二、パニッシャー(9)
パニッシャーは、軍事大国ノルンを中心に活動する暗殺組織である。
その発足は十数年程前。ノルン地方一帯を、大地震が襲った頃だった。
被害は甚大で、多くの国民が犠牲になったという。当時のノルン国王も命を落とした。
それからというもの、ノルンの治安は悪化。王政の混乱をいいことに、各地を治める貴族は民衆に重税を課し、若い娘を連れ去り、暴虐の限りを尽くした。
貧困に喘ぐ民衆を見かね、ひとりの男が立ち上がる。
男は悪名高いゲラード伯爵の屋敷へ乗り込み、たったひとりで伯爵の暗殺に成功。奪い取られた金品を人々へ返還したとされる。
男の名は、バラックといった。
横暴な領主に苦しむ民衆にとって、バラックは救世主だった。やがて、彼に共感する者がひとり、またひとりと増え、いつしか現在のパニッシャーとなったのである。
しかし、首領バラックは現在行方知れずとなっている為、組織のリーダーは義理の弟である若頭ディック。
そして、彼に組織きっての実力者――『策士』ラゼル、『悪魔』セリオ、『刀牙』ファングを加えた四名が、『四天』と称されている。
かくして。
その四天がひとり――刀牙ファングと、何故だかクリスは対峙していた。
「……ええと。何がどうして、こういうことになっているんだろう」
剣――といっても、ただの木刀ではあるが――を構えながらも、釈然としないクリス。
ファングと呼ばれた男は、大きな両手剣を持つ割には小柄であった。背丈ならクリスの方が若干高いだろうか。
こちらもまた、手に持っているのは木刀である。
「ラゼルが連れてきたんなら、多少は楽しめるんだろうな」
く、と喉で笑い、ファングはクリスを睨め上げる。それはさながら、飢えた獣にも似ていた。
「……まあ、いいか」
ギャラリーに徹しているラゼルからも、問いの答えは貰えそうにない。そう判断すると、クリスは紫紺の瞳を鋭く、細める。
――行くよ、と。その唇が紡いて。
たん、と地を蹴る軽快な音。それを合図に、ファングも駆け出していた。
「おらぁっ!!」
ぅぉんっ!
クリスとの距離が詰まると、手にした木刀を大振りに振り下ろす。
即座に左へ跳び、クリスは素早く反撃へ移った。相手の一瞬の隙を衝き、頭部目掛け木刀の一閃を見舞う。
ファングは頭を沈め回避すると、相手に顔を向けることなく木刀を横に薙ぎ払う。
「――っ、と。……重い、な」
すとん。クリスは身軽な所作で後ろへ跳躍し、ファングの攻撃を遣り過ごした。じ、と間合いを計り、構えを正す。
細い剣先によるクリスの剣も合間に放たれる蹴りも、正確に狙いを定め、ファングを捉えていた。
(ち、遣り難い相手だぜ……)
何度か、木の軋むような音が重なって。
再び対峙した二人は、今度はどちらも動こうとはしない。
互いに相手の出方を伺っていた二人だが、先に痺れを切らしたのはファングの方だった。
一気に間合いを詰め、下から上と、木刀を斬り上げる。
回避したクリスを、勢いを殺さず更に追撃するファング。
相手の刀身に自らのそれを重ね、受け流すクリス。しかし、強い衝撃に僅か、左手に痺れを覚えた。
クリスの木刀がファングの眼前に弧を描く。
それを牽制とし、すかさず身を沈め右手をとん、と地へつき、独楽の要領で足払いを繰り出した。
視界一杯にあった木刀に気をとられ、ファングは足元のバランスを崩しかける。何とかその場を飛び退いた彼は、ち、と短く舌を打った。
大剣を得物とするファングは、相手の舞うような動きに追随できず、翻弄されるかたちになってしまう。
しかし、相性が悪いのはクリスにとっても同じこと。
身軽さを身上とする彼女の一撃一撃は、真剣でないということもあり、ファングの動きを牽制する程度の意味しか成さなかった。屈強な鎧や肉体を持つ訳ではない彼女にとって、頑強な体躯とタフな体力、一撃の破壊力を持った彼は戦い易い相手とはいえないだろう。
そうして対峙し、幾度目だったろうか。
再び斬りかからんとするファング。しかし、それを中断させたのは、ラゼルによる制止の声だった。
「もう、その辺にしとき」
ディックと共に塀の上から高みの見物を決め込んでいたラゼル。彼はひょいと飛び降りると、やれやれと肩の位置に両手を挙げてみせる。
「おどれ、苦手な相手やったら程ほどでやめればええんに。
なぁーに意地張っとんねん」
はう、と溜め息ひとつ。それからファングの脇腹を示し、
「さっき貰うとったんやろ?それが悔しかったんか?」
くくくっ、と含んだ笑みにからかい口調で、ラゼルは手合わせの際に防ぎ損ねた、脇腹の痣を指摘する。
「なかなかやりよるやんか、新入り」
満足げに頷くラゼルに、クリスは困惑の面持ちで僅か、首を傾げたのみ。
暫し憮然とした顔でラゼルを睨んでいたファングだったが、やがてその肩を掴み、邪魔そうに押し退ける。
「おい、新入り。お前は、フォーレーンの出身だったな」
「え?あ、ああ……まあ一応」
曖昧なクリスの答え。それで足りたのか否か、そうか――と短い返事が返ってくる。
それから続く彼の問いかけに、クリスは思わず絶句するのだった。