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#17 野犬

「君は自然交配で生まれた私の正真正銘の息子だ。母親は……誰だったかな。リストを見ないと思い出せんが」

「う、そだ……」


 白兵衛は後ずさった。

 足元の絨毯が、底なし沼のように思えた。

 吐き気がする。

 目の前の男──自分たちを地獄に落とし、弄んだ諸悪の根源。

 その男の血が自分の中に流れていると。


「嘘だッ! デタラメ言うなッ!」

「鏡を見てみるといい。君のその凶暴性、野心、そして人を殺める才能……すべて私譲りだ」


 仙斎は残酷に笑った。


「君が『天下を取りたい』と願ったのも、君自身の意思ではない。私の遺伝子がそうプログラムしていただけなのかもな」

「──ッ、あ、ああああッ!」


 白兵衛は耐えられず絶叫を漏らす。

 牢人の子として、雑草のように生きてきた誇り。

 天下を夢見た野心──その全てが踏みにじられたと崩れ落ちる。


「白兵衛……」


 鷹丸が声をかけようとするが、白兵衛は頭を抱えてうずくまった。

 全身の血が逆流するような嫌悪感。

 自分の腕を切り落として、血を全部入れ替えたいほどの衝動に駆られる。


「絶望したか? だが、それは同時に希望でもある」


 仙斎は白兵衛を見下ろし、厳かに告げた。


「君には資格があるということだ。この国の王となる資格がな」


 仙斎はくるりと背を向け、窓の外の東京を指差した。


「選べ。このまま放浪の身となるか。それとも、私の『剣』となりこの腐った日本を洗濯するか」


 彼は両手を広げ宣言した。


「お前たちを、国家公認の特別治安維持部隊──『特務侍隊(とくむさむらいたい)』に任命する」

「特務侍隊だと?」


 景胤が興味深そうに眉を上げる。


「法で裁けぬ悪を斬り、国民に真の正義を見せつける。悪い話ではあるまい? 山那景胤。お前の求めていた『戦場』は、このコンクリートのジャングルにこそある」


 景胤は口元を歪め、獰猛な笑みを浮かべた。

 彼はワイングラスを置き、悠然と仙斎の隣へと歩み寄った。


「……面白い。天下布武の第一歩として、まずはこの東京を我が領土としてやろう」

「交渉成立だな」


 仙斎と景胤が握手を交わす。

 悪魔の契約が結ばれた瞬間だった。

 そして、景胤の影である初梅もまた、無言のまま主君の背後に控える。


「ふざけるな……」


 その時、床から低い声が響いた。

 白兵衛が、よろめきながら立ち上がる。

 その目は充血し、涙と憎悪でぐしゃぐしゃになっていた。


「誰が……誰がテメェの言いなりになんか……!」

「ほう、まだ抵抗するか」

「俺は白兵衛だ! 牢人の子の白兵衛だ! テメェの道具でも、息子でもねえ!」


 白兵衛は懐から短刀を抜き、仙斎に向かって構えた。

 だが、その切っ先は恐怖と絶望で激しく震えている。

 仙斎はそれを哀れむように見つめた後、ふっと興味を失ったように肩をすくめた。


「……そうか。残念だよ」


 銃口が白兵衛たちに向けられる。

 だが、仙斎はそれを手で制した。


「撃つな。興が削がれる」

「は?」

「私は無理強いはしない主義でね。嫌がる人間に剣を持たせても、良い仕事はしない」


 仙斎は出口のエレベーターを指差した。


「出て行きたければ行くがいい。自由にしてやろう」

「……あ?」

「聞こえなかったかね? 解放すると言ったんだ。出口はあちらだ」


 仙斎はエレベーターの方を優雅に指差したが、衣笠が慌てて進言する。


「せ、仙斎様! 正気ですか!? 彼らはプロジェクトの核心を知ってしまいました! 野放しにすれば、必ずやマスコミや司法に……」

「構わんよ」


 仙斎は衣笠を手で制し、不敵な笑みを藤堂に向けた。


「これはゲームだ、藤堂君。あまりに一方的な蹂躙では、観客──私自身が退屈してしまうだろう?」 「……ゲームだと?」

「君たちにチャンスをやろう。針の穴を通すような、細い細いチャンスだ。外へ出て、好きに吠えるがいい。警察手帳も身分も剥奪された君たちの言葉を、誰が信じるかは知らないがね」


 圧倒的な自信。

 巨大な資本と権力、そして『常識』という壁の前で、藤堂たちの真実はただの妄想として処理されるだろう。

 これは慈悲ではなく「お前ごときには何もできない」という、神の如き傲慢さによる宣言だった。


「だが、万が一……君たちがその壁を突き崩し、私を追い詰めることができたなら」


 仙斎は愉悦に顔を歪めた。


「それもまた一興。私が倒れるか、日本が変わるか。どちらに転んでも、私の描いた絵図は完成する」


 予想外の言葉に、白兵衛は虚を突かれる。

 藤堂が警戒しながら割り込む。


「正気か? 俺たちを野放しにすれば、必ずお前の首を狙うぞ」

「構わんよ。君たちごときに何ができる? 金も、身分も、住む場所もない。警察という後ろ盾もない。そんな野良犬が、この私が舵を取る国で生きていけると思うかね?」


 彼は窓の外に広がる、煌びやかで冷酷な東京の夜景を見やった。


「上等だよ」


 白兵衛は刀を収め、仙斎とその隣に立つ景胤を睨みつけた。


「景胤、てめえもだ。魂売りやがって……いつか必ず、その首とってやるからな」

「フッ、そうか」

「行くぞ、白兵衛。今は生き延びるのが先決だ」


 藤堂が白兵衛の肩を掴み、促す。

 白兵衛は悔しさに身を震わせながら、踵を返した。

 千鶴と鷹丸もそれに続く。

 美咲と牧村も、慌てて二人の後を追った。


 エレベーターホール。

 重厚な扉が閉まる直前、白兵衛はもう一度だけ振り返った。

 光溢れる部屋で、美酒に酔う仙斎と景胤。

 それが、彼が見た光の世界の最後だった。

 タワーの裏口から放り出された六人は、冷たい夜風の中にいた。

 雨が降り始めていた。

 見上げれば、雲の上に霞む大國ミレニアムタワーが、巨大な墓標のように聳え立っている。


「寒いわね」


 千鶴が身を縮める。

 彼らの服はボロボロで、懐には一文の銭もない。

 現代社会という海に放り出された遭難者。


「藤堂さん、これからどうします?」


 牧村が不安げに尋ねる。

 藤堂はタワーを睨みつけたまま、タバコを取り出し、火をつけた。


「まずは生きるぞ。泥水を啜ってでもな」


 藤堂は白兵衛を見た。

 かつて天下を夢見た少年は今、全てを失い、うなだれている。

 だが、その瞳の奥にある炎だけはまだ消えていなかった。


「行くぞ白兵衛。反撃の狼煙は、どん底から上げるもんだ」

「……ああ。覚えてやがれ」


 白兵衛は雨に濡れるタワーに向かって小さく、しかし力強く誓った。


「俺は負けねえ。絶対に、テメェらをひっくり返してやる」


 六人の影は、ネオンの光が届かない路地裏の闇へと消えていった。

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