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7、苦手

 森さんからのメール返信に気が付いたのは翌日だった。


『ご連絡ありがとうございました。今度は会社にお越しいただけませんか?』


 挙げてくれた候補の中から、一番近い日に伺うと返信をした。

 仕事を離れて久しい私には、都会のオフィスは新鮮だ。


「ご無沙汰しております」

「こちらこそ。今日は、お呼び立てしてしまい申し訳ありません」


 そう言ってから私に顔を近付けて、こっそりとこう付け加えた。


「今日は、お仕事モードですみません」

「この前もお仕事ですよ」


 急に近付いてきたから、顔が一気に熱くなった。

 笑ってごまかしたけど、上手く笑えていたかな。


 広い会議室に通され、若い女性がコーヒーを運んできてくれた。


「お待たせしてすみません」


 ドアが開き、着席したまま顔を上げると、スーツを着た男性が7人も入ってきたので、慌てて立ち上がった。


「いやあ、こんなに大勢で押しかけて、驚かしてしまいましたよね。どうもすみません」


 一番偉そうな人から順に名刺を受け取ってゆく。


「申し訳ありません。私は名刺を……」

「いえいえ、お気になさらずに。我々もパーティーにいましたので、音山さんのことは存じ上げております」


 全員が着席し、会議室の明かりが落とされた。


「実は、弊社の新しいプロジェクトにご協力いただきたく、今日はご足労をいただきました。まずはプレゼン資料を見ていただけますか?」

「はい」


 ツルツルの白い壁に、プロジェクターが向けられた。

 丁寧に作りこまれた、パワーポイントのスライドが順に流れてくる。

 そのほとんどを、森さんが取り仕切っていた。


 内容は、先日、聞いた日本での知名度を上げるための戦略で、M&Aの計画も赤裸々に明かされた。


「プロジェクトの概要は以上となります」


 また、会議室が明るくなったので、スクリーンから正面の男性陣へ体の向きを変えた。


「そこでですね」

「はい」

「音山さんには、この商談を取りまとめるガイドと通訳をお願いできればと思っているのですが」

「はい?」


 想像もしていなかった話に、声が裏返ってしまった。


「本社の評判が良くてですね。社長が一度、音山さんをお連れするようにと」

「本社の社長って……」

「はい。サンフランシスコなんですが、弊社の社員とご同行願えますか?」

「えっ!」


 言葉に詰まり、目が泳いでしまった。


「急なお話ですので、今すぐお返事をいただかなくても結構です。ご家庭の事情もおありでしょうし」

「はあ」


 ポカンとしているうちに、皆、退室した。

 その後、森さんだけが、戻って来てくれた。


「いやぁ、急なことですみません」

「はい。驚いてます」


 さっきとは違い、森さんがパァッと明るく見える。

 どうしてだろう。同じ服なのに、変だな。


「でも、悪い話じゃなかったでしょう?」

「興味はありますが……」

「是非、受けてもらいたいなぁ、一緒に海外出張したいし」


 フレンドリーな言葉遣いに、逆に緊張する。

 森さんとアメリカ……ちょっと想像しただけで胸が高鳴る。

 暑くて、手の平で顔を扇いだ。


「暑いですよね。ホットコーヒー出すなんて気が利きませんね」

「いいえ」

「1Fのエントランスに自販機があるので、一緒に行きましょう」

「はい」


 右にも左にも、何台も並んでるエレベーター。

 一緒に乗るってだけで、緊張する。手と足が同時に出そうになる。


「冷たいのがいいですよね?」

「あ、自分で買います」

「これくらいさせてください」


 有無を言わさぬ優しさが、これまた最高にかっこいい。


「では、無糖のブラックを」

「音山さんとは好きな味が似てる気がします」

「?」

「甘いのより、辛いの。ですよね」

「ええ」


 私のこと、よく見てます。みたいな事を言わないでほしい。

 共通点を、嬉しそうに語らないでほしい。心が乱れるから。


 エントランスにある大きなふかふかの椅子に腰掛けて、お揃いの缶コーヒーを飲んだ。


