三、疑惑(17)
普段、嫌味なくらい落ち着き払っているクリスの豹変に、セリオはぎょっとした。
「どうした?クリス」
セリオの声に、クリスは我に還り、曖昧に頷く。
「あ、ああ……すまない。何でもないんだ」
見え透いた嘘を――そう、思ったことだろう。片眉をひくつかせるセリオが視界の端に映っていたが、『プロ』の彼女相手に嘘を吐けると本気で思う程、クリスも甘くはない。
背中を、冷たいものが伝う。動揺を押し殺し、クリスは問いかけた。
「君の姉上は……フォーレーンに?
よかったら、詳しく聴かせてくれないか。力になれるかも知れない」
「……けっ、お人好しが」
ぷいとそっぽを向くセリオに、ごめん、と呟くクリス。
『力になれるかも知れない』というくだりは、彼から話を聴く為の方便でもあった。だが、話の内容如何によっては彼女にとっても他人事ではない。
フォルクルスはきょとんとした顔でクリスを見ていたが、やがてこくこくと何度も頷く。
「……『白き神殿』のことは知ってるか?」
その問いかけから、彼の話ははじまった。
白き神殿。
それは、至高神『白き神』を奉る神殿である。
伝説に拠れば、およそ三百年前――エルシオン大陸は邪神により、永い夜で覆い尽くされてしまった。人々が恐怖に震え、絶望に打ちひしがれる中、四人の若者が立ち上がった。そして激闘の末、白き神より力を授かった彼等はついに邪神を討ち滅ぼす。
彼等は大陸各地の復興に尽力、それぞれの地方を纏め統治者となる。それが、現在のフォーレーン、アクディア、ノルン、ソレイアの四聖国。
伝説はあくまで伝説の粋を出ないものの、親から子へ、そして孫へと、伝説は語り継がれている。
白き神は別の世界から来た救世主で、書物には白い髪と翼の姿が記されている。現在神殿を守る一族はその子孫とされており、代々白い髪と、不思議な力を持っていた。
神官家の当主はフォルクルスの姉、エルサイス。彼女は『未来視』の能力を持ち、人や物事の宿命や未来を見通すことができたという。
しかし、彼女がフォーレーン王国の滅亡を示唆する予言をしたことにより、反逆罪で囚われ、処刑されたという。その首謀者が、フォーレーン第三王子ウェルティクスだというのだ。
クリスは沈痛な面持ちで、話を聴いていた。
(一体、何の目的でこんなことを……)
彼女も『神子』エルサイスの名は知っていた。しかしまさか、自分と同じように反逆の汚名を着せられていようとは。
「しかし、奇妙だな。確か、予言に干渉することは四聖国にもできないはずだ。それが本当なら、越権行為になる。
フォルクルス。その情報はどこから?」
情報の出所を確認しようとするクリスに、セリオが聞きとがめる。
「――随分と詳しいな」
「…………っ!」
迂闊だった、と銀髪の剣士は視線をおとす。自分についての身辺調査も行われていることだろうに、これでは疑ってくれと言っているようなものだ。
(フォーレーンの剣士……ねぇ)
しかしセリオはそれ以上、何も言わなかった。代わりに、フォルクルスの声が狭い牢に響く。
「……神殿に、兵士が押しかけたんだ。
姉上は捕まって……止めようとしていた神官も、みんな殺された。俺は神官に身を隠すように言われて、何が起こったか知ったのは全部終わった後だったんだ」
だむっ!
口惜しそうに床へ叩きつけられた、青年の拳は震えていた。
「こんなことになるなら……隠れたりしなかったのに!俺が、俺が姉上をお助けしていれば――」
「無理だろうな」
フォルクルスの悲痛な叫び。それをきっぱりと切り捨てたのはセリオだった。
「お前が出て行ったところで、一緒に捕まるのがオチだ。兵に斬りかかったりしてみろ、それこそお前等を反逆者に仕立て上げるのが連中の目的なら、その手間を省くだけだぜ」
確かに、それが現実だろうな――と、クリスは下唇を噛む。何だか自分のことを言われているようで、ちょっと胸が痛んだが。
「その後に、駆けつけた男達にここへ連れてこられた。
パニッシャーって名乗ってたな。もし姉上の仇討ちをしたいなら、協力しろって言われて。姉上を殺した奴の情報を掴んでいるからって……」
「あんな奴等、パニッシャーなんかじゃねえ!」
憤るセリオを、クリスがまあまあと宥める。これ以上話をややこしくしても、彼が混乱するだけだ。
それにしても。魔導具だろうか、彼の手足のみならず、腕や頭、首、胴回りに至るまで、晶石らしき石が嵌め込まれた鎖で繋がれている。
「……ん?おい、その鎖……見せろ」
「え?あ、ああ」
鉄格子の間から手を出すフォルクルス。その文様を目で追っていたセリオの顔が、みるみる色を失う。
「『我、願うは婚礼の儀、汝、悠久に身を委ね、神韻たる旋律のもと、混沌に抱かれし原初たる誕生を視るだろう』……これは、」
元々血色の悪い彼女の顔色は、いつしか蒼白となっていた。
「っの野郎……巫山戯やがって!」
少女のちいさな肩が、わなわなと震えていた。その度に、黒いローブがぱさぱさと音を立てる。
「セリオ?どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもねぇッ!くそ、悪趣味な真似しやがって……!
これは『魔晶精製』……魔力を持つ媒介から、魔力の塊を結晶化して取り出す為の魔導具だ。それを、こいつに装備させてるってことは――」
それがどんな意味を持つのか。魔法学に疎いクリスにも、ある程度は想像できた。
「つまり、彼から魔力を……?そんなことをして何になるんだ?」
「さぁな。だが、力を集めることで何かを企んでるのは確かだ。
俺達を消しにかかるか、或いはそのフォーレーンの王子を――か」
フォルクルスの話を信じれば、彼も神官家の直系――白き神の末裔。その白い髪からして、嘘ではないだろう。となれば、ゴルダムが彼の持つチカラに目をつけたとして、可笑しくはない。
「もしかして。僕達に、夢を見せたのも……」
「夢?」
首を傾げるフォルクルスに、クリスは例の夢について話した。白い髪の美しい女性が、血の絨毯に臥していた光景。姉上、と叫ぶ誰かの声。それらは、彼の話と一致する。
「確かに……ここにいる間、ずっと姉上のことだけを考えてた。俺を逃がそうとした、姉上のことを……」
このまま魔力を吸われ続ければ、神官家唯一の生き残りである彼も無事では済まないだろう。
それに、ゴルダム派とやらに力を与えることは百害あって一利なし、と思えた。
「……セリオ。どうする?」
言って、クリスは新たな『相棒』の姿を仰ぎ見た。