最後のお掃除
その告知は食堂掲示板の一番下に貼られていた。紙の色は白く、文字も小さい。誰かの異動や退職の知らせに紛れて、見落としてしまいそうな場所だ。
清掃業務委託契約の見直しについて
来月末をもって、〇〇清掃株式会社との契約は終了する。
今後、定期的な清掃業者は入らないので、各部署で可能な範囲の美化を行うこと。
なお、半期決算月ごとに清掃業者〈業者は未定〉を入れて、清掃(大掃除)することとする。
理由は書いていなかった。理由を書かない文章には、たいてい理由がたくさんある。
その朝、あたしはいつも通り、始業前に入館した。受付のカウンターは無人で、電気も半分だけ点いている。入館証の返却箱が置かれていた。透明な箱の中には、いくつかの名札の付いた入館証が重なっている。あたしの名札もその中に入れた。名前が書かれた面を裏にして、ほかの名札と同じ向きに揃える。自分の名前を会社に返すような気がした。
最後の清掃業務は静かだった。倉庫も、経理部も、会議室も、どこもきれいに片づいている。繁雑だったカートンケースも、シュレッダーの屑も、もう見当たらない。人が減ると、物も減るのだと思った。
昼休みの会議室に入ると、ブラインドは相変わらず中途半端な高さで止まっている。蛍光灯は消えたまま、屋外の光だけがテーブルの端を白く照らしている。あたしは床を一度だけ拭いた。汚れはほとんどなかった。
社員食堂で誰かが弁当の蓋を開ける音が聞こえた。電子レンジの前に、短い列ができている。以前より、少しだけ人が少ない。
午後、総務部の人が回ってきて、簡単に頭を下げたが、あたしを推してくれていた総務部長の姿は見えなかった。
「長い間、ありがとうございました」
それだけだった。引き留める言葉も、事情の説明もない。あたしも同じように形だけの挨拶で頭を下げた。
「お世話になりました」
それで十分だった。
帰り際、廊下の床を見下ろした。光の当たり具合で、うっすらと足跡が浮かぶ。しばらくすると、それも見えなくなる。床は元の色に戻る。外に出ると、風が少し強かった。空は高く、雲が早く流れている。会社の建物を振り返ることはしなかった。汚れは落とせば消える。人もいなくなれば静かになる。それでも明日になれば、床はまた汚れるだろう。誰かが歩き、物を置き、ごみを含めた忘れ物もある。そのたびに、清掃が必要になる。
あたしは来週から別の会社へ派遣されることになっている。その会社で新しい入館証を貰えるはずだ。しかし、今日返却した入館証はもうない。あたしはそのまま駅までの道を歩いた。




