荒れ庭の剪定
「………ここが、今回の依頼先か」
鏡影が足元の小石を蹴る。からん、と乾いた音が響いた。
時だけが置き去りにされた古びた屋敷は、誰を待つこともなく佇んでいる。瓦は欠け、柱には蔦が絡み、破れたままの障子は風に揺れるたびに乾いた音を立てた。庭は草が好き勝手に伸び、剪定を忘れられた枝が空へ絡みついている。花の気配は、どこにも見当たらなかった。本当にこんな寂れた場所に依頼者はいるのかと、水綺は不安になった。もし恐ろしいものだったらどうしよう。水綺は綻びの社の者でありながら怖いものが苦手だった。
「おい、口上は?」
「わ、わかってるってば」
水綺はゆっくりと呼吸を整え、口上を述べた。
「もし、もし。願いを叶えに、綻びの社から参りました。糸は、お持ちでしょうか?」
パキ、パキパキ
枯れ木だと思っていた木が、渇いた音を立てて動く。湿った土の匂いが、ふいに濃くなった。
「あぁ、久しき、客人だ……」
長らく声を発していなかったのだろう、掠れた声で屋敷を訪れた客人を迎え入れた。
「ごきげんよう、ジェントル。ワタクシ達は綻びの社の者。願いを叶えに来たわよ」
「おお。其方らが、そうか。もてなしも出来ず申し訳ない」
「結構よ。食べ物さえ頂ければ文句はないわ」
「食べ物?腹が減っているのか?」
「あらやだ。ワタクシ達に空腹を訴えるような無作法はございませんわ」
「ごめんなさい。願いを叶える代金として何か一つ見返りがいるの。ロゼイア姉様の見返りは食べ物なんです。なんでもいいので食べ物ありませんか?」
「そうか…それは、失礼……」
一瞬言葉を探すように沈黙したあと、ぎこちなく頭を下げた。その拍子に肩から垂れた枯れ枝がさらりと音を立てる。
「ここがまだ賑やかであった頃なら、何か出せたのだろうが……今は、この有様だ。庭に実るものも、とうに枯れた」
水綺はその言葉に庭へ視線を向ける。伸び放題の草、絡み合う枝。かつては手入れされていたであろう痕跡だけが、わずかに残っていた。
「唯一あるとすれば、これだろうか」
木の軋む音を立てながら、庭守は伸び放題の草から素早く何かを掴む。ぎゅ、と強く握り込んでからこちらに向かって握った拳を開く。そこにはぐったりした蜂がいた。
「家の主人は蜂を食べていた。願いの代価にはどうだろうか?」
「………」
虫を、食べる……?なんでもいいって言ったけど、流石にコレは。思わずロゼイア姉様に目を向ければ、姉様は瞳孔を細めて蜂を一心に見つめていた。
「ろ、ロゼイア姉様?」
スーーーーっと息を吸って、視線を逸らしながら扇子を華麗に広げる。
「……鏡影、コレを火で炙って調理なさい」
「正気か?」
「なんでも食すのが、ワタクシの役割ですもの。フランスではオードブルにエスカルゴが出されるわ。たとえ虫だろうと皿に乗せれば食べるわよ。いいから調理なさい」
「おえー」
「沢山食べるならまだ捕まえるが?」
「結構よ」
依頼人の好意をバッサリ切り捨てる。鏡影はロゼイアの指示で調理するために古びた屋敷へ入っていった。
「さて、前座はこれくらいにして自己紹介しましょう。ワタクシは社の遣いのロゼイア。Mr.の願いを叶える者よ。そして見習い1と2よ」
「水綺です。料理しにいったのが鏡影です」
「ワシは庭守。庭を整えるのがワシの役目」
「では願いをお聞きしても?ワタクシに、叶えたい願いは何?」
庭守は剪定鋏を手に取る。刃は錆びていたが手入れは行き届いていた剪定鋏を、庭守は寂しげな表情で撫でた。
「この荒れた庭を、もう一度美しい庭園にしたい」
庭守は懐かしげに語る。
「ここの主人はそれはもう騒ぐのが好きな人でな、妖である我らと昼夜問わずどんちゃん騒ぎをしておった。やれ花見だ、やれ競争だのと。散らかしては奥方に怒られ、皆でよく掃除や修繕をした。主人はワシに無茶振りをするのだ。庭に金魚池を作れとか、忍者がやっていたという、木を飛び越える仕掛けを埋めろとか。あとは猫の形に剪定してほしいとか」
