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#13 発芽

 山那の居城、その最上階にある上段の間。

 本来ならば敗軍の将や捕虜が足を踏み入れることの許されないその場所で、奇妙な謁見が行われていた。


「……なるほど。箱庭、か」


 床に座らされた美咲と牧村を見下ろし、山那景胤は短く呟いた。

 その口調には、捕虜に対する威圧も、狂人の戯言を聞く侮蔑もない。

 あるのは、難解なパズルが解けた時のような冷徹な納得だけだった。

 美咲と牧村は客人として景胤の前に座らされている。

 景胤は手元の扇子を弄びながら天を仰ぐ。


「幼き頃より感じていた違和感の正体が、それであれば合点がいく。なぜこの島には、我らと同じ世代の者しかおらぬのか。なぜ外の海へ出ることを古き掟として頑なに禁じているのか」

「し、信じてくれるんですか……?」


 牧村が恐る恐る尋ねる。

 景胤は鼻を鳴らし、薄い唇を歪めた。


「疑う余地がないほどにな。お前たちの語る『外の世界』の理と、我が身に流れる血の騒ぎ……すべてが符号する。我らは飼われていたというわけだ。見えざる手によってな」


 その時、廊下から慌ただしい足音が響いた。

 襖の向こうで、家臣が声を張り上げる。


「申し上げます! 城内に侵入者あり! 細河の残党と思われますが、その中に奇妙な格好をした男が──」

「通せ」


 景胤は短く命じた。

 家臣が戸惑う気配を見せるが、主君の二度目の言葉は死を意味することを知っている。

 襖が左右に開かれた。

 現れたのは、泥にまみれ肩で息をする四人──白兵衛、千鶴、鷹丸、そして藤堂だった。


「藤堂さん!」

「ああ、藤堂さん! 生きてた!」


 美咲と牧村が身を乗り出す。

 藤堂は室内の状況を一瞥し、二人が五体満足であることを確認すると、大きく息を吐き出した。


「無事か、二人とも」

「は、はい……怖かったっすよ……ぁ……」


 牧村は藤堂の顔を見た瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。


「おい、牧村!」

「なんだ騒々しい。下がらせて休ませろ」


 景胤が顎で控室を指し示す。

 家臣たちが牧村を運び出し、美咲と藤堂も一旦退出して身なりを整えるよう促された。

 残されたのは、景胤と白兵衛、千鶴、鷹丸。

 そして景胤の影のように控える初梅のみ。

 張り詰めた沈黙の中、千鶴が静かに進み出た。

 畳の上に両手をつき、深々と頭を下げる。


「山那市之丞景胤殿……細河元継が娘、千鶴にございます」

「面を上げよ」


 千鶴は顔を上げ、毅然とした瞳で景胤を見据えた。


「我が父は討たれ、城も落ちました。勝敗は決しております。どうか、これ以上の無益な殺生はお止めください。残された民と兵の助命を、細河の名において懇願いたします」


 その声は震えていなかった。

 自らの命を天秤に乗せた者の覚悟。

 景胤は扇子を畳み、満足げに頷いた。


「見事だ。敵将の娘ながら、その気高さ……殺すには惜しい」

