の方針も、連中にすれば面白くなかったでしょうから。序でにティフォン様も城から追い出せて、一石二鳥だったんじゃないですか?」
嫌味たっぷりに語るルーイの物言いに、ふとセリオが片眉を上げる。
「ティフォン?……第二王子か」
「城から追い出せ――って、それ、どういうことだ!?」
驚愕の表情で問い詰めるクリスに、今度はルーイが信じられないという顔をした。
「え。クリスさん、時々城には戻ってました……よね?知らないんですか!?
国王陛下が臥せっている理由は、ティフォン様が毒を盛ったからだと――まあ、勿論そんなの、僕はでっち上げだと思いますけどね。
恐らくティフォン様の場合は、王位云々というより……平民の血を城に入れたくなかった、って可能性が高いですけど」
不快さを隠そうともせずに、国に起きた出来事を説明するルーイ。第二王子ティフォンの母親はソレイア人の平民、それも踊り子。故に、ティフォンの存在を疎ましく思う者は王宮にも少なくなかったのだ。
「ティフォンが……毒殺!?まさか!そんな笑えない冗談が、平気で罷り通ってるのか?
それに、ことごとく国力を殺ぐような真似ばかりして、そんなことをしたらフォーレーンは――」
そこでふと、クリスは言葉を止める。最悪の可能性が過ぎったからだ。
「成程、な。ゴルダムの野郎が好きそうな遣り口だぜ。それで、パニッシャーに王子暗殺の仕事が回ってきた、って訳か。
フォーレーンが内側から壊れたところで、ノルンに攻め込まれたら――ま、ひとたまりもねぇだろうな」
クリスの言葉の空白を埋めたのは、元パニッシャーたるセリオだった。淡々と告げられたそれに、ルーイはこくりと頷く。
だから止めなきゃいけないんです――そう、確かな声で言って。
それから、彼の視線は先程から目を回しているフォルクルスに向かう。
「因みにクリスさん、この人は?パニッシャーの人じゃないみたいですけど」
青年の白い髪をまじまじと見て、それからぐいと引っ張る。
「痛でででッ!!!いきなり何すんだよ!?」
「いやあ、見事な色だなあと思って……あれ、地毛?まさか、……染め、ですよね?」
あれー、なんて首を傾けながら、やはりぐいぐいと白髪を引っ張るルーイ。先程の女装云々を根に持っているようだ。
「だぁぁぁっっ!これは生まれつきだ!
つーか引っ張るな!ハゲたらどうすんだよッ!!」
髪を死守しながら半泣きで叫ぶフォルクルス。その返答に、ルーイの動きが停止した。
「…………え?生まれつき??
ま、まさか――白き神殿の、神子一族の生き残りが、エルサイス様以外にも、まだ……?」
嘘でしょう、などと言外に含ませ。ルーイは思わず掴んでいた髪を放していた。
「――以外にも?
そのエルサイスってのは、確かこいつの姉貴だろ。生きてやがんのか?」
セリオが眉を寄せる。
フォルクルスの話に依れば、神子一族の生き残りは彼独り。姉は殺害されたという情報だった。
首謀者が王子ウェルティクスという情報はデマとしても、全てが出鱈目なのかどうか。
「ええ、それがエルサイス様は反逆罪で捕らえられ、新月の宵に処刑されることになってるんです。だから、それを阻止しようとフォーレーンへ――」
あれ、と。そこで少年は硬直する。
「姉上が!?ってことは……まだ生きてるのか!」
流石にフォルクルスも、これには色を生した。
「……あああああッ!!!そうだ、のんびりしてる場合じゃなかった!
急ぎましょう!新月まであと三日――急がないと間に合わない!!」
漸くここまで来た理由を思い起こしたルーイは、血相を変え森の向こうを指差し示す。
三人は互いに顔を見合わせると、大きく頷き彼に続いたのだった。
フォーレーン王国のみならず、エルシオン大陸の命運を繋ぎ止める最後の砦、『未来視』エルサイスを救出する為に――