三、疑惑(22)
静寂が、場を支配していた。
不条理と、衝撃と、憤りと、無念と、そして――ほんのすこしの安息を抱いて。
祈るよう、両手をきゅっと重ね、何かを呟くクリス。祝福の言霊を唱えるフォルクルス。そして――
バーツの亡骸を、空虚な紅い瞳が見下ろしていた。
「……セリオ」
「クリス。俺は――パニッシャーで育った。
あの……何とかって派手な野郎が言ってただろ。俺はヴァレフォール伯爵家に生まれて……物心ついた頃だったか、そいつがパニッシャーに殺されるまでを離れの屋根裏で過ごした……」
不意に身上話を始めたセリオ。クリスは口を挟むことなく、静かにその話に耳を傾ける。
任務の際対峙した男――マーティンが、ヴァレフォール伯の令嬢と彼女を呼んでいた。そして、その言葉にセリオが逆上したのはまだ記憶に新しい。
紅い瞳の子供は、災厄を齎す呪われた子。
そんな言い伝えから、セリオの存在は伯爵には隠され、離れに隔離されたのだという。食事は、家族の残飯を漁った。彼女を産み落とした母親は気が触れ、我が子を何度も床や壁に叩きつけ、呪いの言葉を吐き出し、罵りを子守唄としてセリオは幼少期を過ごした。
「伯爵を殺した暗殺者が、俺を見つけてアジトへ連れ帰った。
今みたいに人数は多くなかったから、アジトにいる奴が交代で面倒を見るって感じだったんだろうな。御館様は――俺にとって、親父みたいなもんだった」
そうか、と頷くクリス。あちこちで様々な者から語られる『御館様』という単語は、あたたかさを湛え彼女の耳に届く。きっと――パニッシャーの面々にとって、或いは父、或いは兄なのだろうと、そう思えた。
「人数が増えるにつれて、パニッシャーは……徐々に姿を変えちまった。
時代の流れってのもあるし、仕方のないことなのかも知れねえ。でも、」
「――、『でも』?」
鸚鵡返しに、そう告げるクリス。セリオは俯いてぎし、と歯を軋ませ、それから――また、顔を上げた。
「でも――今のパニッシャーは、御館様の創った、俺達のパニッシャーじゃねえ。御館様は何処にいやがるか判らねぇし、俺達の『家』は、もうなくなっちまった。
……今日、それがはっきりした」
ゆるり、彼女の首が左右に揺れる。ひどく寂しげに。
「勿論、四天の連中――ラゼルにファング、それにディックも――動いてはいるが、もう、歯車は勢いを増してやがる。そこに俺の名前が加わったって……
止まる流れじゃ……ねえんだ。もう」
響く少女の声は、いやにはっきりと鮮明なもので。
「セリオ、君は……」
クリスはふと、思い馳せる。彼女は――随分前から、きっとこの日がくることを知っていたのではないかと。ならば、組織のことをよく知らぬ自分が口を出せることなど、ありはしない。
「これ以上……俺達の『家』を土足で踏み荒らさせて堪るかよ。
腐った林檎なら、潰す。それが――俺にできる、御館様への最後の恩返しだ」
こつん、と。セリオの靴が床を鳴らす。
そして――刹那、
ごうぅぅぅぅぅぅぅんっっっっ!!!!
白い指からは揺らめく黒い炎が生まれ、それは意思を持ったかのように咆哮をあげる。そして、山積みとなった骸達を一口のもと呑み込んだ!
じゅ、と、焦げたような音。人のかたちをしていたものは、僅かな骨の一部さえ残さず消し炭となる。浚う隙間風に一度跳ね、そして、やがて沈んだ。
静かにその光景を眺めているクリスをちらと一瞥すると、セリオはそのまま、出口の方角へ歩き出す。
「――行くぞ」
「あ、おい……」
もの言わず彼女のあとに続くクリス。慌てて立ち上がるフォルクルス。幾つかの足音が、そこに続いて。
やがて地下室は、元よりの静けさと闇を取り戻したのだった。