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小さな時間

作者: 雑記帳
掲載日:2026/02/26


小さな庭で残った段ボール箱と勝負しているとアイツがやってきた。

いつも、どこからともなくふらっとやってくる。


今日も、

「おう、元気か」

気にかけているんだぞ、的なセリフを投げて小さな庭をするり抜けて入ってくる。


私は火にかけていた鍋の中を覗きにいく。

湯の量は…と見て気づく。


いつもの癖で、二人分を沸かしていた。



「忙しいのか?」


アイツは入り口で庭先に視線をやったまま聞いてくる。


「全く。全然」


答えて目を上げ、指で奥を指す。

「入りなよ」


彼が奥へ歩をすすめたのをみて、おもむろに出したカップにインスタントコーヒー

を入れて湯を注ぐ。

数年前から夏の間もずっとホットだ。


コンロの前でコーヒーを湛えたカップと砂糖のスティック袋を数本出して

適当に盆に乗せていき、奥の小さなテーブルの上に運ぶ。

脇の小棚の引き出しから木のスプーンを出して、カップに直にさし、

テーブルのこちら側の岸に腰をかけ、カップを持ってくる。


「そっちもよっぽど暇らしいね」


立っているアイツに声をかけ、コーヒーを向こう岸に押しやると、

アイツも粗末な木の椅子を引き寄せ、ようやくゆっくり漂着する。


「まあな」


「私も暇で暇で」


「そいつは仕事を辞めたお前の問題だな」


いつも通り同情はしない、とばかりにため息をついてくる。

「庭で何やってんだ?」

「片付け。

あのね、事実を言えるだけ、これでもマシになったんだよ」


「ふうん、それはそれは」


聞いているのかわからない声を出して、しかし半笑いしながら

スティック砂糖の二つ目をあけている。

いつも思うがかなり多めの砂糖量で心配になる。



「…暇ってだけでなんで当たり前みたいにくるかな?」

「悪いか?」

「まさか、悪くないと思う?」

「ま、それはお前の意見だから」

「あんたは自由すぎるんだから。いつか忙しくなってお断りしてやるわ、みてなさい」

「はいはい、なれたらな」

「ちょっと、私にだって断る自由ってもんがあるんだからね!」

憎まれ口を叩きながらもアイツのおかげで、ひねくれ者の寂しさが心の奥へ影を潜めていく。


まあ、いいか。やってきて留守なら留守で、なんとかするんだろうし。


静けさにまともに首を絞められないだけ、アイツの訪問にも感謝するべきかな。

「あんたは仕事のほう、落ち着いた?」

「相変わらず、それなりに忙しい」

「でも今日は暇なんだ?」

アイツはとても甘いだろうコーヒーを、慣れた手つきで口に運んでいる。


「この先ずっと暇になるはずだったけど。

手術がはいったわ」


両肘をつき、所在なくさじを回していた手が、一瞬止まった。

アイツの顔を見てるとつい、口がすべってしまった。

言いかけたことをしまい込むことは日常、無数にあっても、こんなことは珍しい。

この身に病変が起きることと同じくらいに。

私の体、…口までもが反乱開始か。


「お前がか?」

「うーん、だけど早期発見、普段の行いが違うってね」

笑ってみたが、出てしまった言葉を捕まえられない。


アイツは真顔で席を立って、部屋の奥へと入った。

そこには無宗教だが簡単な祭壇を作ってある。

まるで遺影らしくない、エプロン姿で仕上げたばかりのマフラーを手に笑う母の前に、まだ供えたばかりの花が微かな香りを撒いている。


笑顔の写真はあまり無く、私が一番好きな写真を選んで置いた。

もとより体は弱く医者によく世話になっていたが、関係ない心臓の発作で思うより唐突な別れだった。


アイツは慣れた手つきで、線香をとると揺れる灯から火をうつす。


「あれからまだ…三ヵ月だ」


「…もうちょっと余裕でいられるつもりだったんだけど。あの時は取り乱しちゃってごめん」



