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夢と涙とロックンロール

作者: 曲尾 仁庵
掲載日:2026/06/15

 はらはらと桜の花びらが舞う学び舎の前で、僕たちは誓った。

 決して夢をあきらめないと。




 卒業式が終わり、会場から今日の主役たちが吐き出されていく。会場の外では、門出を祝う後輩に囲まれ、あるいは別れを惜しむ同輩たちと語らう人々が輪を作っている。人ごみを避け、少し離れた場所で僕は、そんな光景をぼんやりと眺めていた。自分にはない風景。うらやましくはあるが、あの輪の中にいたいとは思わない。


「よう」


 やや控えめに、僕の右ひじ辺りを叩いて、彼は背後から僕に声をかけた。彼もまた、惜別の儀式とは無縁の男だ。僕は振り返ると、軽く手を上げて彼に応えた。


「ついに、卒業だねぇ」


 名状しがたい感情を込めて、僕は彼にそう言った。実際にはそれほど感情が動いているわけではないが、その場の雰囲気にふさわしい言葉というものがある。白々しさを見透かすように彼は呆れ顔を作って、


「そうだな」


 と答えた。そして、何かのかたまりを吐き出すように大きく息をつくと、僕に言った。


「これから、どうする?」


 ――サアァ


 不意に、強い風が吹き抜けた。風は木々を揺らし、花びらを空に舞い上げた。風に驚いた悲鳴、そして風が収まった後の安堵の笑い声が辺りに満ちる。

 僕らの未来がいまだ何色にも染まぬものであることは、お互いに知っていた。夢を見て、夢を望む僕らは、現実に妥協することを拒んでいた。


「……僕は」


 木陰から日向に集う人々の群れを眺めながら、僕は言った。


「あきらめないよ。やっぱり、夢だから。難しいことは分かってるけど、それでも、あき

 らめなければ夢は叶うって、信じてるから」


 そっか、とつぶやいて、彼はそれきり黙った。僕は彼のほうを向くと、


「……君は、どうするの?」


 と聞いた。彼は少し苦笑気味に笑いながら、僕に答える。


「……同じだよ。やっぱ、諦められないよな。夢、だもんな」


 お互いしょうがないよな、とでも言いたげな彼の視線に僕も苦笑する。本当にしょうがない。きっとこの世には数多の未来があるというのに、なぜ好んで実現しそうにない道を選んでしまうのか。なんだか無性におかしくて、僕たちは声を上げて笑いあった。


「なりなよ。ロックンローラー。絶対な」


 ひとしきり笑って、いい加減笑い疲れて咳き込んだ後、僕は彼にそう言った。夢を追い続けるのは、時にひどく辛い。でも、自分の他にも頑張っている誰かがいれば、それだけで頑張れる。夢を追っていける。


「……ああ」


 僕の言葉に神妙に頷き、彼は決意を秘めた表情で顔を上げた。


「オレはここに誓おう! 決して夢を諦めないと! オレは必ずロックンローラーになる!」


 芝居がかった仕草で天を掴み、そのまま彼は僕を指さす。


「さあ、お前もここに誓え! お前の夢を! お前の未来を!」


 僕は強く頷いて、彼の言葉を継いだ。


「僕もここに誓う! 決して夢を諦めない! そして二人の夢が見事かなったそのときは、再びここで会おう! 胸を張り、僕らの夢の形を見せ合おう!」


 僕は彼に力強く右手を差し出した。彼はしっかりと僕の手をとり、僕たちは固い握手を交わした。


「……次に会うときは、夢の向こうだ」

「楽しみにしてるよ。未来のロックスター」


 僕の言葉に照れて少し吹き出した彼は、破顔して、


「こっちこそ、楽しみにしてるぜ。未来の」


 左こぶしで軽く僕の胸を叩いて、言った。


「戸籍係長殿!」




 桜の木の下で彼と別れたあの日から、十年の月日が流れた。僕は地方公務員試験に合格し、地元の市役所に勤めることになった。そして、様々な部署で経験を積み、ついに戸籍係への配属を勝ち取る。後は係長へと昇りつめるだけ――僕は夢の手応えを確かに感じていた。

