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#19 足跡

 藤堂が調達してきた塗装の剥げたワンボックスカーは、都内の渋滞に巻き込まれていた。

 助手席には藤堂、後部座席には窮屈そうに身体を折り曲げた白兵衛と鷹丸が押し込まれている。

 窓の外には、見上げるようなビル群と川のように流れる車のライト。

 白兵衛はガラスに額を押し付け、その光景を睨みつけていた。


「進まねえな。歩いた方が早いんじゃねえか?」

「我慢しろ」


 藤堂は苛立たしげにハンドルを指で叩いた。

 カーナビの画面には、目的地の港区周辺が表示されている。


「藤堂。本当なのか? その『赤い光』ってのは」


 白兵衛が尋ねる。

 初梅が口にした『白い部屋、高い塔、赤い光』という断片的な記憶。

 藤堂はそれを頼りに、一つの仮説を立てていた。


「赤ん坊の記憶なんざ当てにならねえ。脳が勝手に作った幻覚かもしれん。だが、状況証拠としては十分だ」


 藤堂は窓の外、遠くに見える東京タワーを顎でしゃくった。


「『高い塔』ってのは十中八九あれだ。そして『赤い光』……ありゃ航空障害灯だ。高層ビルの屋上で点滅してる赤いランプだよ。十七年前、あのタワーが見える位置にあり、かつ大國グループが所有していた医療施設……条件に合う場所は一つしかねえ」


 藤堂はアクセルを踏み込む。


「『旧大國総合医療センター』。老朽化で移転して、今は取り壊し待ちの廃墟だ。そこに、お前らの『原点』が埋まってるはずだ」


 車を路地裏に停め、三人は地上へ降り立った。

 白兵衛と鷹丸は、藤堂の古着──サイズの合わないダボダボのジーンズとパーカーを着せられている。

 背中には、竹刀袋に入れた日本刀。

 一見すれば、稽古帰りの大柄な若者にしか見えないが、その身から放たれる異様な気配は隠しようがなかった。


「うわ……なんだ、この人の多さは」


 大通りに出た瞬間、白兵衛は圧倒された。

 平日の昼間だというのに、視界を埋め尽くすほどの人、人、人。

 誰もが急ぎ足で、無表情にすれ違っていく。


「祭りか? 毎日が祭りなのか?」

「これが東京の日常だ。おい、キョロキョロすんな。田舎モン丸出しだぞ」


 藤堂が小声で注意するが、二人の緊張は解けない。

 戦場ならば敵と味方の区別がつく。

 殺気があれば反応できる。

 だが、この街の人間は、殺気とは違う「無関心」という名の鎧を纏いつつ、異物を見る時だけ冷ややかな視線を向けてくる。

 値踏みされるような、肌を粟立たせる視線。


「……好かんな。誰かに背中を見られ続けるのは」


 鷹丸がフードを深く被り直し低く唸る。

 その時だった。


「そこの三人、ちょっといいかな」


 制服警官二人が、彼らの前を塞いだ。

 職務質問だ。

 長身で目つきの悪い男たちが、大きな袋を背負って歩いていれば当然の反応だった。

 瞬間、鷹丸の全身から殺気が噴き出した。

 右手が背中の袋に伸びる。


(馬鹿野郎ッ!)