写真に向かって手を合わせてから、アイツはゆっくり元の椅子に戻ってきた。


「まあだけど、人間いざとなったら強いもんよ。なんとかなるもんだね」


「いつ?」

「え?」


不意を突かれて傾けかけたカップが止まる。


「入院、するんだろ」

「うん」


反応にちょっとまごついた。


「あの病院は慣れてるとこだし、すぐ帰るよ」


「自分が世話になる方は慣れてないだろ」

「…」


何て答えりゃいいんだろ。

確かにこんな立場って慣れてない。

カップにつかまったまま、くちびるは岸を離れられないでいた。

「いや…」


アイツはそれきり言いかけた言葉を忘れたように、スマホを取り出して、

何か確かめている。


「ま、日が決まったら知らせてくれ」

「へ?」

奇妙に裏返った声が耳を直撃した。

「ああ、うん」

とりあえず、急いでうなづいた。


「でも、なんで?」

「そりゃ入るときや出るとき、なんだかんだあるかもしれないだろう。誰か頼めるやつでもいるのか」

「まあ、その、」


こりゃ珍しい、荷物でももってくれるつもりかな?


「赤い雨が降る、だっけ」

母さんはそう言ってたっけ。


「ん?」

アイツはスマホから目を上げる。


「…なんでもない、ありがと。…あ、片づけちゃったらそろそろなんか作ろうかと思ってたんだけど、どう?ついでに食べてく?」

「いや、これから知り合いに会うから」


「そう。あ、せっちゃんに会ったらこの前のお礼言っといて、留守ばかりで会えてないんだ」

「いや、…あいつには俺も連絡つかないんだ」

「そう、あの子も最近大変みたいだからね」

お互いと、昔の共通の知り合いの近況をポツリポツリと伝える。


入り口脇の室外機のそば、話題は空調の異音問題に移り、

「暗くなってきたか」


ふいにアイツが言うので戸口に出て見上げれば、向かいの平屋の屋根からのぞく雲がそうとう分厚くなったようだ。



「ああ、今日もまたざっと降るのかなあ。洗濯物そろそろ入れなきゃ」


「じゃ、またくるわ。連絡よこせよ」

「うん」


アイツはきた時のように、そのままふらりと戸口をぬけ、小さな庭をするりと後にした。


私はそれを見送り、そっとドアの鍵を閉めた。



テーブルに残る2つのカップ。とうに冷えている。


今そこにいたのが母じゃないことが、見慣れた絵がすり替わったことに

突然気づいたような、一瞬不思議な違和感になる。


まだ、生とか死とか、お互いの間に起きたことが、本当は

霧の中の出来事のようにも感じる。

自分のことすら、何かよそ事で距離があり、ぴんと来ていないのかもしれない。


体調異変に病名を告げる医師の前からずっと、一人で夢を泳いでいたかのように

おぼつかない時間が、連絡をする予定、というものができてやっと

自分の現実になったような気がする。


空のカップはコーヒーの代わりに薄い影を湛えていた。


私はいつものごとく、胸をよぎるモノを、よく知らないふりをして

洗い場に運んでしまう。

少し熱めの湯を流して、こびりつき、こぼれそうになっているかも知れないモノを、

ただ目に映しながら洗い流していく。


時々、かすめる冷たい静けさを、気が付くとこういう訪れが外に追いやっている。


…アイツは神さんの使いかも?

ふと そう思い浮かんで思わず自分で笑った。


昨日、検査の結果がでたばかり。

「いや、母さんに心配かけてたのかな」




庭の段ボールの残りは明日片付けよう。


勝負のついたものだけガサガサと音をたてて集め、ヒモでまとめて壁にたてかける。


庭先で、取り込んで抱えた洗濯物から伝わる熱が気づけば少しぬるくなっていた。

鼻先をくっつけて陽の名残りを吸い込むと


いつのまにか、秋の虫の声が響いていた。





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