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2、株価

 翌日は、奈美の3学期最終日だった。


「今日で4年生、最後だね~」

「うん。給食無いから、早く帰ってくるからね」

「そっか、分かった。気を付けて行ってらっしゃい」


 夫と娘を送り出したので、冷蔵庫を開けて見た。


「ちゃんとしてるー!」


 野菜も肉も卵もあった。


「お昼はオムライスでいっか」


 ソファに座ってテレビを付けた。

 病院にいた時はちっとも見る気がしなかったが、今は無性にワイドショーが楽しく感じる。


『今日の特集は、株価急上昇中のこの会社にお邪魔しています』


 アナウンサーとお笑い芸人が一緒にワイワイやっていた。


「あ~これね~」


 就職が決まり、固定給が振り込まれ始めた頃、私は証券会社に口座を開き、株を買ったことがある。しばらくは気になって、ちょくちょく確認していたが、ここ数年はさっぱり見ていない。


「パスワードなんだったけな」


 古い日記帳を取りに行った。


「2冊目っと」


 巻末を確認する。

 必ずではないが、たまにここにパスワードのヒントを書いておくことがある。


「ないかぁ」


 ペラペラとページを捲り、「株」という文字を探す。


「あった、あった。そうそう、やっぱり!迷ったんだよな~この株買うか……で、あの時……結局、買ったんだっけな?」


 覚えてない……

 無意識にボールペンを持ち、吹き出しを付けて書き加えた。


『買ってみた』


 結局、パスワードは思い出せないまま、リビングに戻った。

 日常生活に家事はつきものだ。洗濯物を干して、掃除機をかけたら、娘が帰ってきた。


「奈美ちゃん、お昼はオムライスにするけどいい?」

「いいに決まってる!」






 その夜、英夫の帰りは遅かった。

 真実の入院中、同僚に頼んでいた仕事を自分の職務に取り戻すため、英夫は必死で仕事をしていた。


「先、寝ててよかったのに。身体に触るだろう?」

「へーき。ちゃんと体調管理してるよ」

「ならいいけど……」


 夕食を温め直した。


「こんな普通のことが、こんなに幸せだったなんて」

「そうだな。これが普通だとは思わない方がいいって、身に染みて分かったよ」

「私も。奈美が……中学生になる姿は見られないんだろうなって覚悟したの。病院で」

「一番辛かったのは真実自身だよな。俺のことは自分でできるから、もう寝ろよ」

「うん。ありがとう。でも、もうちょっと」


 英夫が晩酌をしながら夕食をとる横で、パソコンを開いた。


「どうかしたの?」

「今朝のニュースで、爆上がりしてる株の話やってて……」

「俺は、その辺、疎いからなあ」


 恥ずかしそうに笑う英夫に、ガッツポーズをして見せる。


「私に任せなさい!」

「はは、頼りにしてるよ」


 証券会社のホームページを開いてみると、パスワードのところに●●●●が現れた。

 どうやらパソコンが覚えてくれてたようなので、NEXTを押した。


「えっと、どこ見るんだっけな、ポートフォリオ……」


 現れた画面の見慣れない数字に息が止まる。


「どうかした?」

「んんーん、なんも」


 画面に指をさしながら(イチ、ジュウ、ヒャク……)

 パタンとパソコンを閉じ、トイレに行った。


(マジで?マジで?あれ?買ってたんだ?やっぱり?!嘘でしょ!嘘でしょ!めっちゃついてる!めっちゃついてるって!超ラッキー!!!)


 トイレで一人、静かに大騒ぎをしてから、平静を装い、英夫に抱き付いた。


「なんか、疲れちゃったから、もう寝るね」

「うん。ご飯ありがと、おやすみ」

「おやすみー」


 ベッドに潜り日記帳を開いた。


「退院初日だからね。これでも頑張った方だ」


 株で出た儲けを独り占めしようとか、そう言った気持ちは無かった。


 だけど、独身の時に買ったのだから、必ずしも分け合わなければならない夫婦の資産というわけでは無いよね。私が何かを買えば、それはそれで、家族の利益にも直結するわけだし。


