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6、密会

「お待たせしました」


 初めて袖を通したワンピースで、ホテルのロビーを歩いていると声をかけられた。


「森さん……今日は、お誘いいただきまして……」

「堅苦しいのはやめましょう。さぁ、テーブル席を予約してあるんです」


 通されたレストランのテーブルは、背の高いパーテーションで仕切られており、半個室のようになっていた。


「まずは、乾杯しましょう。音山さんはビールですよね」


 森さんはグラスビールを二つ注文した。


「来ていただけて嬉しいです。音山さんと二人になりたかったという下心は隠せませんが、仕事の話もちゃんとあります」

「下心って……」


 笑ってやり過ごそうとしたが、じっと見つめられて困った。

 心臓が爆発するといけませんので、こっちを見ないでいただけますか?と言いたい。


「パーティーのときに、綺麗な方だなとは思いましたが、なんか……印象が……」

「え?おかしいですか?」


 自分の服に目をやった。

 変だったかな?自意識過剰だった自分が異様に恥ずかしい。


「いえ、逆です。更に綺麗になっているような?」

「お上手ですね」


 運び込まれたグラスを合わせ、ビールを一気に半分飲んだ。

 この人の色気にあてられて、頭に登った血が降りてこなくなる。


「いい飲みっぷりです」

「すみません。喉が乾いてて」

「酔っぱらう前に、先に仕事の話をしてしまいましょう」


 森さんは社名の入った封筒を取り出した。

 もう飲む前からあなたに酔ってしまっていますよ。なんて。


「これから話すことは社外秘なので、他言無用でお願いできますか?」

「はい」


 真面目な話だ。気を引き締めなくちゃ。

 森さんは分厚い紙の束を私の前に置くと、椅子をずらし、左隣にピッタリとくっ付いてきた。


「この会社を買収する計画があります」

「は、はい」


 誰もが知っている老舗の会社だった。


「私たちのような外資系の企業が日本でビジネスを展開するには、知名度を上げたいのですが、既に知られている会社を買ってしまった方が早いだろうという上の判断です」

「あ、はい」


 ひそひそ話している客に無関心を装っているのか、レストランの従業員は黙って皿を置いてゆく。


「実は、由貴さんがこの会社のマニュアルの翻訳を手がけています」

「マニュアルの翻訳……」

「ええ、この会社が最近開発した新しい技術が業界では注目されていて、それもあって、この買収は絶対に成功させたいんです」

「はい」

「内情を聞いて欲しいとか、そんなスパイのようなことは頼みませんが、翻訳の進捗がどうとか、当たり障りのない範囲で構わないので、なにか聞いてみていただけたらと……」

「あ、そんなことでいいんですか?」


 残りのビールを平らげた。


「何でも結構です。何も聞けなかったとしても問題ありません」

「できるか分かりませんが、今度、由貴さんに会うので、それとなく聞いてみますね」

「助かります。さ、ビールのお代わり頼みましょうか」


 料理はコースになっていて、私は次から次へと出てくる料理を堪能した。






 帰宅した時には、奈美はもう寝ていた。


「ワンピースにしてよかったぁ」

「初めて見る服だな」

「この前、奈美と買い物に行って、勧められたの」


 皺を付けたくなかったけど、脱ぐのがだるくて、そのままダイニングで座った。


「ずいぶん、楽しそうじゃないか」

「すごい美味しかったんだよね~!コースで出てきて、食べきれないかと思った」


 英夫は皿を洗って、晩酌を始めていた。


「奈美はどうだった?」

「ちゃんとスパゲティ茹でて、俺のもよそってくれたよ」

「二人はさ、私が居ない方がきちんとしてるよね」

「そんなことないよ。つい、真実に甘えちゃうのは……大目に見てくれよ」


 英夫が両手を合わせて、私を拝む。


「もうっ」


 笑いながら英夫が脱ぎ捨ててあった靴下を拾ったけど……


 せっかくのいい気分で帰って来たのにな。

 まさかこんな生活感の溢れる日常で台無しにされるなんて。

