三、疑惑(18)
「どうするも……こうするもねぇだろ」
不機嫌全開のセリオには満足げに頷いてみせ、クリスは一歩、前へ進み出た。
「フォルクルス。退がっていてくれ」
「え?……あ、ああ……」
よくわからないといった顔をしつつも、フォルクルスは壁際まで後退した。
クリスの左手が腰へ伸びる。そして、銀色に閃く刃を引き抜いた。暗い地下室に、その輝きがやけに眩しく煌いている。
「――せいっっ!!!」
剣線が舞ったのは、ほんの一瞬。
一見、変わらぬ様子をみせる鉄格子。しかし、剣士は静かに剣を鞘へ収めた。かちゃん、というその音を合図に、クリスの描いた放物線に従って、格子が寸断される。
ごと、ごとん……かららん。
床を鳴らす音が幾つか。やがて、牢には人ひとり通れる程度の穴ができあがっていた。
長身のフォルクルスでも、潜れば通り抜けできるだろう。彼は口を開けたまま、ぽかんとしている。
「……ここから……逃げろってことか?」
しかしクリスは、彼の疑問に答えようとはしなかった。フォルクルスは思案顔で唸り、下を向いてしまう。
「……なあ、待ってくれ。お前さん達こそ何者なんだ?
それに、俺のチカラを利用されてるんだとしても、連中は仇の手掛かりを――」
「果たして、どうかな」
冷淡な呟きを落としたのは、今回はクリスの側だった。
淀んだ物言いに、フォルクルスのみならずセリオも彼女を注視する。
「僕達も、パニッシャーに籍を置いているが……。こっちのセリオは、彼等と一緒にされることを好まないのでね。
それに、例え彼等が君の求める情報を持っていたとして、姉上が君の身を危険に晒すことを望むとは思えない。仇討ちなんて、姉上は望んでいないはずだ」
「…………ッ、だとしても、俺は!」
いきり立つフォルクルスを、クリスは静かに見据える。いつになく、冷ややかな双眸で。
「君には生きる権利がある。そして、その義務もあるはずだ」
よく通る声は、刃物のように玲瓏な響きを持って青年に突き刺さった。クリスは更に、こう続ける。
「君が生き残ったのなら、きっとまだすべきことがあるんだろう。――まあ、受け売りだけどね。
それに……僕の知るウェルは、そんなことをする人物じゃない」
発したその言葉が、自らの身を危うくするであろうことをクリスは理解していた。
傍らで、頭を抱えるセリオが視界の隅に映る。それでも、彼女は言葉を収めることはなかった。それに彼女のようなプロならば、自分の素性くらい、粗方察しがついているだろうとクリスは思ったのだ。
「……お前さん、その王子を知ってるのか?」
「まあ、ね。君の言う仇かどうかは判らないが、調べてみる価値はあるんじゃないか?
尤も――ここでの暮らしが快適なら、無理にとは言わないが」
全身を鎖で繋がれ枷を嵌められ、牢獄に押し込められていた相手に、しゃあしゃあとクリスは嘯く。
「もし、本当にその王子が姉上の仇だったら――?」
「好きにすればいい。彼も死にたくないなら、防御くらいするだろうさ」
自分や彼を巻き込んだ騒乱の渦。その鍵は――王子ウェルティクスが握っている。
クリスには、確信があった。ならば、青年と自分の目的は同じだと。……些か乱暴な理屈ではあったが。
「――判った、お前さんの言葉を呑もう。俺も、もっと詳しい情報が欲しいしな」
言って、立ち上がるフォルクルス。格子の切断された箇所に手をつき、ひょいと潜り抜けた。
「クリス、お前……俺まで巻き込む気か?」
そんなクリスを、セリオがじと目で睨みつける。
「まさか。ただ、そのゴルダム派の出鼻を挫くことは君にもメリットがあるんじゃないかな――なんて。僕の良く知る人物なら言うのだろうけどね」
「っ、てめぇ……随分いい性格になりやがったな」
黒いフードの中にある顔が引き攣る。しかし相変わらず穏やかに笑みを浮かべたままのクリスがそこにいた。セリオはち、と舌打ちすると、紫紺の双眸から顔を背けたのだった。
「あとは魔力の鎖か……セリオ、任せていいかい?」
「くそ、……しゃあねえな。高くつくぜ」
悪態をつきながらも、掌に魔力を収束させるセリオ。
「問題ないよ。支払いは彼だからね」
クリスは顎をしゃくって青年を示し、愉しそうにくすくすと笑みを零した。
セリオの細い指が虚空をなそる。古代語だろうか、馴染みのない発音の詠唱が、謡うような抑揚を刻んだ。かと思えば、フォルクルスに纏わりついていた鎖が鈍い光を放ち、唸りをあげる。
「わ……っ!?」
青年は思わず、眩しさに目をぎゅっと瞑る。
光が光を呼ぶように、鎖の発光は徐々に強まり、やがて――
青年を包むよう、はじけた。
「鎖が……切れて、る?これは、お前さんが?」
フォルクルスは周囲に散らばった鎖の残骸、そのひとつを抓んでみる。それからおもむろに両腕を回し、それから掌を握ったり開いたりしていた。暫しそれを繰り返した後、
「あれ?さっきより……身体が軽い」
「けっ、たりめーだ」
セリオは慌しく二人に背を向け、早足で歩き出す。クリスはやれやれといった顔をしながらも、その背中を追った。
「……姉上……。俺は――」
徐々に遠ざかる二人の背をぼんやりと眺めていたフォルクルスは、やがて何かを振り切るようにかぶりを振り、そして歩き出した。