 それに、あぶく銭が手に入ることで、働く意欲を損なうことがあるような気がして、言わない方が英夫の為なんじゃないかな……なんて、本音と建前が交差する。


 こうした赤裸々な気持ちを、ほんの数分で書き出す。

 日記の中では自分を偽らない。

 だから意味がある。






 翌日、春休みに入った奈美と一緒に買い物に行った。

 春から夏にかけての洋服が、寸足らずになっていた。


「これ可愛い!」

「似合うんじゃない?」


 ピンクのブラウスを入れる。


「でも、こっちも欲しい」

「何着か必要だもんね、買っちゃうか!」


 水色のブラウスも入れる。

 もうすでに何着も入っている籠に、どんどんと放り込む。


「お母さん、太っ腹になったの?」

「死にかけたからね、やりたい事は何でもやっておきたい、って気持ちに気が付いたのさぁ~」


 おちゃらけて言ったように見えるけど、紛れもなく切実な本心だ。


「じゃあ、これは?」

「これは……ちょっと高くない?」

「だよね」


 そう言って、奈美が売り場に戻そうとしたスカートをもぎ取る。


「冗談だよ!」

「いいの?!」

「5年生のお祝いだぁ」

「わーい!ありがと!」


 娘とこんな風に買い物ができるなんて、なんて楽しんだろう。


「お母さんも洋服買おうかな」

「奈美が選んであげるぅ!」


 カーキの少しタイトなノースリーブワンピースを試着した。


「なんかいつもと違う」


 奈美がニヤニヤしながら、試着室を覗く。


「変かな……」

「そうじゃなくて、見たことないって思ったけど、いいと思う!」

「そう?」


 ジャケットも合わせてみる。


「なんか……かっこいい……」

「昔はこういうの好きで、よく着てたんだよね」


 お母さんという人種は、不文律の制約がある。

『そんな格好をすべきでない、らしくない、っぽくない』

 守らなくても構わないが、それは、日本人の髪の毛がおおよそ黒いようなもので、当たり前の感覚として蔓延している。だから、ぱっと見で「子どもがいそう」と分かってしまう。


「お母さん、それ着てスーパー行くの?」

「行かないかな……」

「じゃ、どこ行くの?」

「やっぱ要らないか」


 着ない服を買っても仕方がない。

 脱いだ服を持って店員に手渡した。


「すみません……やっぱり……」

「買いなよ。お父さんとデートしたらいーよ」

「え?デート?」


 真面目な顔で娘が訴えてくる。


「お母さん、似合ってたよ」

「そう?」

「うん!嘘じゃないよ」

「あ、ありがとう」


 財布は売った株のおかげで潤っていた。

 よく言われる『お金はあの世に持って行けない』が頭をよぎる。


「買っちゃおうかな」


 英夫とのデート……それもいいな。

 娘が生まれてから、二人きりで出掛ける事なんて無くなっていた。

 家族として、夫としてではなく、男女のカップルとして外を歩いた日が懐かしい。

 結婚したからと言って、生活感を醸し出さなくてはならないわけではあるまいし。

 私は一人の女性として、英夫にときめいて結婚という制約を受け入れたのだから。


 海外ドラマで見たことがある、持ち切れないほどの紙袋を抱えるあの姿。

 まさかコレを地で行く日が私に来るとは……大人になって久しいが、初めての大人買い……まだまだ、やってみたいことはたくさんあった。


 お母さんとして、女性として、大人として、私……真実として、もっと素直にやりたいことをやるべきだった。危うくこの感情に蓋をしたまま、人生終えるところだった。


「こんなに買って大丈夫なの?」

「へーき、へーき。昔、買ってた株が高く売れたんだ」

「ふ~ん」


 持ち帰るのが大変で、タクシーを止めた。


「お母さん、変わったね」

「そう?」


 奈美がひそひそと話しかけてくる。


「うん。退院して明るくなった」

「私、暗かった?」

「暗いってわけじゃないけど……我慢してた……みたいな」

「そっか」


 娘は私が産み育てた「分身」みたいなものだ。

 その彼女が言っているのだから、きっとそうなんだろう。


「今の方が好き」

「ホント?」

「うん、ホント!」


 私は奈美の肩を抱く。

 細くて骨ばった感触に、とてつもない温かさを感じた。






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