5、連絡
パーティーから一週間が経った。
「お母さん、今日、個人面談だから、忘れないでね」
「あ、そうだったよね」
「4時間授業だから、帰り早いよ」
「給食は?」
「ある!」
もうすぐゴールデンウィークだ。
面談があるこの週は、給食こそあるが、帰宅時間が早い。
学校がないと子どもは喜ぶが、親の負担は増し増しなのだ。
「さてと、洗濯もの済ませちゃうか」
ワイドショーを見ながら、散らかった部屋を片付ける。
奈美の学校の教材、英夫の脱ぎ散らかした服を拾って歩く。
「どうして脱いだものを、この辺に置いておくのかなぁ」
私は退院してきた日のことを思い出した。
英夫は買い物も料理もしていたし、洗い物だってシンクには残っていなかった。
部屋はスッキリと片付いていて、洗濯ものは奈美が畳んでいたはずだ。
「私がいないとちゃんとできるのに……」
ふと、パーティーでもらった封筒が目に入った。
「一週間、置きっぱなし……」
出しっ放しは私のDNAだったのかと、苦笑いをしながら中身を出した。
会社案内と、今後のビジョンをまとめた資料、森さんの名刺と、もう一枚の紙が入っていた。
「ん?」
和風の便箋に、達筆な手書のメッセージ。
『今度、仕事にかこつけて食事をしませんか?できれば二人で』
その下には、名刺とは違う携帯番号が書かれている。
「デートのお誘い?じゃないよね」
あの日の森さんの立ち姿が思い浮かぶ。
すっきりと整った顔に、黒目の大きな瞳が印象的だった。
あんな素敵な人とデート……が、上手く思い浮かばなかった……
一旦、全てを封筒に戻し、ベッドの脇の小さなテーブルに置いた。
「お母さん、お腹空いたー!おやつーまだー?」
奈美に声をかけられて、ハッとして沸騰する鍋に目をやった。
「どうしたの?お腹痛いの?」
「ううん。ちょっと考え事……仕事のこと……」
お菓子を娘に、コーヒーを自分に。
「お母さんは食べないの?」
「うん。私はいいや」
封筒に入っていたメッセージが気になって仕方がない。
「おやつ食べたら、未来ちゃんと遊んでくる」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
奈美が出掛けたので、急いでパソコンの前に座った。
パスワードを解除し、メールのウィンドウを開く。
『先日のパーティーでは、大変お世話になりました。
封筒にメモが入っていましたので、確認のご連絡をさせていただきました。どなたか別の方に宛てたものが紛れ込んでしまったように思います。』
「こんな感じかなぁ」
メールの末尾には、フリーランスの仕事用に作った、携帯番号入りの署名を付けた。
「よしっと」
送信して、夕飯の買い出しにスーパーへ出掛けた。
部屋にはスパイスの良い匂いが漂っている。
「今日、カレーだ!」
「うん。中辛にしていい?」
「えー。甘口がよかったけど、中辛でもいいよ。許す」
ピローン、ピローン、ピローン
携帯がなり、伸ばした手が止まった。
番号登録はされていないが、見覚えがある番号……
今朝からずっと頭にこびりついて覚えてしまった、あの番号。
ガスを止め、携帯を掴んで隣の部屋で電話に出た。
「もしもし」
「メールありがとうございました。森です」
「こんばんは」
「会社の方のツールは使いたくないので、こちらの番号を登録しておいて頂けますか?」
「はい」
「あのメモ、間違いじゃないです」
心臓が止まるかと思った。
「あの、近々、お会いできないでしょうか」
「はい」
「今週の金曜とか、如何ですか」
「大丈夫です」
「では、6時にパーティー会場のホテルロビーでお待ちしています」
「はい」
仕事の食事だ。そう思っているのに、どうしてこんなにドキドキするのか……
昼ご飯を食べていないのに、夜のカレーも喉を通らなかった。
英夫の帰りを待つ間、自分の部屋で過ごすことにした。
