#18 世論
東京都某区の外れ、築四十年の古びたマンション。
藤堂の自宅である1LDKの一室は、かつてない人口密度となっていた。
六畳のリビングには、男四人がイワシの缶詰のように雑魚寝している。
藤堂、白兵衛、鷹丸、そして「一人じゃ怖いです!」と泣きついてきた牧村。
唯一の寝室は、美咲と千鶴が占領している。
「……おい、起きろお前ら。朝だ」
藤堂がカーテンを乱暴に開けると、埃っぽい部屋に朝日が差し込んだ。
白兵衛が呻きながら毛布を跳ね除ける。
「うぅ……眩しいな。なんだこの部屋は。狭すぎて息が詰まるぜ」
「文句言うな。家賃七万だぞ」
「城の座敷の方がまだ広かったぞ」
白兵衛はボリボリと頭をかきながら起き上がる。
着ているのは藤堂のスウェットだ。
サイズは合っているが、やはり着慣れないのかしきりに裾を気にしている。
「あー、腹減った……藤堂さん、朝飯まだっすか?」
牧村がゾンビのように起き上がってくる。
藤堂は呆れたように溜息をつき、冷蔵庫からペットボトルの水おにぎりを放り投げた。
「コンビニ飯でいいよな。食え」
「へいへい……」
そこへ、寝室のドアが開き、美咲と千鶴が出てきた。
千鶴は美咲から借りた大きめのパーカーとロングスカートを身に纏っている。
艶やかな黒髪を下ろし、現代服を着たその姿は、どこからどう見ても深窓の令嬢──というよりは、休日のモデルのような洗練された雰囲気を放っていた。
「……似合ってんじゃねえか」
白兵衛が思わず口を滑らせ、慌てて視線を逸らす。
千鶴は不機嫌そうに眉を寄せた。
「動きづらいことこの上ないわ。布地が薄くて心許ないし……ねえ、そこの人。喉が渇いたわ。茶を持ってきなさい」
「え? 俺っすか? なんで俺が……」
牧村は条件反射で冷蔵庫へ走る。
完全に尻に敷かれていた。
美咲が苦笑しながら、ダイニングテーブルにコンビニの袋を広げた。
「とりあえず、作戦会議をしましょう。というか、テレビを見てください。今朝からずっとこの話題で持ちきりです」
美咲がリモコンを操作し、壁掛けのテレビをつける。
画面に映し出されたのは、民放のワイドショー番組のスタジオだった。
赤と黒の仰々しいテロップが、画面上部で点滅している。
『緊急特集・内閣府直轄「特務侍隊」発足──現代の抜刀隊か、治安維持の切り札か』
「……始まったな」
藤堂が腕を組み、画面を睨む。
スタジオには、深刻な顔をした司会者と、数名のコメンテーターが並んでいた。
『昨日未明、政府は「国家戦略特別区域法」の改正案に基づき、首都圏の一部地域を「特別治安強化特区」に指定。これに伴い、内閣府直轄の新たな治安維持組織「特務侍隊」の発足を発表しました』
深夜の繁華街で暴れる暴徒を、最新装備に身を包んだ景胤が鎮圧するという内容だった。
景胤の号令と共に、部隊が動く。
映像は一部ボカシが入っているが、その凄まじさは伝わってきた。
発砲音はない。
あるのは銀色の閃光と、暴徒たちが次々と武器を取り落とし、地面に伏していく様だけだ。
周囲の野次馬から、悲鳴ではなく、歓声と拍手が巻き起こるシーンでVTRは終わった。
「あいつ……あの箱の中にいるのか!? 小さくなりやがって!」
白兵衛が画面を叩こうとするが、鷹丸が止める。
スタジオに画面が戻り、司会者が口を開いた。
『……というように、驚くべき手際で凶悪犯を制圧しました。ネット上の支持率は実に七十パーセントを超えています。では、専門家の方々にお話を伺います。まずは軍事評論家の田所さん』
強面の評論家、田所が頷く。
『私は大いに評価していますよ。昨今、凶悪犯罪は武装化が進み、現場の警察官が対応しきれないケースが増えていますし。でも日本が発砲すれば、マスコミが騒ぎ人権派が叩く。結果、撃つのを躊躇って殉職する警官が出る……実例だってありますよ。これでは治安は守れません』
『そこで、刀ですか?』
『そうです。周囲への被害を最小限に抑えつつ、即座に制圧できる……まさに、銃社会ではない日本独自の、極めて合理的な治安維持システムと言えるでしょうね』
もっともらしい理屈だ。
白兵衛は呆れたように鼻を鳴らした。
「こいつら、本当に日ノ本の言葉喋ってんのか? 訳が分からねえ」
次は、眉間に深い皺を寄せた初老の男──人権派弁護士の大島が口を開いた。
『田所さんはそう言いますがね、これは法治国家の否定ですよ。リンチと何が違うんですか? 彼らには逮捕権だけでなく、現場での処罰権に近い裁量が与えられている。超法規的措置にも程がある』