「今日のお話、是非、前向きに検討してみてくれませんか?」

「家族に話してみます。明日、お返事させていただきますね」


 あんな風に言われたら断れないよ。

 私だって、森さんと一緒に出張行きたいもん。






 22:09


 夕飯を温め直して、テーブルに並べながら切りだした。


「今日、例の会社に呼ばれてね」

「へぇ、なんの話だったの?」

「新しいプロジェクトの手伝いで……」

「いいじゃん、やんなよ」


 そんな二つ返事で……

 私が何を依頼されたか知りもしないうちに……


「サンフランシスコに出張に行ってくれって」

「真実が?!」


 英夫の声がひっくり返った。

 私が聞いた時と同じ反応だったのがおかしくて、笑った。


「そう思うよね!私が?って!」


 英夫も一緒になって笑った。


「チャンスなんじゃないか?行っといでよ」

「ありがとう。5日間、家空けるけど、大丈夫?」

「問題ないよ。俺たちは真実が入院中の時だって乗り切ったんだからな」

「うん。ありがとう」


 英夫の後押しのおかげで、心が軽くなった。

 森さんへの返事を想像したら、心が苦しくなった。


「実家に帰るの早めようかな」

「奈美と二人で行くの?」

「ああ、だって、真実は俺の実家に行きたいわけじゃないだろ?構わないよな?」

「うん。私は別に……」

「母さんが奈美を見てくれると、俺も仕事に集中できるし」


 私が在職中、仕事と子育ての両立に悩んだ。

 子育ては夫婦のどちらかがやればいい事なのに、どうしたって母親が主導権を握らされる。


「真実が行けないときは、俺がいつでも行くから」と、言った英夫の言葉が忘れられない。

 つまり、まず最初に行くべきなのは「私」であると、予め宣言をされてしまったのだ。

 あの時、もし第三者の、例えば実家の助けがあったなら……と思う。


「奈美が一人にならないから、私もその方が安心かな」

「夏休みの帰省予定、早めるよ」


 有難いと思うと同時に、膨らんでくる。どす黒い感情。


 娘の保育園から連絡がある度に、気になる仕事を中断させ、同僚に頭を下げて帰宅した日々を思い出す。翌日はその流れで休ませなければならないことが多かった。朝早くからパソコンでできる仕事をし、病院が開いたら娘を連れて行き、午後は看病しながら家で働いた。もちろん、その間の家事は増えることはあっても、減ることはない。


「代わって欲しい」と思ったことが、「私の大変さを知って欲しい」と願ったことが、数えきれないほどある。


 私が大変な時には、一人で頑張ったのに、自分の時は実家に頼るのね……

 どこか、モヤッとする気持ちを吹っ切ることができない。


「よかったな」

「え?」

「また働けて、嬉しいんじゃないか?」

「うん。でもこんなフリーランスで海外に行くなんて、思ってなくて」

「奈美も大きくなってきたし、またやりたいようにやれるんじゃないか?」


 私の入院中、英夫はワンオペを経験したはずだ。

 きっと私の大変さも思い知ってくれたんだろう。

 これからは、家事も仕事も二人で分担して、同じくらいやって行こうと思ってくれてるのかな。悲劇のヒロインぶるのはやめよう。






「さて、今日も今日とて日記を書くのだ」


 ベッドに横たわって、日記帳を開いた。

 その日あったことを書き残す習慣は、そうそう無くならない。


「あ、そうだ。大事なこと……」


 私はまた古い日記帳を取り出した。

 もともと高いところは苦手だが、実は、飛行機が大嫌いなのだ。

 何時間も閉じ込められて、ずっと耳が痛いし、不快でしかない。


「そうそう、このとき」


 二十歳の時に行った、初めての海外旅行の日記を探し出す。

 気を紛らすために、機内で文句を書き綴ったページがある。


「どう書き換えようか」


 高いとこ苦手。じゃない。

 飛行機きらい。じゃない。


「『じゃない』って入れとけばいっかな」


 ブツクサ言いながら、じゃない、じゃない、と小さな字で書き加えていった。

 森さんとの出張が楽しみで仕方なくなっていた。






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