#14 黒船
西暦二〇一八年──東京、永田町。
国会議事堂の中央塔が、鉛色の空を突き刺すように聳え立っている。
その最奥、内閣総理大臣執務室。
かつては重厚なカーテンで閉ざされていたその部屋は、今の主の意向により、ガラス張りの開放的な空間へと改装されていた。
「……静かだな」
第百代内閣総理大臣──仙斎慶一郎は、眼下に広がる東京の街を見下ろして呟いた。
デモ隊のシュプレヒコールもない。
野党の怒号も、マスコミの追求もない。
あるのは強力な指導者を歓迎し、自ら思考することを放棄した国民の沈黙と、熱狂的な支持だけだった。
「支持率八十二パーセント。戦後最高記録を更新中です」
首席秘書官となった衣笠が、タブレットを片手に報告する。
警察庁、公安調査庁の人事掌握も完了。
反対派の議員は昨夜の『不祥事』で全員辞職願を出した。
これで、仙斎の道を塞ぐ者は誰もいなくなった。
「退屈だよ、衣笠」
仙斎は透明の液体が入ったグラスを傾けた。
中身はただの常温の水。
今の彼に、酔いなど必要なかった。
「抵抗なき征服になんの価値がある? 今の日本人は羊だ。私が右を向けと言えば右を向き、死ねと言えば列を作って崖から飛び降りるだろう……張り合いがない」
仙斎はデスクに戻り、一つのモニターに目を落とした。
彼が個人的に管理している箱庭──『プロジェクト武士』の監視映像だ。
「そろそろ、羊の群れに狼を放つ頃合いかと思っていたが……」
画面の中で、予期せぬ動きが起きていた。
仙斎は眉をピクリと動かし、グラスを置いた。
「ほう。招待状を送る手間が省けたようだな」
──同時刻、匣爾国。
深夜の港に、暴風雨が吹き荒れていた。
波の高さは数メートルに達し、海面は黒い牙のように荒れ狂っていた。
「来たか」
その嵐の中、巨大な鉄の塊が沖合に停泊していた。
定期的に島へ物資を運び込む、自動操縦の大型補給船だ。
通常ならば接岸して荷下ろしを行うが、今夜は嵐のため、沖で待機しているようだった。
「行くぞ。この嵐が好機だ」
闇に紛れ、八つの影が動いた。
景胤、初梅、白兵衛、鷹丸、千鶴。
そして藤堂、美咲、牧村。
彼らは小舟を操り、荒波を越えて巨大船の船腹へと接近していた。
「マジで行くんですか!? 死ぬ! これ絶対死ぬって!」
牧村が波飛沫を浴びながら悲鳴を上げるが、舳先に立つ景胤は不敵に笑うだけだ。
「案ずるな。この程度の時化、我らの覇道を阻むものにならん」
「そうそう。この時のために1年も待ったんだ」
小舟が船体にぶつかる寸前、鷹丸が鉤縄を投げ上げた。
甲板の手すりにガシリと食い込む。
それを合図に、景胤と初梅が人間離れした跳躍でロープを駆け上がった。
続いて藤堂たちも必死に後に続く。
だが甲板に上がった瞬間、全員が息を整える間もなく、強烈なサーチライトが彼らを照らし出した。
「──侵入者発見! 確保せよ!」
無人と思われていた船内から、武装した男たちが現れた。
大國グループの私設警備兵だった。
彼らは手に、鈍く光るサブマシンガンやアサルトライフルを携えている。
「け、警備兵!? しかも銃を持ってるぞ!」
藤堂が叫ぶ。
現代の軍隊並みの装備だ。
刀と槍だけの武士に勝ち目などない──常識で考えれば。
「警告する! 直ちに投降しろ! さもなくば射殺する!」
警備兵の一人が威嚇射撃を行う。
乾いた破裂音と共に、甲板の鉄板が火花を散らした。
白兵衛たちが竦み上がる中、景胤だけがゆっくりと進み出た。
「……ほう。それが『鉄砲』か。種子島のものより随分と小さいな」
「動くなと言っている!」
警告を無視した景胤に対し、警備兵が引き金を引いた。