 ほんのちょっぴり、英夫を恨んだ。






 翌週、由貴さんとランチに行った。


「平日の昼に会えるって最高ですね」

「ホント、会社勤めの時はできないもんね」

「由貴さん、翻訳の仕事捗ってますか?」

「……まあね。ボリューム多いからシェアしたいところだけど、整合性とれなくなると厄介だからさぁ、一人で頑張ろうかなって」


 週末は込み合うレストランだが、平日のランチ時間をずらした午後は空いていていい。


「グラスビール頼んじゃいますか?」

「いーねぇ!」


 窓際の日当たりのいい席で、それぞれが好きなメニューを頼んだ。


 私は「シェア」が好きではない。


 私が食べたくて頼んだものを、半分誰かに持って行かれて、別に食べたいと思っていないものを半分目の前に出されるのが嫌だ。


「私はバジルと白身魚のペンネに、シーザーサラダを付けてください」

「私はアマトリチャーナとイタリアンサラダをお願いします」


 たぶん、由貴さんもそのタイプで、私たちは追加の取り皿を頼んだことがない。


「今抱えてる案件ってそれだけですか?」


 さて、なんと言って切りだそうか。


「ううん。実は他にも2件やってる」

「すごっ!やっぱり由貴さんはバリバリって感じですね」


 森さんに頼まれたこと、どうやって聞き出そう。


「その翻訳って納期短いんですか?」

「それがさぁ、実は……ペンディングになりそうなの」

「何でですか?」


 聞いていいのかな。


「なんか、近々、どっかに買収されるみたいなの」

「どっかって、会社がですか?」

「そう。おっきなアメリカの会社らしいんだけど、よく知らない」


 私には緑の皿、由貴さんには赤い皿が届いた。


「会社が買収されたらお仕事なくなっちゃうんですか?」

「さぁ、そうならないことを願うよね」


 私はタバスコを、由貴さんは粉チーズをかけた。


「まあさ、会社が大きくなるなら、逆に仕事、増えたりしないかな?」

「だといいですよねぇ。由貴さん、そっちの仕事も狙ってるんですね?」

「えへへ。どんどん次取って行かないと、不安だからさ」

「さすがって感じです。尊敬してます」


 心が痛まないのか、と聞かれれば「少し」と答える。

 だけど、犯罪とかじゃないもんね。

 森さんに頼まれたからだもんね。






 由貴さんと別れて、急いで帰宅した。


「いっけな。奈美ちゃんに今日、鍵持たせてなかった」


 家の前の公園で、奈美がランドセルを置いて、遊んでいた。


「お母さん、お帰り!」

「ごめん、ごめん。思ったより遅くなった」

「いいよ。もうちょっと遊んでから帰るから、ランドセル持って行ってほしー!」

「はーい」


 ランドセルを奈美の部屋の前に置き、そのまま真っ直ぐパソコンの前に向かい、森さん宛てのメールを開いた。


『先日のお話の件ですが、アメリカの大手から買収話があるようです』


 短い文章を送信して、夕飯の支度に移った。

 冷凍庫から魚を出して解凍し、みそ汁とひじきの煮物の準備に取り掛かる。


「ただいまぁ、お父さんと下で会ったぁ」

「お帰りなさい」


 二人がドタドタと部屋に入ってきた。


「真実もさっき帰って来たんだって?」

「うん。由貴さんと会ってて、仕事のことで……」


 嘘は言ってないのに、なぜこんなに後ろめたいんだろう。


「奈美、お風呂入っちゃって」

「はぁい」


 英夫が袖を捲ってキッチンに立った。


「手伝うよ」

「ありがとう。今日は早いんだね」

「ああ、やっと一段落ついたんだ」


 手際よく、人参を刻む夫。

 一人暮らしの経験がある英夫は一通りの家事をこなすが、料理は私より上手いんじゃないかと時々思う。


「今年の夏休みさ、母さんが泊りで遊びに来いって」

「そうか、もう来週から夏休みか……」

「気が進まないかもしれないけど、どうかな?」


 できれば自分の実家に帰りたいが、たまには英夫の実家にも行かねばならない。


「いいよ」

「8月の前半に行くって、言っちゃっていいかな」

「うん。いいよ」






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