#21 終焉
大國ミレニアムタワー。
東京の夜空を突き刺すように聳え立つ巨大なビル。
その正面玄関に、一台の黒塗りのワンボックスカーが滑り込んだ。
車を降りたのは七人の男女。
藤堂、白兵衛、鷹丸、千鶴、美咲、牧村、そして合田。
彼らの服装はバラバラで、どこか薄汚れているが、その瞳に宿る光だけは、煌びやかなタワーの照明よりも鋭く研ぎ澄まされていた。
「お待ちしておりました」
自動ドアが開くと、広大なエントランスホールの中央に、衣笠が立っていた。
背後には数名のSPを従え、能面のような無表情で一礼する。
「仙斎様は最上階でお待ちです。どうぞ」
「……随分と余裕だな。俺たちが何を持ってきたか分かってるのか?」
藤堂が懐のファイルを叩く。そこには仙斎を破滅させる「人身売買の記録」が入っている。
だが、衣笠は眉一つ動かさずに答えた。
「どのような手土産であれ、お客様を歓迎するのが主の流儀でございます。エレベーターへ」
案内されたのは、展望台直通の高速エレベーターだった。
重力を振り切るような上昇感。
ガラス張りのカゴから見える夜景が、光の粒子となって流れ落ちていく。
白兵衛は、柄に手をかけたまま、流れる景色を睨みつけていた。
「……震えてんのか? 白兵衛」
鷹丸が小声で茶化す。
白兵衛は鼻を鳴らし、握りしめた拳を開いて見せた。
「武者震いだ。ようやく……ようやくあの野郎の土手っ腹に、一発ぶち込んでやれるんだからな」
最上階、総理執務室兼オーナーズルーム。
遮るもののない天空の城で、仙斎慶一郎は彼らを待っていた。
前回と同じ、窓際の革張り椅子。
だが今回は、手にグラスではなく、一冊の古書を持っていた。
「やあ。時間通りだね」
仙斎は本を閉じ、立ち上がることもなく微笑んだ。
「その顔を見るに……答えは見つかったようだ」
「ああ、極上のネタが見つかったぜ。アンタの首を絞めるロープがな」
藤堂は躊躇なく進み出ると、持参したファイルを仙斎の目の前のテーブルに叩きつけた。
さらに、古びた桐箱──白兵衛のへその緒が入った箱を、その上に置く。
「一七年前、旧大國総合医療センター。アンタはそこで買い集めた赤ん坊を『検体』として処理し、島へ送った。この帳簿には、その全ての金の流れと、売買された子供たちのリストが載っている」
藤堂の声が部屋に響く。
合田が続けて告げる。
「さらに、そこの桐箱にあるへその緒と、白兵衛のDNAを照合した。結果は親子関係あり。……言い逃れはできませんよ、総理」
「……」
仙斎は、目の前に突きつけられた自分自身の破滅の証拠を、まるで骨董品でも鑑定するかのように眺めた。
そして、ふっと短く息を吐いた。
「それで?」
予想外の反応に、藤堂が眉を寄せる。
「……あ?」
「証拠は揃った。完璧だ。で、それをどうする? 警察に持っていくか? 週刊誌に売るか?」
仙斎は退屈そうに頬杖をついた。
「私の支持率は八十パーセントを超えている。司法もメディアも私の庭だ。そんな紙切れ一枚で、私が揺らぐとでも?」
「揺らぐさ。国民が信じてる『英雄』の正体が、子供を売り買いして実験動物にするマッドサイエンティストだと分かればな」
「民衆は……真実など求めていないよ」
仙斎の声が、初めて熱を帯びた。
彼は立ち上がり、両手を広げて眼下の東京を示した。
「彼らが求めているのは『安心』と『強い指導者』だ。過程などどうでもいい。現に特務侍隊の活躍で犯罪率は激減し、株価は上がった。誰が犠牲になったかなど、豊かな生活の前では些細なノイズに過ぎんのだよ」
仙斎の視線が、部屋の隅で拳を震わせている白兵衛に向けられた。
「白兵衛。まだそんな薄汚い格好をしているのか。私の息子として、王の席を用意してやったというのに」
「……黙れ」
「まだ分からんのか。お前が抱いているその怒りも、野心も、全て私が設計した『仕様』だ。お前は私の最高傑作になり損ねた廃棄物だが……拾ってやってもいい」
仙斎の言葉は、白兵衛の存在意義を根底から否定するものだった。
親子の情など欠片もない。あるのは、所有物への歪んだ執着だけ。
白兵衛の中で、何かが切れる音がした。
「……黙れって言ってんだよッ!」
白兵衛が抜刀しようとした、その時だった。
重厚な執務室の扉が、外側から蹴り破られた。
