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#6 外郭

 東京都内、外資系ホテルの大宴会場。

 天井から吊るされた巨大なシャンデリアが、眼下に集う紳士淑女たちを煌びやかに照らしている。

 政界、財界、芸能界。

 この国の『上澄み』とも呼べる人間たちがグラスを片手に談笑する中、その男は壇上でスポットライトを浴びていた。


「──皆さん、気づいておられるはずだ。この国は、ゆっくりと死に向かっていると」


 マイクを握る仙斎慶一郎の声が、会場の空気を震わせる。

 背後のスクリーンには、彼が党首を務める新党『進国党』のロゴ──昇る朝日と、刀を模した鋭利な意匠が映し出されていた。


「少子高齢化、経済の停滞、若者の覇気不足……どれも聞き飽きた言葉だ。だが、誰もそれを止めようとはしない」


 仙斎は観衆を見渡す。

 その瞳には、聴衆を射抜くような強烈な光が宿っていた。


「なぜか。それは我々が『牙』を失ったからです。事なかれ主義という名の首輪に繋がれ、決断することを恐れている。刀を持たぬ侍は、ただの町人だ。我々は日本という国の背骨を……かつて持っていた武士の魂を取り戻さねばならない!」


 一瞬の静寂の後、割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 現状に閉塞感を抱く若手経営者や、強いリーダーシップを求める支持者たちが、熱狂的な視線を仙斎に送る。

