三、疑惑(14)
それから半年あまり。クリスは実力を評価され、セリオと共に様々な任務へ赴いた。
「……彼女が言っていたのは……このことだったのか」
クリスの声は、覇気なく床へおちる。彼女はパニッシャーへ口利きをしてくれた、あの青髪の暗殺者を思い起こしていた。
先々で見る祖国の姿は、あまりに悲惨だった。多くの街から警備兵が消え、かと思えば兵士が民衆から強引に金品を奪い取る。それは、彼女が幼い頃に見た光景によく似ていた。
クリスはヒューズという辺境の村で、幼年期を過ごした。孤児であった彼女を育てたのは、村の老神父。孤児院には他にも戦災孤児が数名おり、貧しいながらも寄り添って生きていた。
騎士とは名ばかりの暴漢に、村が襲われたのは十年前のこと。クリスは村を救った聖騎士リフ=トラスフォードに引き取られ、その後継者として騎士団の一員となった。子供の頃は『騎士』を激しく嫌悪していたのに、運命とは皮肉なものだ。
(もう、あんな目に遭う人達がいなくなるように……騎士になったのにな)
傍らの麗剣は、寂しげに寄り添う。
――やはり僕には、止めることなどできないのかも知れない。
左手を握り、そして開く。救えた命もある、けれど――救えなかったものが、あまりにも多くて、大きくて。
窓に映った銀髪の若者。その面差しは、半年前とは随分異なっていた。
叶わなかった願いが、彼女を変えた。
この剣で総てを守ってみせる――そう信じていた、一途で浅はかな騎士の面影は、何処にもない。代わりにあるのは、信じることも諦めることもできない、中途半端な自分。
「……ぼくは、」
ベッドの上で膝を抱え、髪をくしゃ、と掻き毟るクリス。膝にいくつか、水滴が滲んでは消えた。
王国各地の混乱。しかし、彼女の心に決定打を与えたのは、もうひとつ――偶然、偵察先の兵士が話していた情報だった。
「ラグナやルーイだけじゃなく、ウェルまで――」
白い指先は愛剣を掴み、その両腕に抱き締める。
「僕は……僕は、どうしたらいい……?」
その問いに、答えるものはなかった。
こん、こんっ。
扉をノックする音に、クリスははっとして顔を拭う。
「俺だ。入るぞ」
声はセリオのものだった。クリスが返事をするより早く、扉が開け放たれる。
「……クリス?」
訪問者の表情は、訝しげに歪んだ。クリスは内心どきりとしたが、極力平静を装って声をかける。目を腫らしたままでは、誤魔化せようはずもなかったのだが。
「どうかしたのかい?セリオ。次の任務でも決まったのかな」
「けっ、……白々しい真似しやがって」
セリオは苦々しげに、そう吐き捨てる。それから何を思ったか、片手に持った酒を掲げ、付き合え――と続けた。
「えっ?い、いや僕、お酒は……」
「やかましい、俺が飲めと言ったら飲め!」
彼女の応酬は、いつも以上に横暴だった。セリオはずかずかと部屋に入ると、杯を二つテーブルに置き、葡萄酒を注ぎ込む。ひとつを無理矢理クリスの手に握らせた。
「……………………。
ああ、……有難う、セリオ」
ぎこちなく微笑むクリスに、セリオはふいと顔を逸らす。
不器用な彼女なりの気遣い。それはどんな美酒よりも、温かくクリスの胸を満たした。
クリスはこくん、と酒を喉へ流し込む。熱い――と感じるや否や、ぼうっとした陶酔感が彼女を包んでいた。
「……ほ、へ?」
「なっ……おい、クリス!?」
セリオは思わずぎょっとして、クリスを凝視した。クリスの頬はほんのりと紅潮し、焦点の定まらない瞳が瞬きをゆったりと繰り返す。
「……お前まさか……一口で酔っ払うのか」
そんな声も、クリスの声には届かない。セリオは観念し、椅子に座ったまままどろんでいるクリスに毛布をかけてやった。本来ならばベッドに寝かせたいところだが、セリオの腕力ではクリスの身体を支えられないのである。
「ち、仕方ねぇな。ひとりで飲むか……。
邪魔したな、クリス」
ばたんと扉が閉まる。しかしクリスの意識は、既に闇の中だった。
部屋でひとり葡萄酒を傾けていたセリオだったが、
「この程度の酒じゃ酔えねぇな。蔵で別の酒を探すか……」
そう言って、おもむろに立ち上がった。
貯蔵庫は坂を下った先にある。夜も更けていたので、彼女は魔法球を生み出し、ランプ代わりとした。
「――ん?」
ふと、彼女はあることに気づく。酒蔵の向こう、森の一角に、一瞬、光のようなものが見えたのだ。
思わず目を擦ってみるセリオ。しかし、改めてその場所を見るが変わった様子はない。
「気の所為か……ち、無駄な時間を食った」
気を取り直し、彼女は酒を物色しはじめるのだった。