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9、嫉妬(由貴)

「一緒に出るか?」


 流行りの超高層マンションではないが、閑静な住宅街にあるレジデンス。

 この男性がスーツを着こなしているのは、背が高いからだけではない。日々の鍛錬をおくびにも出さないが、服の上からでも分かる引き締まった身体が雄弁に物語っている。


 夫ながら尊敬の念を隠せない。


「うん、駅まで」


 目立つ外国車に乗り込む。

 この車は、そんなに好きじゃない。


「今日はどうするんだ?」

「カフェでコーヒーでも飲みながら、マニュアルの翻訳を進めようかな」

「それは待ったがかかったんじゃないのか?」

「そうだけど、他にやることないし」


 駅前のロータリーで降ろしてもらう。

 注目を浴びるのは、いい気分だったりする。


「今日は早く帰れそうだけど、どっか食べに行くか?」

「久々にフレンチはどう?」

「予約しておくよ。時間はあとでメールする」

「ありがとう。行ってらっしゃい」


 夫は役員を勤めている会社へ、車で通勤する。

 大手企業ではないが、エリートの部類に入る。

 こんなにハイスペックの人に見染められて、嬉しくないはずがない。


 私たちは、取引先の関係で知り合った。

 当時は何の役職にもついていなかったが、御曹司だもの。将来安泰。

 意外にも、私へのアタックは破壊力が想像を絶していた。

 あんなに好きだと言われれば、落ちない女なんていない。

 愛されてると言われて、嬉しくない女なんて絶対いない。






「いらっしゃいませ」


 通勤通学のラッシュアワーを過ぎた、落ち着いた店内で、いつものカフェラテを頼む。

 翻訳の概要を掴むため、タブレットで英語の資料を開く。

 人差指を滑らせながら、上に流れていく文字を目で追う。


 たぶん、傍から見たら、できる女性に映るだろう。

 私は、そう見られるのが好きで、あえてやってる。


「専門用語が多くて困るな……」


 初めて引き受けた「日本語⇒英語」の翻訳に、私は必死で取り組んでいる。

 ずっとやりたいと思っていた仕事だ。

 正直、お金にも時間にも困っていない。

 私が欲しいのは、やり切ったという充足感。


「むずぅ」


 シナモンを追加したカフェラテは、幸せの味がする。


 サンフランシスコに出張に行っている真実のことを考える。


「いいなぁ」


 紹介するんじゃなかったと言ったら、虫が良すぎるのは分かってる。

 あの時は、人手が足りなかったのは本当だし、真実は仕事ができた。

 私は新しい案件を抱えていたから、声がかからなかっただけだ、と悔しい気持ちに言い訳を……苦しいけどね。


「私だって、行きたかったのに」


 仕事が好きだから、子どもは欲しくないと言った。

 夫は「どっちでもいい」と答えてくれた。


 ひょっとしたら強がりかとも思ったが、本当にどちらでも良いようだ。

 私たちはそれぞれの時間を、自分たちのやりたいように過ごしている。

 この生活を叶えてくれている、夫の経済力には、とても感謝している。


「こんな暇なら、私だって行けたのに」


 仕事を真実に横取りされたような気がして、気持ちが押さえきれない。

 私は自他ともに認める負けず嫌いで実際、妥協をしたとこはないから。

 常に選び取ってきた選択肢は正しく、満足している……はずなのに……


 集中できないから、タブレットをしまった。


「変なの」


 いつもは甘く感じるシナモンが、今はしつこい匂いにしか感じない。

 私は飲み残しのカップを返却し、店を出た。






「あっつぅ!」


 ビルだらけの都会でセミは鳴かない。

 世の中は夏休みだから、一人で歩くのは浮いて見える。


「おばちゃん、こんにちは」


 声をかけられた。


「あ」


 真実の娘だ。

 英夫もいる。


「ちょ、奈美、おばちゃんは……失礼だぞ……」

「いいよ、別に。そういう歳だし。こんにちは、お久しぶり」


 本当はカチンときたけど、そんな大人気ない大人になったつもりはない。