木片が飛び散り、SPたちが悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
「──誰の許可を得て吠えている、雑種ども」
硝煙と土埃の向こうから現れたのは、漆黒の甲冑に身を包んだ武者。
山那景胤だった。
手には抜き身の太刀。その刀身は、蛍光灯の光を反射して冷たく輝いている。
「景胤……!」
白兵衛が呻く。
景胤は、部屋にいる全員を一瞥すると、不快そうに鼻を鳴らした。
「騒がしいぞ。ここは儂の城だ。玉座の前で囀る虫ケラは万死に値する」
「景胤、何の真似だ?」
仙斎が不機嫌そうに問う。
自分のシナリオにない乱入者。だが景胤は、創造主である仙斎にさえ、切っ先を向けるような鋭い眼光を向けた。
「勘違いするな、仙斎。貴様を助けに来たわけではない。ただ……儂の国作りを邪魔する不穏分子が、目障りだっただけのこと」
景胤の視線が、白兵衛を射抜く。
「白兵衛。貴様まだ生きていたか。泥を啜ってでも這い上がる……その執念だけは褒めてやろう」
「……景胤」
白兵衛はゆっくりと刀を抜いた。
鞘走る音が、静寂を引き裂く。
「ちょうどいい。テメェもまとめて叩っ斬ってやる。俺たちの人生を狂わせた、その高慢ちきな面ごとな!」
「吠えるな。所詮は捨て犬よ」
景胤が構える。
もはや言葉は不要だった。
広い執務室が、一瞬にして戦場へと変わる。
「おおおォッ!」
白兵衛が床を蹴った。
真正面からの唐竹割り。単純だが、体重の乗った重い一撃。
景胤はそれを、紙一重でかわす。
「遅い」
景胤の太刀が閃く。
白兵衛の脇腹を狙った鋭い逆袈裟。
だが、白兵衛は止まらない。斬られることを前提とした動きで、さらに踏み込む。
「ぬっ!?」
景胤がわずかに目を見開く。
白兵衛は体を捻って刃を避けつつ、タックル気味に景胤の懐へ飛び込んだのだ。刀の柄頭で顎を狙う。
「小賢しい!」
景胤は白兵衛を蹴り飛ばし、距離を取る。
だが、その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「ほう……島にいた頃よりはマシになったか。綺麗事だけでは生きられぬと知ったか」
「ああ、知ったよ! ここは地獄だ! 綺麗に戦ってちゃ、明日の朝日も拝めねえんだよ!」
白兵衛は体勢を立て直し、再び突っ込む。
椅子が飛び、高価な調度品が砕け散る。
「ぐ……白兵衛!」
藤堂たちは壁際に下がり、息を呑んで見守るしかなかった。
現代の銃器を持たない二人の戦いは、あまりに原始的で、それ故に圧倒的な生の輝きを放っていた。
だが──才能の差は、残酷なまでに明確だった。
「ぐっ、あ……ッ!」
数合の後。
白兵衛の肩から鮮血が飛んだ。
景胤の剣速は、白兵衛の反応速度を遥かに凌駕していた。
防御の上から叩き伏せられ、白兵衛の刀が手から弾き飛ばされる。
「終わりだ、白兵衛」
白兵衛は無様に床に転がった。
見上げれば、景胤が冷徹な瞳で見下ろしている。
その姿は、島で初めて会った時と同じ。
月を背負い、圧倒的な高みから見下ろす本物の侍。
悔しいが、美しかった。
どれだけ泥にまみれても、どれだけ足掻いても、この男には届かないのか。
「……くそッ」
「悪くなかったぞ。貴様にしてはな。最後は武士らしく、儂の手で引導を渡してやろう」
景胤はゆっくりと太刀を振り上げた。
とどめの一撃。
白兵衛の首を刎ねようと、その刃が煌めいた──その瞬間だった。
パァンッ。
乾いた音が部屋の空気を震わせた。
白兵衛が目を閉じた直後、顔に生温かい液体が降り注いだ。
斬られた痛みはない。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
そこには、信じられない光景があった。
振り上げられた景胤の腕が、力なく垂れ下がっている。
そして、その胸──漆黒の甲冑の真ん中に、小さな穴が空いていた。
そこから、どくどくと赤い血が溢れ出している。
「……あ?」
景胤自身も、何が起きたのか理解できていないようだった。
彼はゆっくりと自分の胸を見下ろし、それから視線を窓の外へと向けた。
強化ガラスに、小さなひび割れと弾痕。
「……そうか」
景胤は短く呟いた。
