二、パニッシャー(12)
窓を挟んで、男の声が飛んでくる。
「ふ、運のいい奴等だ」
真の実力者は、運を自在に引き寄せる。それは、男には考え及びもしないところだったろうけれど。
用心棒は熊のような巨漢――ではなく、細身で長身の優男。金の巻き毛に、血のような紅いマント。動きにくくないのだろうか、各所にじゃらじゃらと金細工の装飾品を纏っている。長髪を気障な仕種で掻き上げてみせるが、そこに気品は微塵も感じられなかった。
「城主が雇った傭兵か……」
どちらともなく、ちいさく嘯いて。クリスとセリオはひょいと窓から飛び出す。
「ふ…傭兵、なんて無粋な呼び方はやめて呉れ賜えよ、ドブ鼠共。
誰から雇われた?それさえ吐けば、命だけは助けて遣らんこともない」
金髪の男はふん、と鼻で嗤って、肩を竦める。動作のひとつひとつが大仰で、芝居じみた印象を与えた。
「傭兵は傭兵だろ。」
がくし。
確信を突いたセリオの台詞に、ものの見事、男は突っ伏す。
「――ふ、ふ、ふふふふふふ……っ。傭兵……?この私を、傭兵風情などと……」
クリスは、あ、と思わず漏らした。世の中には言ってはいけない単語というものがある。そしてそれは大概において、図星を突いているときなのだ。
かく言うクリスにもそんな『禁句』の類は存在していたし、幼いころ、それを指摘した相手を幾人もノしたことがある。
「セリオ。……何だか、気にしていたみたいだよ」
「あ?知るか。じゃあどう言やいいんだよ。
ただの傭兵じゃねえか」
がくがくと、男の肩が小刻みに震える。この人物にとっては、『ただの傭兵』と称されることが、屈辱に値するものであったようだ。しかし当然、代替となる単語など思いつくまいが。
「ふ……ふふふふ……小娘、私を愚弄するとは好い度胸――む?」
薄気味の悪い肩笑いをふと止めて、男はセリオをまじと注視した。
「セリオ、だと?」
「……?彼女を知っているのか」
パニッシャーの『四天』ともなれば、やはりノルン界隈では有名なのだろう、そう踏んでのことだった。
しかし、男の返答はクリスの思惑を裏切るものだった。
「貴様――まさか、ヴァレフォール伯爵家の……?」
ぴくん。黒いフードの下、眉が跳ねる。
「……く……ッははははははは!!傑作だ!
あの家から『悪魔』が生まれたとは聞いていたが――成程、生きていたのか。しかしノルンの名門一族から、よもやこそ泥が現れるとはね!!!」
途端腹を抱え、大笑いを始める金髪の男。
「て、めぇ……」
少女の貌が――色を生す。
「――……黙、れ……」
ぎらり、強い真紅の炎が揺らめく。ローブが小刻みに震えていた。
「おや?これはこれは。家の話はされたくないようだね。
構わないが、一族から名を消された落ち零れ娘に、私を倒せるとでも?」
嫌らしい笑みを浮かべ、男は恭しく剣を抜く。手には火柱に似た波状の切刃を持つ両手剣、フランベルジュ。血を裂き肉を断つという、おぞましい剣だった。
嘲弄するような物言いに、クリスもまた吐き気を覚えた。
「……名前は?」
掌に魔力を集結させ、セリオはゆっくりと、男に視線を向ける。
そのちいさな両手の中で、黒い稲妻が飢えた猛獣のように、獲物に飛びかかる機会を狙っていた。
「私の名かね?そんなことを訊いてどうするのかな?
蝶のように舞い、蜂のように指す!戦場に咲く真紅の貴公子、紅い薔薇のマーティン――それが私の……ごふぁっっ!!?」
紅い薔薇のなんとやらは、闇の獣に身を灼かれ、派手に宙を吹っ飛んだ!
「名乗りが長い。」
御尤もである。
「貴様ァ……っ!」
吹っ飛ばされたことに対してか、それとも名乗り口上を中断させられたことに怒りを覚えたのか。マーティンは憤怒の形相となり、剣の切先で弧を描く。剣は虚空を斬ったが、鈍色の光が彼女の肩を切り裂いた。
「く……ッ」
単なる面白い男かと思ったが、雑魚ではないようだ。
彼女は嘲るよう一笑すると、再び黒い魔力塊を掌に収束させる。
「けっ、魔法剣か。
いい武器だが、武器に頼るようじゃ大したこたねぇな」
魔法剣――武器に導師が魔力を込めた、特殊な武器。
マーティンはふんと鼻で嗤うと、もう一閃、光を放つ!
螺旋を描き魔力の光が『悪魔』に襲い掛かるも、彼女はその黒い塊を一瞬、放射線状に開放する。光は蜘蛛の巣のような闇に全て絡め取られ、喰い潰されるようにして――掻き消された。
「甘い!」
と、魔力が消滅した瞬間、身軽に彼は跳躍し、ちいさな『悪魔』目がけて剣を振り下ろす!
黒衣の隙間から、紅いシャワーが勢いよく飛び散る。
「く、は……っ」
かるく血を吐き、よろける。かなり深く切ったのだろうか、黒いローブがずぷずぷと彼女の血を吸うも、出血の勢いに勝てずぱたぱたと大地を濡らしていた。
「貰った!!!」
眼前で剣をくるりと回転させ、マーティンが突進する!
その軌道を塞いだのは、クリスの麗剣だった。