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4、仕事

 ピローン、ピローン、ピローン


「あ、由貴さんだ」


 ずっと気にしながら生活をしていた携帯を、すかさず手に取る。


「もしもし、真実ちゃん?この前のお仕事、すごくいい出来だった!」

「ホントですか?よかったです!」

「そんでさ、私の影武者は卒業して、個人で契約してみない?」

「影武者って……でも、個人でやってみたいです!」


 とんでもなく長い契約書がメールで送られてきて、必死で内容を確認し、署名した。


 最初の正式なオファーは、日本に進出を考えている外資系企業のホームページの翻訳のようだ。


「私は同じ会社から別案件もらってて、いっぱいいっぱいだから、ホームページは真実ちゃん、一人で担当してね」

「はい!頑張ります!」


 新学期が始まり、平日の昼間は一人の時間が作り安くなった。

 二人を送り出したら、さっさと家事を済ませて、テーブルでパソコンを開く。

 家で仕事なんて集中できないだろうと思っていたが、意外と捗った。

 お腹が鳴って、時計を見たらもう13:14だった。


「何食べようかな」


 キッチンで昨日の夕飯の残りを温めた。

 とりあえずお腹を満たして、仕事に戻る。


「ただいまぁ」

「え?!もう三時?」


 一日があっという間に過ぎる感覚が懐かしい。

 仕事を辞めて家にいることが多くなってから、時間が間延びしたように感じていた。


「なんか、今日、すっごい充実した!買い物、行ってくる!」

「私は、未来ちゃんと遊びに行くから~」


 一緒に家を出て、公園まで歩く。


「お母さん、楽しそうだね」

「まあね、お仕事任されるのは、嬉しいよね」


 自分がフリーランスに向いているとは、思ってもみなかった。

 娘の帰宅時間に家に居られて、家事もやりつつ、仕事もできる。願ったり叶ったりなのだ。






 由貴さんとは定期的に会って、互いの仕事の進捗を報告し合うようになっていた。


「この前、クライアントに行ったらさ、真実ちゃんのこと褒めてたよ!」

「ホントですか?!」


 今日は駅中にある、海外のクラフトビールが飲める店に来ている。


「昼から飲んじゃって、うちらヤバいね」

「でも、夜だと、家あけられないし……」

「だよね。ま、しょーがないってことで!」

「「乾杯」」


 パスタとサラダがセットになっているランチメニューにグラスビールを付けた。


「修正がほとんど必要なくて良かったって」

「わーい!よかったです!」

「特に、社長のコメントの仕上がりがいい感じだって、部長さんが絶賛してた」

「なんか、いい社長さんだなぁ~って思いながら翻訳してたから、めっちゃ、嬉しいです!」

「それでね、日本のオフィスが近々できるんだけど……」

「ああ、良い場所ですよね」

「ホテルで開催される立ち上げパーティーに、お声がけ頂いたんだけど、行く?」

「え?!行ってもいいんですか?」

「もちろんだよ!金曜の夜だけど、一緒に行こ!」





 仕事とは言え、フリーランスの飲み会に英夫がどう反応するのか緊張する。

 今日は料理が出来なかったので、帰り際に握り寿司のセットを買ってきた。


「並べるだけでごめん……」

「いや全然、構わないよ。寿司、久しぶりで何気に嬉しいかも」


 英夫はいつも理解がある。


「飲み物だけでも、って思って……」


 私は冷蔵庫で冷やしてあった、お気に入りの日本酒を出した。


「ええ!いいの?平日から、いっちゃう?」


 お猪口を持つ振りをして、指をくいっとやる英夫がかわいい。


「少ししかないけど」


 飲んべえの私たちには720mlの瓶はあっという間なのだ。

 笑いながら、ぐい呑みを二つ出した。


「さては……何か企んでるな?」

「いや、企んでるとかじゃないけど」

「なんだよ、言えって」


 乾杯して一口すすった。


「月末の金曜に、パーティーに誘われたの」

「なんの?」

「ホームページ翻訳した会社の日本オフィスができるんだって、その」

「行けばいーじゃん」

「いいの?」

「いいよ?なんで?ダメなの?」


 英夫は好きなネタから食べるタイプ。


