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#16 息子

 その部屋は、雲の上にあった。

 地上二百メートル。大國ミレニアムタワー最上階。

 専用エレベーターの扉が重厚な音を立てて開くと、そこには白兵衛たちの想像を絶する空間が広がっていた。

 壁の一面はすべてガラス張りになっており、眼下には東京の夜景が、まるで宝石箱をひっくり返したように輝いている。

 床には深紅の絨毯が敷き詰められ、泥にまみれた彼らの草鞋が踏みしめるのを拒絶しているようだった。


「……ここが、天守閣か」


 白兵衛が息を呑む。

 城と呼ぶにはあまりに異質。

 だが、そこにある権力の匂いだけは、どんな大名の城よりも濃密だった。


「ようこそ。我が城へ」


 部屋の中央。

 巨大な黒檀のデスクの向こうに、その男はいた。

 仙斎慶一郎──仕立ての良いスーツに身を包み、手にはミネラルウォーターの入ったグラス。

 彼は白兵衛たちを見ても立ち上がることなく、ただ玉座から見下ろすように微笑んでいた。


「遠路はるばるご苦労だった。まずは食事でもどうかな?」


 仙斎が指を鳴らすと、部屋の脇にある長いテーブルに、次々と料理が運ばれてきた。

 湯気を立てる厚切りのステーキ、色鮮やかなサラダ、見たこともない果物。

 腹の虫が鳴くような極上の香りだが、誰一人として動こうとはしない。


「毒など入っていないよ。君たちは私の大切な『資産』だ。傷つけるわけがない」

「資産だと?」


 景胤が進み出る。

 泥だらけの甲冑姿だが、その堂々たる振る舞いは、スーツ姿の仙斎に一歩も引けを取っていない。


「我らを物のように呼ぶか。貴様がこの国の主か?」

「主……そうだな。この国で最も金を持ち、最も力を持っているという意味では、そう呼んでも差し支えないだろう」


 仙斎は愉しげに目を細めた。


「山那景胤。いや、検体番号六三四番。実物は映像よりも美しいな」

「検体?」

「座りたまえ。藤堂君たちもだ。積もる話もあるだろう」


 促され、一行は長いテーブルの端についた。

 上座に仙斎。その対面に景胤と白兵衛。

 藤堂、美咲、牧村は、警護の黒服たちに囲まれながら末席に座らされた。


「単刀直入に言おう。君たちが暮らしていた匣爾国……あれは私が作った島だ。『プロジェクト武士』という崇高なる計画の始まりの地さ」


 仙斎はナイフで肉を切り分けながら、世間話でもするように切り出した。


「島全体が巨大なセットであり、君たちの親や村人は、グループに多額の借金をしていたクズを洗脳して作り上げた役者に過ぎない。君たちが信じていた戦国の世など、四百年以上も前に終わっている。ここは西暦二〇一八年……君たちが知る世界より遥か未来の日本だ」


 仙斎はプロジェクトの発端から全てを語る。

 島を作り、子を攫い、人々を洗脳し、島で育てる──現代日本で、戦国時代を再現するために。

 衝撃的な事実は淡々と紡がれていく。

 だが、白兵衛たちの反応は静かだった。

 バスの中での光景、藤堂の話、そして千鶴の記憶。それらがすでに予感させていたからだ。

 だが、それを創造主の口から聞かされる絶望感は別物だった。


「……やっぱり、そうだったのかよ」


 島での全てが、この男の掌の上でのお芝居だったというのかと、白兵衛は拳を握りしめる。


「ふざけんじゃねえぞ……! 人が必死に生きてるのを、見世物にしてたってのか!」

「見世物ではない。実験だ」


 仙斎は冷ややかに訂正した。


「平和ボケした現代人に、かつての日本人が持っていた『強さ』を取り戻させる。そのために、純粋な環境で培養された『武士の遺伝子』が必要だったのだ」


 彼はグラスを掲げ、白兵衛たちを指し示した。


「素晴らしい成果だ。君たちの目は澄んでいる。人を殺すことに躊躇いがなく、己の野望のために命を懸けることができる。それこそが、今の日本人が失った『牙』だ」


「……狂ってる」


 藤堂が呻くように言った。


「そのために、何百人もの子供を誘拐し、殺し合いをさせたのか! 貴様は悪魔か!」

「悪魔? 私は医師だ。この国は病んでいる。『平和』という名の延命治療で、魂が腐り落ちているのだ。自殺者は年間二万人を超え、若者は欲望を失い、政治家は保身に走る。このままでは日本は死ぬ。だから私は、劇薬を投与することにした」