 彼は満足げに頷き、壇上を降りた。


「……仙斎くん」


 熱狂の余韻冷めやらぬ舞台袖で、一人の初老の男が仙斎を呼び止めた。

 現職の内閣総理大臣──桂木和洋。

 穏健派で知られる彼は、苦々しい顔で仙斎を見上げている。


「少し、過激すぎるのではないかね。君の演説は国民の不安を徒に煽っている。党内の若手も動揺しているよ」

「事実を申し上げたまでですが」

「政治とはバランスだよ。急激な変化は歪みを生む。君のようなビジネスマンあがりには分からんかもしれんがね」


 桂木は「所詮は金で議席を買った成金」と言いたげな視線を向ける。

 仙斎は表情を変えず、ただ一歩、桂木に歩み寄った。

 それだけで、桂木の周囲の空気が凍りついた。


「……ッ」


 桂木が息を呑む。

 暴力的な威圧ではない。

 仙斎の瞳の奥にある、底知れぬ闇。


「ご忠告、痛み入ります総理。ですが、人目を憚り事を為さぬのは、社会の──ひいては人類の停滞と私は思います」


 何千何万という命を掌の上で転がし、間引いてきた人間にしか出せない、絶対捕食者の眼光。

 総理大臣という権威の鎧が、仙斎の前では薄紙のように頼りなく感じられた。


「私は私の道を征きますよ。外郭には相応の威を示します。邪魔立てする者にも、ね。次の選挙、楽しみにしておりますよ」


 仙斎は優雅に微笑み、凍りついた老人の肩をポンと叩いて通り過ぎた。                

 会場を後にした仙斎は、地下駐車場に待機させていた黒塗りのリムジンに乗り込んだ。

 重厚なドアが閉まり、車内が完全な静寂に包まれると、仙斎は深々とシートに身を預けた。


「……老害が」


 吐き捨てるような低い声。

 秘書の衣笠が、無言で冷えたミネラルウォーターを差し出す。


「あの手の連中は、所詮『公家』の末裔なのだよ。伝統を守り、前例を踏襲し、波風を立てずに家を存続させることしか頭にない」

「保守本流、と言えば聞こえはいいですが」

「今の日本に必要なのは、家を守る番人ではない。更地にしてでも新しい城を建てる『武家』の荒々しさだ。血を流す覚悟のない者に、舵取りなどできるものか」


 仙斎は水を一口飲み、車載モニターを指差した。

 そこには、先ほど勃発した戦の記録映像──特に、敵将の首を掲げる若武者の姿が映し出されている。


「見ろ。これこそが私の求める『武士』の姿だ」

「検体番号六三四番。通称、山那景胤ですね」

「ああ。私の細胞をベースに、遺伝子操作で脳機能と身体能力を極限まで強化した次世代型クローン……傑作だよ」


 仙斎はモニターの中の景胤を愛おしそうに。

 しかしどこか哀れむように見つめた。


「強化の代償として、テロメアは極端に短い。もってあと数年……二十歳まで生きられれば御の字か。だが、それでいい。桜と同じだ。短く散るからこそ、人はその輝きに熱狂し、盲目的に従うのだ」

「八〇八番、白兵衛の方はどうされますか? 何かご介入を?」

「放っておけ。這い上がるか、地に落ちるか。見守ろうじゃないか」


 仙斎は退屈そうにウィンドウを閉じる。

 だが、すぐに何かを思いついたように、悪戯な笑みを浮かべて再びコンソールを操作した。


「さて、次のフェーズは──」


 仙斎がエンターキーを押すと、画面上に不穏な警告色が点灯した。


「いよっ、待ってました! 仙斎先生!」


 新橋のガード下。

 紫煙と喧騒が渦巻く大衆居酒屋の一角で、ジョッキを掲げる若い男の声が響いた。

 刑事の牧村だ。

 三十二歳、独身。人懐っこい笑顔がトレードマークの彼は、壁掛けのテレビに映し出された仙斎の演説に釘付けになっていた。


「見てくださいよこの支持率。若者から年寄りまで総ナメだ。『強い日本を取り戻す』かぁ……男ならちょっとグッとくるもんありますよねえ」

「お前、あの政党を支持する気か?」 


 向かいの席で、藤堂が焼き鳥の串を齧りながらジロリと睨む。

 その目には、牧村のような浮かれた色は微塵もない。


「え、ダメっすか? だって今の総理より頼り甲斐ありそうじゃないですか。金持ちだし、若くてハンサムだし、実行力ありそうだし。何よりクリーンだ」

「クリーン、ねえ……その『綺麗さ』が逆に鼻につくって言ってんだよ」

「あの、ちょっといいですか?」


 隣で枝豆をつまんでいた美咲が、冷ややかな声で割って入る。

 彼女は手元のタブレット端末を操作し、保存していたいくつかのニュース記事をテーブルの上に展開した。


「藤堂さんの勘を裏付けるデータ、集めてみました。ここ半年で、仙斎周辺……特に『国家戦略特区法案』の改正に反対していた人物たちの末路です」

「うげ、飯時に止めてくださいよ〜」


 牧村が顔をしかめるが、美咲は構わず説明を続ける。


「一人目は泰平党の田口議員。仙斎の進める特区構想を『現代の鎖国だ』と批判していた急先鋒。三ヶ月前、自宅の書斎で急性心不全により死亡」

「病死じゃん」

「二人目はフリージャーナリストの橋田。大國グループの資金の流れを追っていた矢先、東京湾で水死体となって発見。警察は自殺と断定」

「それも……まあ、よくある話でしょ」

「じゃあ三人目。建設労働組合の長谷川委員長。島の建設工事に関する労働環境の悪さを告発しようとしていた前日、駅のホームから転落死。目撃者なし」


 美咲が指を止める。

 三つの死──それぞれ死因も場所も違う事例に、藤堂は顔を歪める。


「できすぎだな」


 藤堂が低い声で唸る。

 グラスの焼酎を煽り、氷をガリリと噛み砕いた。


「どいつもこいつも、仙斎にとって目の上のたんこぶだった連中だ。それが都合よく、証拠も残さず消えていく。警察上層部は『事件性なし』で即座に幕引きだ……上からの圧力がかかってるのは明白だろう」

