盛夏の夜行
ふっと目が覚めた。
何か賑やかな音を聞いた気がするが、僕しかいないこの寝室は静かなものだ。聞こえるものといえば、壁に掛けたアナログ時計の針の音くらいなものである。外からも、車の走行音一つしない。
時計を見上げると、針は午前二時を指し示している。この時間に五月蠅くする者はそういない。やはり気のせいか、覚えていないが夢の中の音だったのだろう。
もう一度布団に潜って眠ろうとしたが、妙に目が冴えてしまった。
おまけに小腹も空いてきた。僕は布団の中で少し考えてから、思い切って近所のコンビニに行くことにした。歩いて帰ってくれば、程良く疲れて眠れるかもしれない。
スマートフォンだけをポケットに入れて、玄関を開ける。エアコンの効いた室内から外に出ると、むわっとした湯気みたいな空気が全身を包んだ。
ここ数日は熱帯夜が続いていて、エアコンなしでは快眠はできないほどだ。ことによっては熱中症になりかねない。
しかしそうでなくとも、この暑い空気は気持ちが悪い。肌に纏わりついて、振り払うこともできないのだ。僕は夏のこういうところが嫌いである。
コンビニまでの道中は、本当に静かなものだった。もう夏休みに入っているから、夜中であっても多少人は出歩いていると思っていたが、誰一人として擦れ違わない。
僕はコンビニでスナック菓子と水を買い、店を出た。
人っ子一人いないのを良いことに、歩きながらスマートフォンを取り出す。夜闇の中、一際明るい画面を見つめ、SNSの画面をスクロールしていく。世の中の他愛ない話題はこんな時間でも大量にあって、何とはなしに眺めた。
シャラン……シャラン……
何か音が聞こえて、足を止める。画面から顔を上げて辺りを見回すが、僕以外に人の気配はない。
ただの暗くて静かな住宅街だ。来る時と同じく、人影どころか車や自転車すら通っていない。
気のせいだろうと、僕は視線をスマートフォンに落として歩を再開させた。
シャラン……シャラン……
しかしすぐにまた、同じ音がした。
もう一度周囲を見るが、誰もいない。何もない。
鈴のような、しかしそれとはまた違う、淡く静やかな楽器らしき音。夜の闇を掠めるような、祭囃子を遠くから聞いているような、そんな音だ。
僕は怖くなって、SNSで面白い話を探しながら足を速める。少しでも気を紛らわせて、一刻も早く家に帰り着きたい。
その瞬間、視界が一気に明るくなった。
電気ではない、提灯や行灯のような和紙を通した炎の明かりだ。それ等が沢山集まって、辺りを照らしている。
それと同時に、肌の上をひんやりとした空気が滑る。ぞっと全身が粟立って、上手く息が吸えなくなった。
そして背後から前に向かって、何かが大勢行き過ぎていくのを感じる。目に見えない川の流れに呑み込まれたような感覚だ。
それに、耳には大きな音が響いている。どんちゃんと楽器らしき音が幾重にも重なり、音楽とは呼べない程の滅茶苦茶な音だ。先ほど聞いた、鈴に似た音も交ざっている。どこか楽しげなのに、どうしてか恐ろしさが際立って聞こえた。
しかしそれは、一瞬のことだった。数秒もすると、僕はただ一人、元の暗く静かな道に立っている。
背中が汗でぐっしょりと濡れていて、気持ちが悪い。僕は呆然と、そこに突っ立っていることしかできなかった。
『――キミ も イッ ショに ク るかイ?』
耳元で、途切れ途切れで雑音交じりの声がした。
その瞬間、僕は弾かれたように駆け出した。
あの声に返事をしてはいけない――そう本能的に感じて、痛くなるくらい口を引き結んだまま一直線に自宅まで全力疾走する。玄関に飛び込み、鍵をしっかり閉めて頭から布団を被った。
先ほどの声と賑やかな音が、鼓膜にこびりついて離れない。それが記憶の再生なのか、実際に外で鳴っているのかは定かでなかった。
*
あの日から、夜に外を出歩くのが怖くなった。
僕を追い越していった気配は何だったのか。あの声や音は、誰が発していたものだったのか。
それは、今でも判らないままだ。