 仙斎の視線が、景胤と白兵衛を射抜く。


「君たちだ。君たちという『猛毒』を現代社会に注入することで、日本人の生存本能を呼び覚ます。島で育てた侍たちを投入し、日本全土を再び武士の国にする。目指すは強き日本の復活──富国強兵だ。それが『プロジェクト武士』の真の目的なのだよ」


 部屋に重苦しい沈黙が流れた。

 国家転覆。軍国主義の復活。

 あまりに荒唐無稽な妄想だが、目の前の男にはそれを実現させるだけの力と狂気がある。


「……くだらぬ」


 静寂を破ったのは、景胤の嘲笑だった。

 彼は卓上のワイングラスを手に取り、弄ぶように回した。


「国がどうだの、憂国だの……御託を並べるな。要するに、貴様は己が天下を取りたいだけであろう?」

「……ほう」

「隠しても分かるぞ。その目……儂と同じだ。己が欲を満たすためならば、万人の屍を築くことも厭わぬ修羅の目よ」


 景胤はニヤリと笑い、ワインを一気に煽った。


「気に入ったぞ、仙斎とやら。貴様の作った箱庭は狭すぎたが、この国ならば切り取り甲斐もありそうだ。利用できるなら利用してやる」

「ハハハ。そう来なくてはな」


 仙斎は愉快そうに笑った。

 創造主と被造物。

 だがそこには、奇妙な共犯関係のような空気が流れていた。


「ふざけるなッ!」


 バンッ! とテーブルを叩き、白兵衛が立ち上がった。椅子が倒れる音が響く。


「俺たちは道具じゃねえ! 薬でもねえ! 人間だ!」


 白兵衛は仙斎を睨みつけた。

 景胤のように割り切ることなどできない。

 死んだ傳八や、村の人々の顔が浮かぶ。

 彼らの人生を実験の一言で片付けられてたまるかと怒りをあらわにする。


「俺は、俺の意志で天下を取る! アンタの指図なんか受けねえぞ!」

「君は相変わらず威勢がいいな」


 仙斎の目が、スッと細められた。

 先ほどまでの愉悦の色が消え、底冷えするような無機質な瞳が白兵衛を捉える。


「八〇八番。名前は……白兵衛だったか」

「……」

「君だけは、少し特殊でね。他の検体とは違うのだよ」


 仙斎は立ち上がり、ゆっくりと白兵衛の方へ歩き出した。

 黒服たちが緊張して銃に手をかけるが、仙斎は手で制する。

 彼は白兵衛の目の前まで来ると、その顔を覗き込んだ。


「似ているな」

「……あ?」

「若い頃の私によく似ている」


 仙斎の手が伸び、白兵衛の頬に触れようとする。

 白兵衛は反射的にその手を払い除けた。

 パチン、と乾いた音が響く。


「触んじゃねえ! 気味の悪いこと言ってんじゃねえよ!」

「気味が悪い? フフ……そう思うのも無理はない。自分の父親に対して、そんな感情を抱くのは悲しいことだがね」

「……は?」


 白兵衛の口から、間抜けな声が漏れる。

 藤堂も、美咲も、そして景胤さえも、その場の全員が動きを止めていた。


「ち、父親……? 何を言ってやがる。俺の親父は、俺が七つの時に死んだんだ。村の漁師で優しくて……」

「それは洗脳された役者だ。それは分かっていただろう? 君の本当の父親は、目の前にいる私だよ」


 仙斎は事もなげに言った。

 まるで、天気の話でもするように。


「このプロジェクトを始める際、私は子を残した。優秀な遺伝子を残すため、そして何より……自分自身の血が、極限環境でどう育つかを見たかったからだ」


 仙斎は白兵衛の肩に手を置いた。

 その手には親愛の情など微塵もない。

 あるのは、所有物に対する冷徹な確認の意思だけだった。


「今一度言っておこう、白兵衛──お前は私の息子だ」

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