【第二章】「振り向かない少女——血に染まる海の逃走劇」
「——お逃げなさい、マーレア姫。あなたがここに止まっていいわけがありません」
「…っ、でも私が逃げたら、お母様たちは——」
「気にすることありません。私たちは、マーレアが生き残ってくれれば良いのです」
私たちの海は、血の色に染まっている。
人魚の加護で、私たちは水中でも呼吸ができるが——その海は重々しく、飲み込むのにも一苦労なほどだった。
——遠くで、警報の音がする。
「っほら、早く!!」
母の声にはっと我に返り、マーレアはひたすら走り出す。
一粒の涙が、海に滲んだ。
後ろで、悲鳴が上がった。
“なにがあっても、後ろを振り向いてはならない”
マーレアは身を隠すため深くフードをかぶる。
近くで、銃声が聞こえた。
けれど市民たちは、銃を知らない。
それはサゼルト•ウェイが秘密裏に開発されたとされる——禁忌の武器だからだ。
「…っ!!」
後ろに、追っ手がもう迫っている。
全力で走るが、銃弾が雨のように降り注ぐ。
それでもマーレアは必死に避けて、避け続け、小さな納屋を見つける。
「あそこなら…!」
マーレアは最後の力を振り絞り、全力で足に力を込めて瓦礫の山を飛び越え、納屋に向かっていく。
マーレアは真っ暗な納屋に入り、急いで鍵を閉める。
これでしばらく、追っ手は見つけられないだろう。それまでの間に、次の作戦を考えなければ——
そう思った瞬間だった。
世界が眩しく光った。
そしてそこには——何人もの大男がマーレアの方を発光石で照らす。
「…っ、そんな…!!」
マーレアは必死に抵抗しようとしたが——布で封じられ、連れて行かれてしまった。
気づくと、そこは牢の中だった。
固く冷たい鉄格子が、マーレアを監禁する。
突然、ベルが鳴って——囚人たちが、広場へと集まっていく。
労働の時間だ。
鉛のように固くまずいパンに、ねちょっとしたペースト状のなにかを口に放り込み、マーレアも彼らの後に続いた。
再びベルが鳴り、終わりを知らせる。
マーレアはボロボロだったが、明日も明後日も——死ぬ日までずっと続く。
マーレアはまだ海底王国の姫だと気付かれていないが——暴かれるのも時間の問題だろう。
そしたら、きっとマーレアは——。
マーレアは、夜遅くまで蝋燭の灯りをつけて、そんなことを考えていた。
「——なにをしているのですか?もう就寝の時間ですわ」
マーレアはふと前を向く。
そこには、軍服を着た女性が立っていた。
「……私は、囚人じゃないわ」
「いいえ。この国の海底人は皆奴隷です。無駄な言い訳をやめて、さっさと寝なさい」
「もしも、生まれる場所が違ったのなら」
「…はい?」
「私も、こんなふうにならなかったのかしら」
マーレアははあっとため息をついた。
「どうして皆争うの?人殺しが罪なら——なぜ戦争は犯罪にならないの?ただのジェノサイドと同じじゃない…!」
「それが、国の命令だからです」
女性は冷酷な声で言葉を放つ。
「命令なら、なにをしてもいいの?」
「勝てば、賠償金を獲得できます」
マーレアは女性の言葉に呆れた。
「…お金は、人が生み出したものよ。どうして人が生み出したものなんかに執着して、人を殺すの?狂っているわ」
「——所詮他人だから、でしょうか」
「…あなたは、殺すために軍に入ったの?…違うでしょ?誰かを守るために入ったのでしょう!?なら、所詮他人だなんて——言えるはずがないわ。だってあなたは——誰かのために、戦っているんだから」
女性は、はっと目を見開いた。
「…この世の中に、本当の悪なんていないの。みんな、誰かのためにって——その”誰かのために”っていう気持ちが悪用されて、尊い命を奪っている。——あなたたちは、騙されているのよ」
「あなたは、一体——?」
女性は、マーレアに尋ねる。
どうせ時間の問題なんだ。このまま怯えながら首の皮一枚で繋がった人生を歩むなら、ここで話してしまったって変わらないだろう。
「——私は海底王国の姫、サマーレ•マーレアよ。……この戦争を終わらせにきたの」
マーレアは、ちっとも怖くなかった。
だって——それが、マーレア自身なのだから。
自分を隠す必要なんて、ないのだ。
第七話を読んでいただきありがとうございます!
今回はマーレア過去編を前編•後編に分けてみました!
ぜひ次回話もお見逃しなく!




