二、パニッシャー(13)
かん、と乾いた音。次いで、靴が地をたたく音が二対。
怒りに燃えるマーティンの瞳を、未だ静謐を保つ紫電の眼差しが射抜く。
(この優男……本当にこそ泥か?)
クリスの瞳が持つ強いヒカリに一瞬気圧され、マーティンは下唇を噛んだ。
「――はっ!」
クリスは高く跳躍し、上段から斬りつける!
「ふははははッ……食らうか!」
剣を盾に、クリスの一撃を受け止めるマーティン。
彼女の腕が、痺れに僅か軋む。く、と短い呻きが漏れた。
(両手剣……だったら、)
ばっと横に飛び退き、今度は横からのひと薙ぎ。
「おっと。そんなものを、この私が食らうと思ったかね!」
再び重なる金属音。しかし瞬きの間に、クリスの姿はマーティンの視界から消えていた。
「――どうかな?」
しゅんっ!
「ぐ、……は……」
思わず、フランベルジュを握る男の手が緩んだ。鳩尾には、錆びた鉄にも似た染みが滲む。
間髪入れず、クリスの剣線が優美な弧を描く。狙いは――剣の、鍔。
妖しいシルエットを持った剣が、回転しながら宙を舞う。
「しまった……!」
クリスの麗剣が、得物を失ったマーティンの脚を浅く切った。
そのとき。
地響きにも似た咆哮が、周囲を覆うのを二人は感じ取る。
……こおおおぉぉぉぉぉぉぉ………
そこには、虚空に両手を掲げるセリオの姿。
夜空は真昼のように明るく反転し、そこに――場違いなまでに黒い『月』が、姿を現した。
「な、何……だと?」
『悪魔』の指先がゆったりと、男の方向を指し示す。
「――ゆけ、」
主の命に応え、その巨大な『月』が触手を伸ばし――じわり、じわりとマーティンを捕食していく。
「う、うわ……やめろ、やめ……ぐわぁぁぉああっ!!」
ばすんっっっ!!!
黒い球体が、凄まじい爆発音と共に破裂した!
「わ……っ」
凄まじい音と爆風に、クリスはきつく耳を塞ぎ、両足を踏みしめる。
……ひゅぅ。
爽やかな微風が、その後を追いかけていった。
意外にも、この騒ぎが城主の耳に入ることはなかった。
あのマーティンという男、ノルンの騎士団をクビになって傭兵業を営んでいたものの、その居丈高な態度と怪しい風体で、雇い主からの信頼はほぼ皆無だったらしい。部下は『パニッシャー』の姿を見るなりこっそり逃げ出してしまっていたので、任務の手筈は殆ど狂わなかったという。
セリオの手腕は、とても見事なものだった。
城主は微酔い加減で毒入りの酒を煽り、苦しみだしたタイミングで屋敷に催眠薬の霧を噴く。全員が眠りに落ちた後、それぞれを始末すればいい。これで――助けは呼べない。
「ファング……だったっけ。
いい予行演習になったし、彼に礼を言わないとな」
両手剣の使い手、ファングと手合わせをしたのは昨日のこと。
戦い方は全く異なるものの、同じ武器を扱う相手で『予行演習』ができた僥倖に、彼女は深く感謝した。
「ま、お疲れさま」
無感動にそんな言葉を投げかけるクリスに、セリオはああ、と返してくる。心ここにあらずといった感じで、ぼんやりと紅い月を眺めていた。
少し眉を伏せ、ぽつり、と漏らす。
「クリス、だったか。――甘いな」
「……。何のことかな」
そんなクリスの態度は、とぼけていると映ったのだろう、セリオは、ばっくれんじゃねぇ――と吐き捨てる。
「あの男、……殺せたろうが。
態々(わざわざ)腱を断つなんて面倒くせぇ真似して、何のつもりだ?」
「さぁ。どうだったかな」
あくまで笑みを崩さないクリスに、セリオはひとつ舌打ちをすると、肩をすぼめるのだった。