「うわー」
「苦労させられたが、ワシはとても楽しかった。皆もなんだかんだ主人を慕っていたのだ。だが主人は病で死に、皆は悲しみに暮れたが主人が居ない屋敷から出て行った。最後に残ったのはワシ一人だけとなった。庭を整えようにも、ワシも歳をとりすぎた」
庭守の言葉が途切れると庭に風が吹く。美しかった庭の面影をなくした寂れた跡地。楽しかった思い出も、沢山賑わっていた形跡も長年の月日で消え去った。たった一人、思い出と共に居座った彼はどう思っていただろうか。
「願いを叶える者よ。どうか、ワシの願いを、聞き届けてくれぬか。この庭をもう一度、あの頃のように美しい庭園に整えたい」
庭守の願いに、ロゼイアは美しく微笑む。
「よくってよ。その健気な願い、叶えてあげる」
ロゼイアは手を庭守に差し出す。
「まずは池にご案内していただけるかしら?Mr.?」
「もちろん。案内しよう、美しきお嬢さん」
華奢な手に、枯れ木の枝が添えられた。
庭守に導かれ、朽ちた石畳を踏みしめて池へ向かう。かつて水面を彩ったであろう睡蓮は影もなく、濁った水の底には沈殿した落ち葉と折れた枝が重なっていた。
「……ここが、主人のお気に入りでな。春は花筏が流れ、夏は金魚が跳ねた。秋は紅葉が映り、冬は雪見酒だ……だが今は、何もない」
「何もない?ご冗談は御伽話にしてちょうだい。何もないなんてないわ。だって今から、手入れをするのだから」
ロゼイアは懐から小瓶を一つ取り出す。蓋を外すと中身の液体をすべて池へ注いだ。
「庭はその家の格・教養・人となりを映す鏡。綺麗で整えてあればその者の価値は評価され、逆に荒れていれば品性のかけらもないと見做される。花を育てるのと同じで放っておけば荒れ、触れれば応えるものよ」
濁っていた水が透き通り、沈殿した落ち葉が消え、折れた枝は音もなく小さな種へと変貌する。
「あとは…鏡影!!ティータイムの時間は許してなくってよ」
「スミマセンデシター」
早々に調理し終わり、家の中でサボっていた鏡影は皿を片手にロゼイア達の方へ駆け寄る。
「メインディッシュは?」
「こちらに」
「よろしい。あなたは折り紙で庭を整えるための道具を折って、Mr.と共に庭を整えなさい」
「え、めんど」
「口答え?ワタクシに?」
「イイエ」
「ふん。この池の水を撒けば雑草は消え、種を地面に埋めれば花が咲くわ。さて、ワタクシは食事を摂るから後は任せたわ。頑張ってくださいまし」
「え!?ロゼイア姉様は?それにロゼイア姉様の能力ならこの辺り一体、綺麗な庭ができるのに」
「あらやだ。もう願いの内容を忘れるなんて、あなたの頭はウォルフィアと同じかしら」
「っ…い!」
扇子で額を叩かれる。鈍い痛みに手で覆った。
「依頼人の願いは"荒れた庭を美しい庭園に整えたい"よ。美しい庭にしてほしいじゃなく、整えたい。意味はお分かり?それにワタクシ、土いじりは趣味じゃありませんので」
「え、それじゃあ…ほんとうに一から?」
青ざめる私にロゼイア姉様は、それはもう絵画のように微笑む。
「それじゃあ、ご機嫌遊ばせ」
屋敷に向かうロゼイア姉様を、私は苦々しげに見送った。
「やるしか、ないっ…!」
「そんな決意固めても意味ねーぞ」
庭守は久しぶりに手にした剪定鋏を嬉しそうに構えた。鏡影はため息をつきながら折り紙を取り出す。
「庭の手入れする道具ってなんだ?」
「鋏と鎌、熊手に箒。塵取りとバケツ、柄杓にジョウロはいるな」
「よろしく!」
「鬼かよ」
鏡影は指先で器用に折り始める。折り紙はみるみる形を成し、やがて紙とは思えぬほど精巧な道具が次々と揃う。水綺は折り紙の箒を握った。
「よし、頑張ろう!」
気合を入れて枯葉と枝を掃き出した。