クローゼットから、カーキのワンピースを取り出す。
「これ着ていこう」
娘に褒められて勢いで買ってしまった服。
『お父さんとデートしたらいーよ』と勧められたのに、他の人と……
これはデートじゃない、と自分に言い聞かす。
これはデートじゃない、と自分に言い聞かそうとしてるのに。
これはデートじゃない、と自分に言い聞かそうとしてる自分に呆れる。
いつものように、昔の日記を探す。
昔から体重はそんなに変わっていない。
が、体型は変わったと感じる。
「産後はよかったんだけどなぁ」
妊娠後期には10kg増えていたが、産んだら戻ったし、お酒も絶っていたので、この頃は健康的だった。
ペラペラと捲る。
探してるページがある。
「働いてるときもよかった」
育児休暇を終えて、職場に復帰した時は、通勤の前後に保育園の送り迎えがあり、単純に運動量が多かった。
もっとペラペラと捲る。
きっと書いてる。絶対あるはず。
「このへんだな」
退職を決めたのは、娘の進学だけが理由ではない。復職後、女性管理職を増やしたいという会社の方針が告げられ、これまでの業務に加え、幹部者育成コースの受講をさせられた。初めての子育てで手一杯なうえに、英夫も昇進レースの真っただ中で、ワンオペ状態だった私はストレスで酒量と体重が増えた時期があった。
「これこれ」
そこ頃の日記には、「太った」「だるい」「むくんでる」といった文言が頻発している。
私は、それらに横棒を引き、消し込んでいった。
「こういう、ネガティブなことは書かない方がいいよね」
確信は無いが、最近、起きている「いい感じ」の出来事には日記が絡んでいる気がする。森さんに会うためにキレイになりたいなんて、そんな乙女なことを言う年頃ではないし、こうして日記をいじったからって自分の体型が変わるなんてないことは分かっている。
「ま、気休めって言うかね……別に、なにも期待とかしてないし……」
なんでこんなに後ろめたいのか、考えたくなかった。
22:45
「起きててくれたんだね」
くたびれた顔で英夫が帰宅した。
「お帰り、ご飯は?」
「軽く食べたんだけど……少し食べようかな……いや、カレーか、やめとこうかな」
「ちょっと重たかったね。ごめん、ごめん」
冷奴とキムチを出した。
「こんなんしか無いけど」
「完璧だよ。ビールある?」
「うん」
500mlのロング缶を、ふたつのグラスに分けて注ぐ。
「仕事忙しいの?」
「忙しいって言うか、入院中、同僚に肩代わりさせてた仕事を取り戻してるって感じ」
私のせいで迷惑かけてたのか。
「ま、俺も若手じゃないし、これくらいは余裕ってところを後輩にも見せたいしな」
「そっか。頑張ってね」
「それだけかよ、チューとかして労ってくれないの?」
テーブルに身を乗り出して、口を尖がらがしてくる英夫に「チュッ」とする。
「わーい、がんばる」
こんな風に無邪気に喜ぶとこ、大好き。
「あのさ、金曜日の夜なんだけど、仕事の食事に行っていい?」
思い切って言ってみた。
駄目だと言ってくれたら諦められる。
「金曜か。分かった。早く帰るようにするよ」
「夕飯作っておくから、奈美ちゃんとよろしく」
「助かるよ、ありがと」
英夫の目が見れなかった。
「由貴さんと一緒?」
「今回は私だけ」
「どこ行くの?」
「まだ分かんない」
なんか変な汗が出てきた。
「森さんって、翻訳のときに担当してくださった方が連絡をくれてね、次の仕事貰えるかもしれないから会ってくる」
嘘は言ってない。
「森さんって男の人?」
ドキッ!
男の人にも「勘」ってあるのかな。
「ううん」
英夫の方、見れない。
「森 しょう、こ、さん……だっけな……」
(森 昌平)
嘘ついちゃった。
どうしよう。
信じたかな。
手汗が止まらない。
「あまり遅くなんなよ」
「うん」