膝から力が抜け、ドサリと崩れ落ちる。
その手から太刀が滑り落ち、硬質な音を立てた。
「景胤!?」
白兵衛が叫び、倒れた景胤に駆け寄る。
心臓を撃ち抜かれている。即死でもおかしくない傷だ。
窓の外、遥か遠くのビルの屋上で、何かがキラリと光った気がした。
「そ、狙撃……!?」
藤堂が窓に駆け寄り、外を確認する。
SATだ。
警察の特殊部隊が、隣のビルから狙撃したのだ。
「フ……フハハ。このように呆気ない幕切れとはな……まあ、紛い物には相応しき最期よの」
「あ……? どういう事だよ……景胤!」
「私は作られた人間なのだ……そう聞かされた。父は母もおらず人の手によって生み出され、人の半分にも満たぬ時しか生き永らえぬ存在……それが私だ……」
震える手で白兵衛の肩を掴む景胤。
その口からは、絶え間なく血が流れ続ける。
「……景胤様ぁ!」
初梅が横たわる景胤に駆け寄り、その血濡れた手をしっかりと掴む。
「初梅か……よく顔が見えぬが……お前には苦労をかけたな」
「景胤様……! 私を置いていかないで……景胤様……兄様ぁ!」
景胤の胸の上で泣く初梅。
部屋の中は凍りついたような静寂に包まれた。
仙斎は、驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと視線を傍らの男に向けた。
「……衣笠」
その声は、恐ろしいほど静かだった。
怒号ではない。絶対零度の問いかけ。
「これは、どういうつもりだ?」
衣笠は、顔色一つ変えずに一礼した。
「危険分子の排除です。警視総監と協議の上、タワー内で抜刀し、暴れる素振りを見せた場合は、即座に制圧する手筈となっておりました」
「私の許可なくか?」
「仙斎様のお手を煩わせるまでもございません。飼い犬が飼い主に牙を剥きかけたのです。処分は当然かと」
衣笠の言葉は、狂信的なまでの忠誠心に基づいていた。
仙斎を守るためなら、仙斎のお気に入りすら破壊する。
仙斎はしばらく衣笠を凝視していたが、やがてふっと息を吐き肩の力を抜いた。
「まあいい」
彼は倒れた景胤を一瞥し、冷たく言い放った。
「所詮は欠陥品だ。いずれ私にも牙を剥いていただろうしな。手に余る玩具が壊れただけのことだ。片付けておけ」
その言葉が、白兵衛の鼓膜を叩いた。
白兵衛は、血の海に沈む景胤を抱き起こしていた。
自分の腕の中で、かつて最強だった男の命が消えようとしている。
「おい……景胤。しっかりしろ! ふざけんな、こんな……こんな終わり方があるかよ!」
白兵衛の手が震える。
憎かった。殺したいほど憎かった。
だが同時に、どうしようもないほど憧れていた。
島で初めてその姿を見た時から、白兵衛にとって景胤は到達すべき頂だった。
その頂が、剣ですらなく、顔も見えない誰かの指先一つで砕かれたのだ。
「……無粋な、世だ」
景胤の口から、血の泡と共に言葉が漏れる。
その瞳は、まだ光を失っていなかったが、急速に焦点が合わなくなっていく。
「剣で語ることすら……許されぬか」
「喋るな! 今、医者を……!」
「無用だ……」
景胤の冷たい手が、白兵衛の胸倉を掴んだ。
弱々しいが、確かな力で。
「白兵衛……貴様が、羨ましかったぞ」
「……は?」
「泥にまみれ……地を這い……それでも生きようとする、その醜さがな……」
景胤は、天井の蛍光灯を見上げた。
そこには、彼が夢見た天下──青い空も、燃える城もなかった。
あるのは、無機質な人工の光だけ。
「天下は……広いな」
最期に、景胤は白兵衛を見て、微かに笑った。
それは軽蔑でも嘲笑でもない、初めて見せる年相応の少年の笑みだった。
「聞け、白兵衛……貴様は己が覇道を貫け……儂の代わりに、生きてこの現し世に武士の心を根付かせよ……あとは……地獄の鬼となりて見守ってやろう──」
掴んでいた手が離れ、床に落ちた。
瞳から光が消え、ただの物体へと変わる。
山那市之丞景胤。
戦国最強の遺伝子を持ち、天下統一を夢見た若きカリスマは、現代社会という巨大なシステムの前で、あまりにもあっけなくその生涯を閉じた。
「……ああああああああああッ!!!」
それは友を失った悲しみか、好敵手を奪われた怒りか、それとも己の無力さへの絶望か。
白兵衛の慟哭が、密室に響き渡った。