「そりゃあ、仙斎先生クラスになれば敵も多いでしょうし、偶然の一致ってことも……」

「偶然で三人も死ぬかよ。あと先生呼びは止めろ」


 藤堂は吐き捨てるように言う。

 彼の脳裏には、十七年前の未解決事件──乳幼児連続失踪事件の記憶がこびりついている。


「あの時もそうだった。決定的な証拠が出そうになると、ふっと煙のように消える。俺が睨んでるのはな、実行犯だ」

「実行犯?」

「ああ。これだけ綺麗に、しかも他殺に見せかけずに人を殺す手口……プロの仕業だ。それも、俺たちのデータベースに載っていないような、とびきりのプロだ」


 藤堂はテーブルに身を乗り出し、声を潜める。


「暴力団のヒットマンや、海外のマフィアじゃねえ。もっと異質な……気配のない連中だ。俺はずっと引っかかってるんだよ。あの島──『大國ミレニアム・バイオスフィア』だ」

「え、あのエコな楽園がですか?」

「外部との接触を断ち、法すら及ばない治外法権の島……あそこで何が行われているか、本当に知っている奴は誰もいねえ。もしあそこが、ただの実験場じゃなく、仙斎の『飼い犬』を匿うためのアジトだとしたら?」


 藤堂の言葉に、一瞬の沈黙が流れる。

 だが、すぐに牧村がプッと吹き出した。


「藤堂さん、考えすぎっすよ。秘密基地で暗殺者軍団を飼ってるって? いくらなんでも漫画の読みすぎですって」

「……笑い事じゃねえぞ」

「いやいや、だって現実的に無理でしょ。今の時代、衛星写真はごまかせても、人の口に戸は立てられませんよ。そんなヤバいことしてたら、とっくにSNSで拡散されてますって」


 牧村の反応は、世間一般の常識そのものだ。

 そしてそれが、仙斎にとって最強の隠れ蓑になっている。

「ありえない」という常識が、真実を見えなくさせているのだ。


「……まあ、そうかもな。だがデータは嘘をつかない。死体は転がってるんだ。そして、俺たちは手出しができない」


 藤堂は悔しげに拳を握りしめる。

 仙斎は政界の中枢に食い込み、警察組織すら飼い慣らしている。


「正面から捜査令状を請求しても、揉み消されるのがオチだ。それどころか、下手に動けば自分たちが四人目の転落死体になりかねない。鉄壁だよ。奴は城の中にいて、俺たちは堀の外から吠えることしかできねえ」

「……諦めるんですか?」


 美咲が不安げに尋ねる。

 藤堂はしばらく黙って紫煙を燻らせていたが、やがて顔を上げた。

 その瞳には、諦めではなく、執念の炎が灯っていた。


「お前ら、明日は非番だったな」

「へ? まあそうですけど……」

「付き合え。港湾局の記録を洗うぞ」

「はあ? 港湾局?」

「ああ。あの島へ運ばれているコンテナの中身だ。公式には『実験資材』と『食料』しか運んでいないことになってるが、必ず抜け穴があるはずだ」


 藤堂は睨みつけるように、テレビの中の仙斎を見上げた。


「人の出入りは誤魔化せても、物の動きは完全には消せねえ。ゴミ一つ、ネジ一本からでもボロを出してやる……蜘蛛の糸ほどの細い線だがな、今の俺たちに辿れるのはそれしかねえんだ」

「ええーっ! あのグループ洗うんすか? 消されたくないっすよ〜」

「文句言うな。奢ってやるから」

「焼き鳥代でキャリア棒に振るんすか俺!?」


 悲鳴を上げる牧村と、静かにタブレットを閉じて頷く美咲。

 藤堂は残った酒を飲み干した。

 巨大な闇に対して、自分たちの手札はあまりに少なかった。

 この閉塞した状況を打ち破るには、外からの捜査だけでは足りない。

 内側から──あの鉄壁の要塞を突き崩す「何か」が起きない限り、仙斎の首には届かないと、藤堂の本能が警鐘を鳴らしていた。

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