『ですが大島先生、現に国民は不安を感じているんです。「警察は何もしてくれない」「捕まえてもすぐ出てくる」……そんな閉塞感を、彼らが打ち破ってくれた。だからこその支持率でしょう』
『それはポピュリズムだ。熱狂の先にあるのは独裁ですよ。仙斎総理は、この国を戦前の軍事国家に戻すつもりか?』
議論が白熱する中、司会者が割って入る。
『さて、ここで視点を変えまして……歴史社会学者の宮本教授。教授は、彼ら「侍」の存在そのものについて、どうご覧になりますか?』
画面の端で、ずっと渋い顔をして沈黙していた白髪の老教授、宮本がゆっくりと口を開いた。
『……私が恐ろしいのはね、法的な問題よりも彼らの「中身」ですよ』
宮本教授は眼鏡の位置を直し、カメラを直視した。
『映像を見ましたが、彼らの動き、そして目……あれは、現代人がコスプレをして真似できるレベルのものではありません。人を斬ることに、一切の躊躇も、動揺もない。呼吸をするように暴力を振るっている』
『それは、高度な訓練を受けているからでは?』
『いいえ、訓練でどうこうなる次元じゃない。現代の特殊部隊員でも、あそこまで冷徹にはなれませんよ。我々は幼い頃から「命は大切だ」「人は平等だ」と教育されて育つ。その倫理観が、引き金を引く瞬間にコンマ一秒のブレーキをかけるんです』
宮本教授の声が低く、重く響く。
『ですが、彼らにはそのブレーキが壊れている……いや、最初から搭載されていないように見える。まるで、人権や平和なんて概念が存在しない時代から、そのままタイムスリップしてきたかのように』
白兵衛たちの肩がピクリと震えた。
『もしこれを現代で作ろうとしたら……それこそ、生まれた瞬間から社会と隔絶し、徹底的な洗脳教育と、殺し合いを日常とする環境で育て上げない限り、不可能です。現代日本で、そんな人間製造が行われているとしたら……それこそが最大の恐怖ですよ』
スタジオが一瞬、水を打ったように静まり返った。
核心を突いている。
だが、司会者はすぐに「まさにSF映画ですね」と笑って話を逸らした。
藤堂はタバコの煙を長く吐き出した。
「……当たってる。皮肉なほどにな」
「ああ。だが、誰も信じねえだろうよ」
白兵衛が悔しそうに呟く。
真実があまりに常識外れすぎて、ジョークとして処理されてしまう。
それが仙斎の計算であり、最大の防御壁だった。
番組は街頭インタビューの映像に切り替わった。
新橋のSL広場。
マイクを向けられた人々が、口々に感想を述べる。
派手な服を着た若者が、ガムを噛みながら答える。
『ヤバくないっすか? 刀とかアニメみたいで超カッケーし。悪い奴なら斬られてもよくない? つーか、俺も入りてーわ』
スーパーの袋を持った主婦が、不安そうに、しかし期待を込めて語る。
『子供がいるので、流血とかは怖いですけど……でも最近、通り魔とか強盗とか多いじゃないですか。警察は頼りないし……これくらい強い人たちが守ってくれるなら、安心かも』
くたびれたスーツのサラリーマンが、淡々と答える。
『税金の無駄遣いと言いたいが、成果は出してるからなぁ。議論ばかりで何も決まらない国会より、よほどマシだよ。仙斎総理は実行力がある』
画面の中の人々は、誰も侍の人権や彼らがどこから来たかなど気にしていない。
ただ、自分たちの生活を守ってくれる便利な暴力装置として歓迎しているだけだった。
「みんな、笑ってやがる」
白兵衛の手の中で、割り箸がバキリと音を立てて折れた。
「人が斬られてるのを見て、手を叩いてやがる。俺たちが命懸けで磨いてきた剣術は、こんな見世物にするためのもんじゃねえ……!」
「需要と供給ね」
千鶴が冷ややかな声で言った。
彼女は足を組み、悔しそうに画面を睨んでいる。
「民はいつの世も強きに靡くものよ。平和な世で生まれた彼らにとって、景胤殿の振るう暴力は、刺激的な娯楽であり、頼もしい番犬に見えるのでしょう」
鷹丸がポテトチップスを貪りながら、画面を指差した。
「で、どうすんだ? あの城に忍び込んで、仙斎の首を獲るか?」
「それはダメです」
美咲がきっぱりと否定した。
「今の世論を見て分かりましたよね? 仙斎は救世主、景胤はヒーローなんです。もし貴方たちが仙斎を暗殺しても、世間は『平和を乱すテロリストが総理を殺した』としか見ない。仙斎が神格化され、第二、第三の仙斎が出てくるだけです」
「じゃあどうすんだよ! 指くわえて見てろってのか!」
