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今日、清掃に入っているこの会社は、地元では3本の指に入る中堅企業だという。業界ではトップクラスらしい。清掃会社によれば、何故かあたしはこの会社の総務部長のお気に入りらしく、半年前からほぼ専任で入っている。始業前と昼休み、それから終業後。人のいない時間と、人が一番気を抜く時間。掃除という仕事は、フロアやデスクだけではなく、どうしてもそこにいる人の生活の跡を拾ってしまうのだ。ゴミ箱の中、デスクの引き出しの隅、会話の切れ端など。人は思っているより、たくさんのことを職場に置き忘れていく。
会社の朝は静かだ。電話も鳴らないし、コピー機もまだ眠っている。ただ、パソコンの起動音だけが、ところどころで小さく鳴っている。山村たち営業3課のカウンター周りの清掃を終えて、あたしは経理部寄りのデスク列にモップを入れた。デスク下のゴミ箱をひとつずつ引き出していく。紙くず、ペットボトル、菓子の袋。その中に白い紙が一枚、丸められて交じっていた。レシートだった。店の名前を見て、少しだけ目が止まる。2~3日前に、山村たちが話していたあの店だ。金額は22,000円、人数の欄は「2名」になっている。あたしはレシートをもう一度眺めてから、静かにゴミ袋に入れた。以前、伝票は嘘をつかないと経理の人から聞いたことがある。でも、嘘をつく人の手に渡ると、紙も嘘を覚える。
その日の夕刻、すでに終業時間は過ぎている。経理部の島田係長が珍しくデスクの上を何度も整理していた。電話を切ったあと、伝票を見つめたまましばらく動かなかった。元来、几帳面な人で、普段からデスク周りはきれいに整ってはいるのだけれど、今日は書類を広げては閉じ、電卓を叩いては首を傾げている。あたしが近くを拭いていると、島田係長はふと顔を上げた。
「あ、青木さん、すみません。ここ、もうちょっとだけ後でお願いします」
「はい、わかりました」
デスクの上には、あの店の領収書が、別の伝票に貼られていた。使途の欄には短く得意先名だけ書いてある。人数の欄には3名となっていて、書き直した形跡はない。誰の字かは見なくてもわかった。あの朝、後頭部を掻いて笑っていた、あの山村係長の字だ。あたしはモップを引きながら、昔のことを思い出していた。夫の出張。週末の急な泊まり。説明のつかないレシート。あの頃のあたしは見ないふりが上手だった。見ないふりをしていれば、家庭は壊れないと、どこかで信じていたのだろう。
それから2週間、金曜日の午後になって、営業3課長のデスクが片づけられていた。午前中、総務の奥に見慣れないスーツ姿が2人来ていたのを、あたしは遠くから見ている。段ボール箱が2つ運ばれ、秘書課の若い女性が黙々と書類を詰めている。誰も理由を聞かない。誰も話さない。ただ、空調の音だけがいつもより大きく聞こえたように思えた。
その日の夕刻になって、デスクの上から名札プレートが外され、営業3課長であった武田は、会社を出たきり戻ってこなかったとのことだ。きっと理由を知っている人は何人かいたのだろう。でもそれはあたしのところまで流れてくるはずもなかった。
翌朝、営業3課のゴミ箱は不思議なくらい空っぽだった。レシートも、メモも、紙切れひとつ残っていない。会話も少し減った。朝の雑談は天気の話と電車遅延の話ばかりになった。あたしは床を磨きながら、ぼんやり考えていた。汚れは、落とすと消える。でも、嘘は落としてもどこかに残る。おそらく人の心の隅にも。でもその隅を掃除する仕事は、あたしには回ってこない。