「では」

「うむ。降伏を受け入れよう。民への略奪も禁ずる。ま、元よりこれ以上戦はするつもりはなかったのだが」


 景胤は立ち上がり、千鶴の元へと歩み寄った。


「細河の姫よ。我らは来賓として其方を迎える……いや、これよりは『正室』として、我が山那の家に入ってもらおうか」

「……え?」

「南北二つの家が一つになれば、家臣団も納得する。無駄な血を流さず、この匣爾国こうじのくにを真に統一するには、それが最も早道よ」


 政略結婚──戦国の世では常套手段である。

 千鶴は一瞬だけ視線を彷徨わせたが、すぐに唇を引き結び、再び頭を下げた。


「……謹んで、お受けいたします。民が救われるのであれば、この身など安いものです」

「おい、いいのかよ」


 たまらず声を上げたのは白兵衛だった。

 彼は不満げに顔を歪め、千鶴の背中を睨んでいる。


「細河様の……父の仇だぞ。そいつの嫁になるってのか!」


 白兵衛の問いに、千鶴は顔を伏せたまま、誰にも聞こえぬごく小さな声で呟いた。


「……本当の父ではないもの」


 その言葉の意味を拾えた者は、この場にはいなかった。

 景胤は白兵衛の不満げな様子を見て、微かに口角を上げた。


「不服か? 雑兵」

「ああ、気に食わねえな。やり方が強引すぎる」

「強引でなければ何も変わらぬ」


 景胤は広間の窓へと歩み寄り、眼下に広がる城下町を見下ろした。

 そこにはまだ煙がくすぶっているが、新たな略奪や放火が行われている様子はない。


「小競り合いを繰り返せば、国力は衰える一方だ。誰かが泥を被り国を統一せねば、この国はいずれ立ち行かなくなる。儂は兵こそ斬ったが、女子供、百姓には手を出しておらん。人は城よ……農地も保証し、飢えさせぬと約束しよう」


 その言葉に嘘の色はなかった。

 徹底した合理主義と、支配者としての矜持。

 白兵衛は「そういうことじゃ……」と口の中でぶつくさと繰り返した。

 それが、景胤の正論に対する反発なのか、それとも千鶴を奪われたことへの嫉妬なのか。

 彼自身にも判然としない感情が胸に渦巻いているようだった。


「すまん。戻ったぞ」


 半刻後。身なりを整えた藤堂、美咲、そして意識を取り戻した牧村が広間に戻ってきた。

 車座になり、改めて情報の共有が行われる。


「……つまり、我らを操り、この箱庭を作ったのは『センサイ』なる男だと」


 一通りの説明を聞き終えた景胤が、確認するように言った。

 自らが実験動物であったという屈辱的な事実。

 だが景胤は怒り狂うでもなく、むしろ愉悦に浸るように目を細めた。


「面白い。神仏の真似事とはな……ならば、こちらから仕掛けて、逆に支配してやろうではないか」

「簡単に言ってくれるな」


 藤堂が呆れたようにため息をつく。

 彼は美咲が持っていたタブレットの地図アプリを指差した。


「俺たちがここに来るまでの航路、海流の速さ……全て計算したが、今のこの島の技術で海を渡るのは不可能に近い。それに、仙斎は監視衛星まで使っている可能性がある。木造船で出れば、即座に沈められるぞ」

