三、疑惑(16)
月灯りに、森がさわさわとざわめく。それは静かな夜に玄妙さを醸し出していた。
「ち、漸く帰って来られたぜ。あの連中、梃子摺らせやがって」
森の合間にアジトを捉えると、セリオは苛立たしげに大股で進んでいく。しかし小柄な彼女の歩幅では、クリスとの距離がさほどひろがることはなかった。
「セリオ。怪我をしているんだから、ゆっくり歩いた方が……」
そんな背中に呼びかけるクリスの口調は、あくまで穏やかなものだ。彼女は仕方ないな――と零し、セリオの歩調に合わせて歩く。
と、不意にセリオの足が止まった。
「セリオ?」
「……おい、クリス。あれ」
折れそうに細い指が、何かを指し示す。森の中に、異質な輪郭――山小屋だろうか。そこから、人らしきものが出て行くところだった。
「あのマントは……木こり、じゃなさそうだな」
セリオの表情が険しくなる。彼女は物陰に隠れ、宿舎へ向かうその影が通り過ぎるのを待った。
人影が近くを通り過ぎる際、その顔がランプに照らし出される。
「あの野郎……!間違いねぇ、ゴルダムの腰巾着だ」
「ゴルダム?」
聞き覚えのない名前に、クリスは首を傾げた。
「御館様のいねぇ隙に、パニッシャーの親分顔してやがる顔も性根も腐った野郎だ」
幹部たる少女の口から語られたのは、パニッシャーを義賊からただの暗殺組織に変えんとしている人物のこと。セリオは忌々しげに、男の去った方角を睨む。
「あの男はその部下ってことか。
にしても、こんな場所で一体何を……?」
「さぁな。だが――厭な予感がする。
出発の前、あの辺りで灯りが見えた気がしたんだが……見間違いじゃなかったかもな」
二人の視線は、男が出てきた建物に注がれた。どちらともなく顔を見合わせ、ひとつ頷く。次には、よっつの靴がその小屋へ吸い込まれていた。
埃の多さに、思わず咳き込む。クリスはきょろ、と周囲を見回した。
「何もない……な」
生活感どころか、窓も、机も、棚も、道具も、暖炉も。明らかに不自然な程、そこには何もなかった。
「これは――」
セリオはしゃがみ込み、床を叩きはじめる。暫くそうしていたが、ある一点で停止し、クリスを手招いた。
「まさか、隠し通路?」
「かもな。よっ、……と」
がこん、と床の板材が一箇所だけ外れる。そこには黒い穴がぽっかりと空いていた。セリオは銅貨を一枚取り出すと、それを穴の中へ静かに放り落とす。
……………………こん。
銅貨がセリオの指を離れてから音がするまでの時間を考慮すると、二メートル程度といったところか。クリスはそう判断し、先行する旨を告げると穴へ飛び込んだ。
「クリス、どうだ?」
「暗くてよく判らないけど……何か見える」
降ってくる声に、目を凝らすクリス。やがてセリオも降りてきたのを確認すると、行こう、と合図した。
歩く度、床がきゅ、きゅ、と厭な音を立てて軋む。
「……また来たのか。何の用だ?」
突然の声に、驚いて周囲を見回す。そこに動くものを見つけ、二人は駆け出した。
「こんな場所に、どうして牢獄が――」
眉を潜め、クリスは鉄格子を掴む。牢の中にいたのは、細身の青年だった。
「お前さん達は……さっきの連中の仲間じゃないのか?」
「――生憎、あんな顔も根性も悪い仲間はいねぇな」
青年にそう問われ、セリオはしんそこ心外そうに吐き捨てた。
「セリオだ。
貴様こそ何者だ?何がどうして、ゴルダムの腰巾着なんかに捕まってやがる」
「セリオ……か。俺はフォルクルス。
……まあ、姉上の仇を倒す為に、仕方なく協力してるってとこだな」
――『姉上』。
偶然だろうか。アジトで見た夢のことが頭を過ぎる。
「僕はクリス。
協力……という割には、牢に入れるなんて随分と物騒だが。彼等にも、君と共通の敵がいるということかな」
「そういうことさ。
姉上の仇討ちをしようにも、俺ひとりじゃ手立てがないからな」
フォルクルスは俯き、眉間を寄せる。
「厄介な相手ってことか。それなら可笑しくねぇな」
相手が大物であれば、そこに義があるか否かはともかく、パニッシャーに依頼がある可能性は高い。
「ああ。姉上を殺した男――フォーレーン王子ウェルティクスを、俺は絶対に許さない!」
「なんだって!?」
青年の口から紡がれた名前に、クリスは思わず声を荒げていた。