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桜花に戀時雨 ②


「能力を使ったらワタクシ、そのまま社に帰るから。あとのことはよろしく」

「はあ!?ずるいぞ一人だけ!!」

「ロゼイア姉様、最後まで見届けないの!?」

「ワタクシがいなくても二人だけなら願糸は回収できるでしょ?メインは依頼者。裏方は見習いの仕事。脇役のワタクシは僅かなセリフを告げて舞台から降りるわ。人の恋路を除く下品な趣味はないの。それに今日は新色のアイシャドウが発売しているらしいから、見に行きたいのよ」

「最後のが本音だろ!!」

「そういうわけだから、あとのことは任せたわ」


翌日。水綺達は再び薫の元に訪れた。ロゼイアの命令に鏡影は突っかかるも、結果は暖簾に腕押し。見習いの肩書は肩身が狭い立場である。









「では、素敵な夢を楽しんで」



美しい花には棘がある



花が咲く。世界が一瞬、鮮やかになる。まるで神様が気まぐれで百年に一度だけ咲く花を、満開にして咲かせたかのように。翳と並んで歩けるという、たったそれだけのちっぽけな願い。素敵な魔法にかけられた薫は世界で一番幸福な妖であると、疑いようもなく確信した。



「薫、おはようさん」

「翳。こんにちはの間違いだよ?このやりとりするのは何回目だい?もう飽きてしまったよ」

「そんなつれんこと言わんとってーな。ただの挨拶やん。ん?薫。なんや今日香水つけたん?」

「おや、分かるのかい?」

「おん。ええ匂いやね。あ、不快な思いさせたらごめんな。でも珍しいやん、香水つけるなんて。今日はご機嫌さんなん?」

「ふ、ふふ。そうさ。私はとても機嫌がいい」


薫は翳に白杖を持っていないほうの腕に、そっと触れた。


「翳、今日は散歩に行こうか」

「え?薫?!」

「さ、こっちだよ」


薫に残された時間は午前零時の鐘が鳴るまでにも届かない、ほんの僅かな時間。薫は楽しげに微笑んで翳の手を優しく引いた。

二人肩を並べるほどの道に、薫と翳は和やかに歩く。からっと青く晴れた空。雨が降ると言っていた天気予報は嘘のようで、用済みになった折り畳み傘が翳の左手首にぶら下がる。


「傘、よかったら持とうか?」

「ありがとう。でも平気や。代わりに自転車(じてこ)来たら教えてな」

「それは構わないけど」


カツン、と白杖の先が音を立てる。


「へへ。薫とこうしてお散歩すんの初めてやね。目が見えたら共有できたんやけど、あったかいしか分からんな」

「……そりゃあ、春だから温かいよ」

「やけど急にどないしたん?お散歩なんて。普段あそこしか喋ってくれへんかったやん」

「言っただろう?私はとても機嫌がいいんだって。それとも、嫌だったかい?」

「ちゃうちゃう!嫌やなわけあらへんよ。めっさ嬉しい。ただ、そういうんは目が見えてからやりたかったってゆーか。うん…」

「お話だけじゃ飽きてしまうだろ?気分転換にいいかと思ってね。目の調子は今のところどうだい?」

「あー…お医者さんには心の病気やから、癒えたら自然に治るんやと。ま、なんとかなるやろ」

「相変わらずお気楽だね」

「ええねん。治る時は治んねん。なぁ、周りはどんな感じ?花は咲いとる?蜂とかおんのかな?」

「さあ、どうだろうね」

「そこは教えてくれるんやあらへんの!?」

「それじゃつまらないだろ?有るか無いかで教えるよ」

「えー?じゃあ草はある?」

「あるに決まっているじゃないか。馬鹿なのかい?」

「急に言葉強くなんのやめてもろて」


そんなやりとりをしながら歩く。平日の昼間ということもあるのだろう。時々ウォーキングの人しかすれ違わない。風がほどよく吹いて、沿道に咲く桜並木が揺れる。遠くで踏切の警報音が鳴り始める。規則正しいその音が、周囲の気配を一つずつ塗り潰していく。この時間そのものを追い立てるかのように。


「……翳?」


ふいに桜の下で翳は立ち止まる。薄紅色の雨の中、辺りを見渡し、手のひらを上に向けて首をかしげた。その仕草を見て薫は胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。ああ、そういえば桜が咲いているということを伝えていない。かげる、と名前を告げようとして。


バン


翳は左手首にぶら下げていた折り畳み傘を張る。思わぬ行動に薫は驚く。翳は広げた傘を薫がいる方向に傾けた。


「薫、こっちにおいで」


目を閉じたまま、くったくない笑顔で招く。


「雨降っとるやろ?予報通りやね。傘持ってて良かったわ」


おや、おや、これは。くすくす、と思わず笑い声が漏れる。雨なんて降っていないのに、花びらを雨と勘違いするなんて。


「薫?なんしとん?濡れてまうで」

「ふ、ふふ。失礼、入るよ」


濡れないようにと一生懸命傘を差してくる翳に、駆け寄って傘に入る。空いた距離が一気に近くなる。瞼を閉じた翳がすぐそこに。少しでも近づけば触れてしまうほど。


「濡れてへん?」


その言葉に応えようとした次の瞬間、地面を震わせる轟音が迫り、電車がすぐ傍を世界ごと引き裂くように通過していく。電車の轟音に紛れて世界の輪郭が滲んだ。指先の感覚が、ふっと薄れる。ああ、と薫は思う。



時間だ



「薫?」


薫はそっと、心配してくれる翳の頬に手を添えた。



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