 そんなある日、ずっと音信の無かった彼から手紙が届いた。上京し、ずっと夢を追い続けていた彼が、今度地元に戻ってくるという。


『会えないか? あの、約束の場所で――』


 手紙に書かれていたその言葉に、僕は胸が熱くなった。あの場所で再会する、それはつまり、彼は夢を叶えたのだ。ロックスターとして彼は帰ってくる。僕は急いで返事をしたため、ポストに投函した。連絡先を教えてもらってはいないから。そして、約束の日、僕らは十年ぶりに再会した。




「久しぶりだな」


 季節は初夏を迎え、葉桜の緑が目にまぶしい。ギターを抱え、革ジャンにジーンズ姿の彼を目の前にして、僕の胸に懐かしさが込み上げる。そう、彼はいつも形から入る奴だった。


「変わってないな」

「バカ、変わったろうが。跡形もないわ」


 サングラスを少しズラしてこちらをにらむ彼に僕は思わず吹き出す。彼は不満そうに鼻を鳴らした。


「そっちは? 夢は叶ったか?」


 表情を改め、彼が問い掛ける。僕は彼をまっすぐに見つめた。


「戸籍係に配属されたよ」

「そうか!」


 彼が近付き、僕の肩に手を置く。


「頑張ったんだな」


 思いのほか直球の称賛に、僕は曖昧に笑った。背中がこそばゆい。


「君は――夢を、叶えたんだね?」


 今度は僕が問い返す。彼はにやりと笑い、僕に背を向けた。


「東京は、すごかったよ」


 彼は空を仰ぐ。空は青くどこまでも広がっている。


「いろんな奴がいた。どいつもこいつもバカばっかりだった。どいつもこいつも大真面目に夢を語りやがる。愛を語りやがる。照れたりしねぇ。迷いもしねぇ。全力で、前しか見ねぇ。そんな最高のバカばっかりだった」


 彼はこちらを振り向く。サングラスを外し、ポケットに入れる。


「夢を叶える奴ってのはさ。たぶん、自分の『好き』を疑わねぇ強さを持ってんだよ」


 彼はギターを取り出し、ジャン、と弦を弾く。


「俺は見つけたよ。あの都会(まち)で、俺の居場所を。魂の在り処を。誰が否定しようと、俺は俺の『好き』を貫く。それが俺のロックンロールだ!」


 彼のギターが激しく音を奏で始める。世界を圧倒するような音の波――


「――聞いてください。『胸きゅん☆はぁとDE恋シテル』!」


 教室を出ていく

 あなたはいつも

 友達とはしゃいで

 笑って


 気付いてないでしょ?


 教室を出ていく

 あなたをいつも

 見つめていて

 ひとり


 気が付けば探してる


 笑ったら仔犬みたいで

 怒っても全然怖くないの

 悲しそうなら胸が苦しい

 楽しそうなら So Happy!


 振り回されてる

 Crazy For You!!




 気付いてよ、ねぇ?

 この想い、受け止めて

 知らないふりをしないで

 こっちを向いてよ

 声を聞かせて

 ドキドキが止まらないの

 大好きだって言わせてよ

 あなたが上手にリードして


 臆病になる

 立ちすくむ

 今日も目が追う

 あなたに

 胸きゅん☆はぁとDE恋シテル!!




 ギターが余韻を奏で、大気が震える。やりきった、そう言うように彼は右手を天に掲げた。気が付けば僕は、力いっぱいの拍手を送っていた。


 ああ、そうか。


 僕は気付いた。ロックは死んだ。今、この瞬間に死んだのだ。彼が東京という街で見つけた居場所は、魂の在り処はきっと、メイド喫茶だったのだ。

 僕は惜しみない称賛を込めて拍手を続ける。彼は照れたように笑った。


 なぜだろう、涙が、止まらなかった。



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