#12 救出
雨上がりの森は、不気味なほど静まり返っていた。
木々の葉から垂れる雫の音だけが、足早に進む三人の足音に重なる。
「……おい、白兵衛。俺には連れがいる」
ぬかるんだ山道を歩きながら、藤堂が口を開いた。
前を行く白兵衛は足を止めず、背中越しに答える。
「連れ?」
「ああ。部下の男女二人だ。はぐれちまったが、恐らく生きてる」
「諦めな。山那の軍勢は根こそぎ殺して回ってる。運良く生きてても、今頃首を並べられてカラスの餌だ」
白兵衛の声には感情がなかった。それは冷淡さというより、戦場の現実を知る者の諦観だった。
だが、藤堂は引かない。
「死体を確認するまでは死んでない。俺は探す」
「……物好きだな。自分の命も危ういってのに」
白兵衛は呆れたように肩をすくめたが、それ以上否定はしなかった。
藤堂の目にある光が、ただの強がりではないことを感じ取ったからだ。
しばらく進むと、山の頂上に砦らしき外壁が見えてくる。
「あそこだ。村の小屋……まだ無事だったみてえだな」
白兵衛が砦の中に入ると、湿気と血、そして人の体臭が混じった生温かい空気が溢れ出した。
砦には、数十人の人間が身を寄せ合っている。
逃げ延びた村人や、傷ついた城の兵士たちだ。彼らの目は一様に怯え、絶望に濁っていた。
「……おお、白兵衛! 生きておったか!」
奥から、すす汚れた老人が駆け寄ってきた。村長だ。
その顔には深い疲労が刻まれているが、白兵衛の無事を見て安堵の表情を浮かべる。
「村長、無事だったか」
「なんとかの。おや、後ろにおられるのは……おお!」
村長の視線が、白兵衛の背後にいた千鶴に向けられると、場が一変した。
うずくまっていた兵士や村人たちが、弾かれたように顔を上げ、次々と地面に額を擦り付けたのだ。
「姫様……! 千鶴様!」
「よくぞご無事で……! ああ、細河の血は絶えていなかった!」
ボロボロの着物を着た大人たちが、涙を流して拝んでいる。
国を失い、家を焼かれてもなお、彼らにとって姫という存在は絶対的な希望なのだ。
千鶴は気丈に振る舞い、彼らに労いの言葉をかけながら、奥の比較的清潔な場所へと案内されていった。去り際、彼女は白兵衛たちに無言の目配せを送った。
「して白兵衛、そちらの男は誰じゃ? 見たことのない顔だが」
村長が、半裸の藤堂を怪訝そうに見上げる。
藤堂は上半身裸で、下半身のスラックスは泥だらけだ。
現代のスーツのズボンは、この時代にはあまりに異質すぎると判断した藤堂。
とっさに、小屋の隅に落ちていたボロ布を拾い上げ、腰に巻き付けた。
即席の腰巻スカートのようにして、ズボンの形状を隠す。
「コイツも逃げてきたヤツだよ。流れ者だ」
「ふむ……まあよい。生きてるだけで儲けものじゃ」
白兵衛が適当に誤魔化すと、村長はそれ以上追求しなかった。
藤堂は黙って、周囲の大人たちを観察した。
老人、女、子供。彼らの表情にあるのは、演技とは思えない切迫した恐怖だ。
(……こいつらはどっちだ? 仙斎の手先か、それとも完全に記憶を操作された被害者か?)
もしここが実験場なら、この老人たちは仙斎の手先である可能性が高い。
だが、彼らの瞳の揺らぎ、震える手先、その全てがあまりにリアルだった。
藤堂は判断を保留し、息を潜めた。
その時だった。
入り口近くの木陰から、音もなく一人の影が飛び降りてきた。
「よお。白兵衛。生きてたか、しぶといな」
柿色の小袖を着崩し、背中には薬箱や縄など様々な道具を背負った青年。
目つきは鋭いが、どこか飄々とした空気を纏っている。
「鷹丸! 生きてたのか!」
白兵衛が声を上げる。
鷹丸と呼ばれた青年は白兵衛の肩を軽く叩くと、ふとその後ろを覗き込んだ。
「……で、傳八のバカは? 便所か?」
その問いに、白兵衛の表情が凍りついた。
彼は無言で、ゆっくりと首を横に振った。
鷹丸の動きが止まる。
一瞬だけ、その顔が痛みに歪んだが、すぐに元のドライな表情に戻った。
「……そうか。あいつも運がなかったな」
短く吐き捨てられた言葉。
だが、そこには確かな哀悼の響きがあった。
村長が沈痛な面持ちで鷹丸に問う。
「して、忍びの鷹丸よ。偵察の様子はどうじゃ」
「酷いもんだよ。城下町は全滅。細河の兵はほぼやられたな。率いているのは銀色の髪をした将だ。あれは強いなんてもんじゃねえ」
鷹丸は身震いするように肩をすくめた。
「それにな、恐ろしく強い忍びがいた。初梅だ」
