二、パニッシャー(7)
ことの発端は、およそ半刻程遡る。
ふたつの足音が、穏やかな笑い声と共に廊下を進んでいた。
「ラゼル兄ちゃん。新しい人が入ったんだってね」
足音のうちひとつは、あどけない面差しの少年、ディック。魔法士と思しきローブ姿ではあったが、晶石の装備は見られない。銀の耳飾りが、かしゃんと揺れて啼いた。
「おお、坊もまだ会うてへんかったな。
何でも、全部のトラップ回避しよったらしいで。そこそこ使えるんちゃうか」
「へぇ、凄いなぁ!この間の人もそうだったんでしょ?」
ディックは感嘆の声をあげ、きらきらと大きな瞳を輝かせる。
「せやな。しっかし、坊はホンマ無邪気やなー」
子犬でも相手するように、ぐしゃぐしゃと少年の髪を撫でるラゼル。
少年はもう、とふくれて、乱れた髪を整えた。
「ん?何か忘れとるよーな……
まあ、ええか」
頭の隅に何かが引っかかり、腕を組み、それから自分の青い髪を弄ってみる。しかし思い出せず、ラゼルはあっさりと思考を放棄した。
がちゃっ。
少年のちいさな手が、部屋の扉を開ける音。
ラゼルはそこで、ふとあることに思い当たった。
「あ。」
しかし、もう時既に遅し。
扉の向こうに飛び込んできたのは、
「なっ、……!?」
「…………は?」
ふたつの声がハモる。
ディックは持っていた魔道書を取り落とし、口をぱくぱくとさせたまま言葉を告げずにいる。その顔は熟れた林檎のような朱に染まっていた。
そう。
二人の視界に飛び込んできたのは、こともあろうにセリオの着替え現場。
普段は黒いローブで体型どころか、顔も殆ど見えないのが常である。が、色素の極端に薄い肌も、肩におちる蒼銀の髪も、華奢な肩も、胸のふくらみも、背中から腰、脚へと流れる曲線も。今は露になっていた。
「え、セリオさ、僕、……えっ!?」
部屋を間違えた訳ではないことを確認する少年。普段、自分が使っている部屋である。間違えようはずがなかった。
「せやったせやった。
ここんとこ、新入りが何人か入ったっちゅーたやろ。そんで、坊の部屋、セリオが使うことになってん。すっっかり忘れとったわ」
あっはっはー、と、悪びれた様子もなくのたまうラゼル。
「えええっ!?僕、そんなの聞いてないよ!」
「せやから、今言うたやろ?」
そういう問題ではない。
「しっかし……ボーズみたいな格好しよるから判らへんかったけど。
何や、出るトコはちゃんと出とるやないか」
真っ赤になってセリオから顔を背けたディックとは対照的に、ラゼルはまじまじと彼女の身体を眺めている。
ばちっ。
「…………言い遺すことはそれだけか」
黒い球体がセリオの掌中に生まれ、ぱちぱちと跳ねるような音が混じる。
「な、なんや、えらい物騒やな」
へら、と浮かべた笑みを引き攣らせるラゼルの後ろ、ディックは早々に足音を忍ばせ、そこから逃げ出していた。
「――死ね」
そうしてラゼルは、黒い爆炎から小半刻、逃げ惑うことになったのであった。
アジトの建物と一部のメンバーに甚大な被害が及んだことは、述べるまでもない。