殺意の籠もった銃弾が、景胤の胸板を狙って放たれる。
誰もが景胤の死を確信したその刹那──火花が散ったのは、景胤の身体ではなく、彼が抜いた刀の刀身だった。
目にも止まらぬ速さで振るわれた刃が、空中の弾丸を叩き落としていたのだ。
「な……!?」
警備兵たちが凍りつく。
物理法則を無視した神業。
だが、驚愕している暇はなかった。
「遅い」
景胤の影から、黒い疾風が走った。初梅だ。
彼女は弾丸の射線より低く身を沈め、一瞬で警備兵たちの懐に飛び込んだ。
逆手に持った短刀が閃く。
「……っ! おい、殺すなよ!」
「が、あ……ッ」
藤堂の叫びに一瞬反応した初梅。
トリガーに指をかけたまま、警備兵たちは卒倒する。
初梅が通り過ぎた後には、物言わぬ警備兵たちがドミノのように倒れていく。
「ひ、ひぃッ! こっちにもいやがる!」
銃口が甲板のコンテナの上にいた鷹丸に向けられる。
だが、引き金を引くよりも早く、鷹丸の姿が掻き消えた。
「遅ぇよ」
耳元で囁かれた時には、すでに鷹丸は警備兵の背後にへばりついていた。
腕が蛇のように首に絡みつく。
「ぐ、ご……ッ」
頚動脈を正確に締め上げられ、大柄な男が白目を剥いて崩れ落ちた。
一方、白兵衛は隠れることもせず、正面から堂々と突っ込んでいく。
「オラオラァッ! どきやがれ!」
「く、来るな!」
警備兵が乱射するが、白兵衛は左右に身体を振って銃線を見切り、一気に間合いを詰める。
「獲物が長ぇんだよ!」
銃身を刀で弾き上げ、がら空きになった胴に強烈な蹴りを見舞う。
さらに怯んだ別の兵の脳天に、刀の柄頭を叩き込んだ。
「っしゃあ! 次!」
残った兵が慌てて銃口を向けるが、そこにはすでに景胤がいた。
「弓より少し速いくらいか……殺気さえ分かれば、軌道を読むは容易い」
景胤が刀を振り下ろすと、強化プラスチックのヘルメットは一撃で粉砕する。
最新鋭の装備を纏った警備部隊は、わずか数十秒で全滅した。
硝煙と血の匂いが混じり合う甲板で、景胤は刀についた血を振るい月を見上げた。
「制圧完了だ。白兵衛、舵を取れ」
「チッ、化け物かよ……」
白兵衛は震える声で答え、操舵室へと走った。
藤堂は景胤の元へと駆け込む。
「おい、殺してないだろうな?」
「ああ、峰打ちだ。斬ってはいない」
銃という圧倒的な文明の利器さえも、彼らの「武」の前では無力だったのだ。
東京、総理執務室。
モニター越しにその一部始終を見ていた仙斎は、深いため息をついた。
「ふむ、私としたことが油断したな」
だが、その口元は微かに緩んでいた。
衣笠が青ざめた顔で進言する。
「仙斎様、これは想定外です! 直ちに自爆装置を起動し、船ごと沈めるべきでは?」
「待て」
仙斎は手を挙げて制した。
彼は画面の中で、返り血を浴びて佇む景胤と初梅を、愛おしそうに見つめた。
「十七年も育てた武士を間引くなんてとんでもない。まだ熟してはいないが……この強さは本物だ。銃弾を見切るとはな。私の設計以上の性能が出ている」
「し、しかし! このままでは彼らが本土へ……!」
「構わん。通せ」
仙斎はモニターのスイッチを切り、椅子に深く腰掛けた。
「たった八人だ。軍隊なら脅威だが、数匹の狼なら制御できる。それに……」
彼は愉しげに笑った。
「テイスティングも一興だろう。彼らがこの現代日本という『ぬるま湯』に飛び込んだ時、どんな波紋を広げるか……見ものじゃないか」
総理の許可を得て、乗っ取られた輸送船は闇夜の海を突き進む。
目指すは静岡──師水港。
時代錯誤の怪物たちを乗せた黒船が、静かに……しかし確実に現代日本へと侵攻を開始した。