 藤堂は瞬時に割り込み、鷹丸の背中を強引に押して頭を下げさせた。


「あ、すみませんお巡りさん! 劇団員なんです、俺たち。これから稽古でして……いやあ、コイツら新人で緊張しちゃってて」

「劇団? その袋の中身は?」

「竹刀と模造刀ですよ。殺陣の練習用です。見ます?」


 藤堂は愛想笑いを浮かべる。

 警官は疑わしげな目を向けたが、藤堂の堂々とした態度に毒気を抜かれたのか、軽く手を振った。


「……そうか。まあ、あまり目立つ格好でウロウロしないように」

「はい! 気をつけます! ほら、お前らも挨拶しろ!」


 藤堂に頭を押さえつけられ、白兵衛と鷹丸は屈辱に顔を歪めながらも頭を下げた。

 警官たちが去っていく背中を見送りながら、三人は路地裏へと逃げ込んだ。


「……なぜ止めた、藤堂」


 鷹丸が、人を殺せる目で藤堂を睨んだ。


「あんな雑兵、一瞬で片付けられたろ。俺たちに頭を下げさせるとは、どういうつもりだ?」

「喧嘩腰になるな! 抜けば終わりだと言っただろうが!」


 藤堂は鷹丸の胸ぐらを掴み、壁に押し付けた。


「いいか、ここは戦場じゃねえ。東京だ。刀を抜いて警官を斬れば、その瞬間に俺たちは『正義』を失う。ただの通り魔、狂った殺人鬼として処理されて終わりだ」

「……」

「ここではな、頭を下げるのが『防御』なんだよ。プライドなんぞで腹は膨れねえ。生き残りたきゃ、泥水すすってでも笑って誤魔化せ」


 白兵衛は拳を握りしめ唇を噛んだ。

 あの煌びやかなタワーの最上階で、ふんぞり返っていた景胤と仙斎。

 対して路地裏で警官に頭を下げ、コソコソと逃げ回る自分たち。

 その惨めな対比が、胸をえぐる。


「行こう。目的は仙斎の首だ。こんなとこで消耗してる暇はねえ」


 白兵衛は吐き捨てるように言い、先を急いだ。

 目的の廃ビルは、湾岸エリアの一角、再開発に取り残された埋立地に佇んでいた。

 『解体予定・立入禁止』の看板と、錆びついた有刺鉄線のフェンス。

 かつては最新鋭の医療センターだったというその建物は、今やコンクリートの墓標のように、黒ずんだ窓穴を晒している。


「ここか……」


 鷹丸がポケットから針金を取り出し、フェンスの南京錠をいじった。

 カチリ、と小さな音がして錠が開く。

 忍びの技は、現代のセキュリティ相手にも十分に通用した。

 三人はフェンスを抜け、通用口から内部へと侵入した。

 中はひんやりとした冷気に満ちていた。

 埃とカビ、そして微かに残る消毒液の臭い。

 ロビーには破れたソファが転がり、床には古いチラシやカルテの残骸が散乱している。

 廃墟特有の静寂が、足音を不気味に反響させる。


「……ッ」


 廊下を歩き始めた時、白兵衛が不意に足を止めた。

 口元を手で覆い、顔をしかめる。


「どうした、白兵衛」

「いや。なんか、気持ち悪ぃ」


 白兵衛の記憶が蘇ったわけではない。

 だが、この廊下の幅、天井の低さ、そして染み付いた臭いが、生理的な拒絶反応を引き起こしていた。

 内臓がねじれるような不快感。

 本能が告げている。

 俺は、ここにいた。

 ここで「選別」され、箱詰めされ、出荷されたのだと。


「間違いねえな。体が覚えてやがる」


 藤堂は確信し、懐中電灯を点灯させた。


「隠すなら地下だ。表向きのカルテは処分されてても、捨てられない『ゴミ』は地下に溜まる」


 三人は非常階段を降り、地下へと向かった。

 光の届かない地下階は、上の階よりもさらに空気が重く、澱んでいた。

 霊安室、ボイラー室、倉庫。

 いくつかの部屋を見て回ったが、めぼしいものは残っていない。

 どれも空っぽか、ただの瓦礫の山だ。


「ここもハズレか……クソ、無駄足だったか?」


 藤堂が焦り始めた時、奥の部屋を調べていた鷹丸が手招きをした。


「おい。こっちに妙な部屋があるぞ」


 鷹丸が指差したのは、焼却炉の脇にある、重厚な鉄扉だった。

 他の部屋とは違い、厳重な二重ロックが掛かっている。

 扉には『特種医療廃棄物・保管庫』というプレートがかろうじて読み取れた。


「……特種?」


 鷹丸が再び針金を差し込む。

 数分の格闘の末、重い金属音が響き、扉が軋みながら開いた。

 中から吹き出してきたのは、饐えた紙の臭いと、乾燥した木の香りだった。


「……なんだ、ここは」


 藤堂がライトを向ける。

 そこは、病院の倉庫というよりは、古い商館の蔵のようだった。

 壁一面の棚に、埃を被った桐箱が隙間なく積み上げられている。

 そして部屋の中央には、事務机と数冊の分厚いファイルが放置されていた。


「カルテじゃねえな……」


 藤堂は机の上のファイルを手に取り、ページをめくった。

 ライトの光が、黄ばんだ紙面を照らす。

 そこに記されていたのは、病状や治療の記録ではない。


 『検体番号』

 『供給元』

 『受領金額』

 『契約履行日』


 数字の羅列。

 数百万、時には数千万という金額が並んでいる。

 藤堂の手が震えた。

 これは医療記録ではない。

 家畜の売買記録──いや、人身売買の『大福帳』だ。


「おい、藤堂。これを見てくれ」


 部屋の奥で、棚を見ていた白兵衛が声を震わせた。

 彼の手には、一つの桐箱が握られている。

 白兵衛はゆっくりと、その蓋を開けた。

 中に入っていたのは、乾燥し、黒ずんだ紐のような物体。


「へその緒……か?」


 本来ならば、母親が我が子の成長を願い、大切に保管するはずの命の絆。

 だが、その箱には名前がなかった。

 箱の表書きには、無機質なスタンプでこう記されているだけだった。


 『廃棄予定・検体No.808』


 名前すらない。

 親の愛情も、生まれた喜びもない。

 ただの在庫として管理され、焼却されるのを待っていたゴミ。

 それが、自分という存在の証明だった。


「……ひどい話だ」


 鷹丸が、別の箱を手に取りながら呟く。


「こっちの箱には『代金受領済』ってハンコが押してある……親が、売ったんだな。俺たちのことを」


 誘拐ではない。

 親たちは金を貰い、納得ずくで子供を手放したのだ。

 そして仙斎はそれを「資産」として買い上げ、レシート代わりにへその緒を残した。


「見つけたぞ、白兵衛」


 藤堂はファイルを閉じ、昏い瞳で白兵衛を見た。

 怒りを超え、殺意すら感じるほどに冷徹な目だった。


「なんだ、そりゃあ」

「仙斎の首を刎ねるための……一番鋭くて、一番残酷な刃だ」


 藤堂はファイルをバッグにねじ込んだ。

 白兵衛は無言のまま、自分の番号が書かれた桐箱を懐に入れた。

 その手は白く変色するほど強く握りしめられていた。

 廃ビルの地下深く。

 東京の繁栄の下に埋もれていた古傷が、暴かれようとしていた。

 

「これが公になれば、仙斎という巨木だけでなく、この国の人々の倫理観そのものを根底から揺るがすことになるだろう。行くぞ……反撃の開始だ」


 三人は闇に沈む保管庫を後にした。

 その背中には、もう迷いはなかった。

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