「ほんと、久しぶりだな」


 英夫とは、同期入社だった。


「真実ちゃん、出張中でしょ?」

「ああ。これから俺の実家に行くんだ」

「へぇ」


 私たちは、付き合っていた。


「その辺で昼飯、食ってこうかって話してたんだけど、一緒にどうだ?」


 短いとはいえ、元カノだよ。


「いいね。ご一緒させていただきます」


 柄にもなく、子どもに好かれようとしてる。


「どうぞ、ご一緒に」


 何気に可愛いんだな。

 母性のかけらもないと思っていたから、自分で自分に驚く。


 娘ちゃんの希望で、ハンバーガーショップに入った。


「真実がいろいろ世話になってるらしいな」

「いや、巻き込んじゃって、悪いと思ってるよ」


 私たち、家族に見えるよね。


「昔から由貴に憧れてるからな、あいつ」


 気安く呼び捨てにしないで。


「英夫も変わらず?」


 呼び捨てで、お返しするぞ。


「ああ、由貴がいた頃と、そんなに変わってないと思うけど」

「は?さすがに、10年は……経ってないか……でも、いくら何でも変わってるでしょ?!」

「そうか。そんなに経ってるのか?やっぱり、けっこう変わってるかも」

「適当だなぁ~もう~」


 こういう軽い会話が、好き。


「真実とは違う仕事してるんだろ?」

「うん。残念ながら、私は今回、指名してもらえなかったの」

「なんだそりゃ。別件で忙しそうって聞いたぞ」

「そうだったんだけど……暇になっちゃって」


 結構、何でも話してるんだ。


「由貴と行ったパーティーとか、興奮してしゃべっててウケた」

「あれね、急に壇上で挨拶させられたんだよ?やめて欲しいよね」

「森さんって、いい人にも会えてよかったって言ってた」


 森さんのことも言ったんだ。


「出張に同行してもらえてよかったよね。一人じゃ、不安過ぎる」

「そうだな」


 ハンバーガーを食べ終えた娘ちゃんが、英夫から携帯を奪った。


「ゲームはダメだぞ」

「動画にするから!」


 私が持っていない物を持っている真実を羨ましいと思い始めてる。


「森さん紳士だからね、真実ちゃんを取られないように、気を付けなね」

「ああ」


 どうしたんだろう。

 英夫の顔が明らかに曇った……よね……?

 気のせいじゃないと思う。


 私は英夫を好きだっだし、別れたくなんて無かったんだ。

 この人の面倒くさいところ、私はよく分かってるつもり。

 真実と付き合い始めたのは、私が他の人と結婚してから。

 だから、嫉妬をするのは間違っているよ、分かってるよ。

 でもさ、なんでなの……私とあまりにも違う女性じゃない?

 さすがに傷つくよ。私は本当は好みじゃなかったって……そう言われてるみたいで。


「そろそろ行こうかな」


 私から言い出さないと、また無駄に傷つく気がした。


「そうだな。ほら、奈美、動画は終わりだ」

「えー、続き、お婆ちゃんちで見るから、消さないでね」

「はいはい」


 もしかして、このやり取りを身近に見てるのが自分だったかも知れないと想像してしまう。

 そんなはずは無いって分かってるのに。英夫と一緒になったとしても、私はきっと、今と同じ選択をしている。


「声かけてくれてありがとう。またね」

「ああ、元気でな」


 英夫の笑顔は変わらない。

 今でも、私の好きな、あの時のままで嬉しかった。






 一旦帰って、シャワーを浴びよう。

 気持ちが悪いのは、かいた汗だけじゃなかった。


「あぁ嫌だ。なんか嫌だ」


 飲み込むことも吐き出すこともできない、この胸の塊をどうにかしたい。


「ズルい」


 英夫と仲良くやっていて、子ども育てて、いい感じに歳を重ねてる。


 あんなに高いイブニングドレスをなんの躊躇いもなく、買っていた。


 フリーランスの仕事は、私が唯一、真実に勝てるところだったのに。


 既に多くを持っているくせに、更に求めてくる彼女を妬ましく思う。


 私からいろんなものを持って行ってしまう。真実は欲張りだと思う。






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