「どうとでもなるであろう」


 景胤は一蹴した。


「今は無理でも機は熟す。島は戦で疲弊しておる。まずは地盤を固め、力を蓄える準備期間が必要だ」


 景胤は扇子を地図の上に置いた。


「山那と細河、そして島内の全戦力を結集すれば、兵の数はおよそ一万。決して少なくない数だ。これを精錬し牙を研ぐ」


 一万の軍勢。

 十七歳の少年が口にする規模ではない。

 美咲は藤堂の耳元に顔を寄せ、声を潜めた。


「藤堂さん……彼、本当に十七歳なんでしょうか。貫禄というか、格が違いすぎます」

「……ああ」

「聞こえておるぞ」


 景胤が視線を動かさずに言った。

 地獄耳だと美咲が肩を縮める。

 景胤は地図を見つめたまま、淡々と言葉を紡ぐ。


「年齢など些少なこと。生まれながらにして大名として育てられ、人の上に立つ責務を負ってきたのだ。凡俗な物差しで測ってもらっては困る」

「……とんでもねえガキだ。日本で普通に生まれてたら、どんな大人になってたんだろうな」


 藤堂が苦笑する。

 末恐ろしいほどの才能とカリスマ性。それが狂った実験によって、戦国大名として完成されてしまっている。

 白兵衛は腕を組み、首を傾げた。


「しかしよ、わけが分からねえな。俺たちと同じ世を生きてる人間なのに、なんで藤堂たちはそんな『未来の道具』を持ってんだ? 未来人なのか?」

「違う。時代は同じだ。お前たちの時計が止められていただけだ」


 藤堂は白兵衛たちを見渡した。

 十七年前、何者かに奪われ、親の顔も知らずに育った子供たち。


「……必ず、親の元に帰してやる。だがそのためには、お前たちが『どこの誰か』を特定しなきゃならねえ。どこで生まれたか、何か手掛かりがあればいいんだが……」


 戸籍も記録もない。

 手詰まりかと思われた、その時だった。


「……白かった」


 鈴を転がしたような、しかし錆びついた扉が開くような声が響いた。

 全員の視線が一斉に一点に集中する。

 声の主は、景胤の背後に控えていた初梅だった。

 あの景胤でさえ、驚愕に目を見開いている。

 鷹丸に至っては「喋った!?」と素っ頓狂な声を上げていた。


「初梅? 言葉が話せるのか?」

「……白い部屋。小鳥のような声。行き交う大きな影」


 初梅は虚空を見つめ、断片的な単語を紡ぎ出す。

 それは言葉というより、脳裏に焼き付いたデータの読み上げに近い。


「……窓の外……高い、塔……赤い、光」

「そ、それって!」


 牧村が弾かれたように顔を上げた。


「胎内記憶……いや、乳児期の記憶ですか!? 稀にいるんですよ、赤ちゃんの頃の記憶を鮮明に覚えてる人が!」

「……その服を見て思い出した」


 初梅が指差したのは、美咲と牧村のスーツだった。


「白い服の男たち。それと同じ匂い」


 研究員や医師たちが着ていた白衣やスーツ。その質感や雰囲気が、彼女の深層心理に眠っていた記憶の蓋をこじ開けたのだ。

 藤堂の眼光が鋭くなる。


「高い塔に、赤い光……それにその記憶。場所を特定できるかもしれねえ」


 十七年前の東京。病院か、研究所か。

 風景の断片さえあれば、現代の捜査網で位置を絞り込める。


「ここを突けば、仙斎の喉元に食らいつける……覚悟を決めろ。俺たちは必ず、奴を追い詰める」


 藤堂の力強い宣言に、その場にいた全員の意思が一つに結ばれた。

 景胤はニヤリと笑い、膝を叩いた。


「よかろう。外への攻め手が見つかるまで、儂はこの国を盤石にする。全員、励めよ」


 夜──山那の城の一角、客室としてあてがわれた部屋で、藤堂、美咲、牧村の三人は車座になっていた。

 外からは、新しい国主の誕生を祝うかのような、虫の音が聞こえてくる。


「……ねえ、藤堂さん」


 美咲が声を潜めて耳打ちする。


「私たち、このまま彼らに乗じて、本当に本土へ攻め込むつもりですか?」

「……まさかな」


 藤堂は顔をしかめ、天井を仰いだ。


「脱出するのは大賛成だ。だが、一万の軍団が静岡に上陸してみろ。大混乱どころの騒ぎじゃねえ。自衛隊が出てきて、それこそ戦争だ」

「ですよね……」

「電波も繋がらねえ、船もねえ。島を出る手段がない以上、今はコイツらと対立するのは得策じゃねえ。とりあえずは身を潜めて、生き抜くしかねえな」


 藤堂は自嘲気味に笑った。


「最悪、ここで骨を埋めることになるかもしれんがな」

「い、一生帰れないってことですか……?」


 牧村の顔色が真っ青になる。

 コンビニも、ネットも、アニメもない世界での永住。


「そんな……嘘だ……」


 牧村は白目を剥き、本日二度目の気絶をして畳に突っ伏した。

 美咲が呆れたようにその背中を叩く中、藤堂は窓の外、霧に煙る暗闇を見つめ続けていた。

 その霧の向こうに、巨大な悪意が笑っているような気がしてならなかった。

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