「初梅……? お主と同じ忍びの里の出か」
「ああ。昔から変な奴だったが、今は完全に『人形』だ。表情一つ変えず、機械みたいに人を斬ってた。ありゃ人間じゃねえよ」
そして鷹丸は、思い出したように付け加えた。
「あと、見たこともねえ珍妙な格好をした男女が捕まってたぞ。殺されずに連行されてった」
藤堂が反応し、食い気味に詰め寄る。
「その男女の特徴は! 二人はグレーの……奇妙な服を着ていたか!?」
「お、おう。男の方はギャーギャー喚いてたな。女の方は肝が据わってたが……てか、誰だお前」
間違いなくあの二人だと確信した藤堂は、拳を握りしめた。
「あいつらだ……生きてるなら、助けに行く」
「はあ? やめとけ、死ぬぞ。今は嵐が過ぎるのを待つべきだ」
鷹丸が呆れたように忠告するが、藤堂は首を振った。
「部下を見捨てるような上司はクソ野郎だ。俺は行く」
「俺も行くぜ」
白兵衛が刀を抱えて立ち上がった。
「ここに隠れてても、いずれ見つかって殺される。なら、打って出るしかねえ」
「お前ら正気かよ……」
村長たちも引き止めるが、二人の瞳に宿った決意の炎は消えそうになかった。
翌朝──薄暗い森の中、出発しようとする白兵衛と藤堂の前に、一人の影が現れた。
家臣たちの目を盗んで抜け出してきた、千鶴だった。
白い小袖に袴姿。
その腰には、護身用の短刀が差されている。
「私も行く」
「何言ってんんだ? 足手まといだ。戻れ」
白兵衛が即座に拒絶するが、千鶴は一歩も引かなかった。
「山那といえど、これ以上の殺戮で民を減らすのは不本意なはず。私が細河の名代として投降し、和平を申し入れれば、民への被害は止められるわ」
「お前……」
それは自らを人質として差し出す、捨て身の策だった。
敵将の前に首を差し出し、慈悲を乞う。
プライドの高い彼女にとって、それがどれほどの屈辱か──白兵衛には伝わっていた。
「死にに行くつもりか? 拾ってやったのに」
「生きるための覚悟よ。民を救うには、これしかない」
その凛とした瞳に、白兵衛は言葉を失った。
ただ守られるだけの姫ではない。
彼女もまた、戦っているのだ。
白兵衛は溜息をつき、頭をかいた。
「……分かった。勝手にしろ」
「ええ、勝手にするわ」
三人が歩き出そうとした時、背後から呼び止められた。
「待たんか!」
村長だった。
彼は厳しい顔で三人を見渡すと、ため息交じりに後ろを振り返った。
「全く……若人はすぐに死に急ぐのう。止めても無駄じゃろう? なら鷹丸。お前も行け」
「げっ、俺もかよ!」
木の上で様子を伺っていた鷹丸が、顔をしかめて飛び降りてくる。
「本気か爺さん? あんな死地に飛び込むなんて御免だぜ」
「禄は与えてあるはずじゃぞ。姫様と白兵衛を死なせるでない」
「ちっ……これだから忍びの家系は嫌なんだよ」
鷹丸は悪態をつきながらも、背負った荷物を整え、白兵衛たちの隣に並んだ。
「へいへい、分かりましたよ。乗りかかった船だ。働きゃいいんだろ」
白兵衛、藤堂、千鶴、そして鷹丸。
目的も身分も異なる四人は、霧の立ち込める森を抜け、景胤の待つ地獄の城下町へと足を踏み出した。
同時刻──東京。
警視庁本部庁舎、組織犯罪対策部。
無機質な蛍光灯の下で、課長の合田は受話器を荒々しく叩き切った。
「……ダメだ。藤堂のやつ、まだ繋がらん」
苛立ちを隠せない合田の声に、デスクでパソコンを操作していた同僚の刑事、能勢が眼鏡の位置を直しながら応じる。
「GPSの信号もロストしたままです。小野田と牧村の端末も同様。静岡の港で反応が消えています」
「三人同時に音信不通なんて……ただ事じゃありませんよ」
部下の女性刑事、志摩が不安そうにコーヒーを運んでくる。
彼女の勘は鋭い。
普段から藤堂を慕っているだけに、その表情には深刻な色が浮かんでいた。
「むう……」
合田は窓の外、都心にそびえ立つ大國グループのビルを見上げた。
朝日に輝くその巨塔は、何もかもを見下ろすように冷たく佇んでいる。
「藤堂のやつ、仙斎の尻尾を掴むと言っていたな……」
合田は眉間を揉んだ。
藤堂の暴走はいつものことだが、今回は何かが違うと確信していた。
「まさか、本当に『虎の尾』を踏んじまったんじゃないだろうな」
警察内部でも、藤堂たちの失踪が静かに……しかし確実に波紋を広げ始めていた。
彼らが消えたその先に、日本の常識を覆す狂気が待っていることなど、まだ誰も知る由もなかった。