「夜だから、夕飯とか、奈美のこととか……」

「俺、早く帰るようにするよ」

「ありがとう」

「飲みすぎんなよ」






 こんな都会の一等地に建っているホテルなんて、見たことはあっても入ったことはない。


「すごい会場だね」

「はい。少し気後れします……」


 私たちは招待状のカードを握りしめ、いたるところに張り出されている案内をたどって宴会場に来ていた。


「それでは、ご来賓の皆さま、前方にご注目ください」


 巨大なスクリーンに会社紹介のムービーが流れた。

 それは由貴さんが担当した大きなプロジェクトだった。


「感慨深いなぁ」


 続いて私が担当したホームページを使って、社長の紹介が行われた。


「嬉しいぃ」


 この日の為に着飾っては来たものの、関係者というには場違いな感じがした私たち二人は、後方隅の円卓で涙ぐみながら、大きな拍手を送っていた。


「それではここで、プログラムにはございませんが、この翻訳を担当してくださったお二方に一言ご挨拶を頂戴したいと思います。壇上へどうぞ!」


 ステージの上で司会をしていた女性が、とんでもないことを言い出した。


 パチパチパチパチ


「え?聞いて無いんですけど!!!」

「私だって、知らなかったよ!!!」


 私たちはお互いを肘で突き合いながら、いそいそと前に出た。

 そして、無難に挨拶を終え、また同じ円卓へと戻った。


「いやぁ、焦ったね」

「もう、喉がカラカラになっちゃいました」


 そう言って、笑いながらビールグラスを掲げて、一気に煽る。


「素敵な翻訳をされる方は、突然のスピーチもお上手なんですね」


 誰だろう。背の高い、高級そうなスーツを着こなす男性が現れた。


「あ、森部長、この度はお招きいただきまして、ありがとうございます」


 由貴さんがグラスを置いたので、私も倣う。


「この子が以前、お話させて頂いた、私の元同僚です」

「音山真実と申します。ホームページのお仕事をご依頼いただき、ありがとうございました」


 森部長は胸ポケットから皮の名刺入れを取り出し、私に挨拶してくれた。


「お話は伺っていました。本当に素敵な方ですね」

「すみません。名刺を持ち合わせておりませんで……」

「どうぞ、お気になさらず」


 両手で名刺を受け取り、それをどうしたものかと困っていると、森部長が会社の名前の入った封筒を渡してくれた。


「これに入れるといいですよ。どうか、他の方と取り違えのないように」

「あ、ありがとうございます」


 颯爽と去る森部長に由貴さんがうっとりとした視線を向けている。


「あの人、かっこいいよねぇ」

「本当ですね、異議なしです」


 立食会場でお酒と軽食をいただいたが、まだもう少し食べたりない感じがした。


「由貴さん、この後って真っ直ぐ帰ります?」

「いや、なんか食べて帰ろうかなって思ってる。帰っても何も無いしね」

「よかったです。私も同じで……」

「せっかくいい格好してるしさ、少しオシャレなとこ行かない?」


 由貴さんが、旦那さんとたまに来るというレストランに連れて行ってくれた。


「こんな店によく来るんですか?」


 私と英夫は一度も来たことが無い。


「よくじゃないよ。たまに」

「すごい。セレブって感じ……」

「あはは。子供いないし、その分、仕事ばっかだからね、お金の自由度は高いよね」


 カジュアルなフレンチ……へぇ。

 雰囲気があるのに、かしこまってない。素敵。


「英夫さんは相変わらず?」

「はい。まだあそこに勤めています」


 英夫と由貴さんは同期入社だ。


「あの、男尊女卑のセクハラ会社!私たちには居づらいけど、男性には働きやすいのかもね」

「あははっ。由貴さん、言い過ぎです」


 涙が出るほど笑える。


「あんな会社、やめて正解だよ。こうして、今の方が、やりがいあるって感じない?」

「分かりますけど……あの時、知り合ってなければ、今もないので」

「あの日~あの時~あの場所で~君に会えなかったらぁ~」


 由貴さんが歌った。


「「東京ラブストーリー!!」」






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