白兵衛が吠える。
藤堂は吸い殻を灰皿に押し付け、立ち上がった。
「戦う場所を変えるぞ」
「あ?」
「力でねじ伏せるんじゃねえ。情報で刺すんだ」
藤堂はホワイトボードに、マジックで大きく『17年前』と書き殴った。
「テレビの学者が言ってただろ? 『生まれた瞬間から育て上げない限り無理だ』ってな。それが事実だと証明されれば、世論はひっくり返る」
「証明って……どうやってだよ」
「お前らの過去だ」
藤堂は全員の顔を見回した。
「お前らがどこで生まれ、誰に奪われ、どうやって育てられたか。その証拠を突きつける。国民が歓迎しているヒーローが、実は『国に誘拐され、洗脳された被害者』だと分かれば、空気は一変するはずだ」
鷹丸がニヤリと笑う。
「なるほど。刀で斬るより、論で攻めるか」
「ただし、相手は国家そのものだ。正面からぶつかれば握り潰される。だから俺たちはドブネズミになる」
藤堂は美咲と牧村を見て、交互に顎で刺す。
「小野田、お前は警察のデータベースにバックドアを仕掛けろ。削除された十七年前の失踪者リストを復元するんだ」
「了解です。また徹夜の日々ですね」
「牧村、お前は足を使え。当時の週刊誌や地方紙のアーカイブを漁って、奇妙な『神隠し』の記事がないか探せ」
「は、はい」
藤堂は深く息を吐くと、ジャケットを肩に背負って白兵衛たちに向き直る。
「お前らは俺と来い。早速調査に行く」
藤堂は白兵衛と鷹丸を連れ、家を出発する。
野良犬たちの、国を賭けた大博打が始まろうとしていた。
東京赤坂。
政財界の重鎮御用達の高級料亭、その最も奥まった個室。
鹿威しの音が静寂を刻む中、二人の男が対峙していた。
一人は、内閣官房長官兼、総理首席秘書官の衣笠。
もう一人は警察組織の頂点に立つ男、警視総監の前橋だ。
「美味い酒だ。だが、酔えんな」
前橋が、猪口を置いて重苦しい溜息をついた。
その視線の先にあるのは、床の間に飾られた掛け軸ではない。
現在の日本の歪な治安状況そのものだった。
「長官。単刀直入に申し上げたい。総理直轄の『特務侍隊』……世論は熱狂していますが、現場の不満は限界に近い」
前橋が低い声で切り出す。
「銃刀法も、刑事訴訟法も無視し、独自の判断で暴力を振るう私兵集団。あれは警察組織の面子を潰すだけでは済まない。いずれ制御不能になりますぞ」
「ええ。重々承知しております」
衣笠の返答は、意外なほど素っ気ないものだった。
彼は手酌で酒を注ぎ、眼鏡を光らせた。
「あの者たちは所詮は獣。今は仙斎様に飼い慣らされているように見えますが、いつ野生に戻り飼い主の喉笛に食らいつくか知れたものではない」
衣笠の脳裏に、山那景胤の姿が浮かぶ。
あの男の瞳にあるのは忠誠心ではない。己の覇道のみを見据える、飢えた狼の光だと。
仙斎はそれを『面白い』と楽しんでいるが、衣笠にとっては不安の種でしかなかった。
「仙斎様は優しすぎる……あのような危険分子を、ゲーム感覚で側になど置いておくべきではない」
衣笠は決意を固め、総監に向き直った。
「そこで、総監。折り入ってお願いがございます」
「……なんだね?」
「警察の威信にかけて、万全の『保険』を用意していただきたいのです」
衣笠は懐から一枚のカードキーを取り出し、テーブルの上を滑らせた。
それは大國ミレニアムタワーの、セキュリティの裏口を解錠するマスターキーだった。
「……総理の許可は?」
「ありません。これは私の独断です」
衣笠はきっぱりと言い放った。
「仙斎様は、あのような危険物さえも愛しておられる。ご自身で処分を下すことはなさらないでしょう。ですが、もしもの時があってからでは遅いのです」
「……」
「もし、景胤がタワー内で少しでも不穏な動きを見せた場合……例えば、総理の御前で抜刀し、暴れるような素振りを見せたならば」
衣笠は氷のような声で告げた。
「迷わず射殺してください。全責任は私が取ります。全ては偉大なる仙斎様と、この国の未来を守るためです」
前橋はしばらく衣笠を凝視していたが、やがてニヤリと口の端を吊り上げた。
警察としても、目の上のたんこぶである侍を合法的に排除できる絶好の機会だ。
「……分かりました。テロ対策特別措置法を拡大解釈しましょう。官邸機能を持つタワー内での武装蜂起とみなせば、現場判断での制圧も可能です」
「感謝します」
衣笠は深々と頭を下げた。
その顔には、主君を守るためなら汚れ仕事も厭わない、狂信的な忠誠心が張り付いていた。




