『この国から出た者は、二度と帰れない』
夢を見た。
誰かが、何かに”殺される”夢だった。
目が覚めたとき、心臓がバクバクしていた。
ぬるま湯からゆっくり浮かび上がるような目覚めじゃない。
熱湯をぶっかけられたみたいに、頭が覚めた。
「いい加減起きなさい!」
階下からおばさんの怒鳴り声が聞こえてくる。
私は慌てて飛び起きたけど、心がどこか空っぽだった。
まるで、夢の中に何か大事なものを置いてきてしまったみたいに——。
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「レクア、今日はお客さんが来るから買い出しに行ってちょうだい。余ったお金は好きに使っていいわ」
私はこの人のことを「おばさん」と呼んでいるけど、実のところ親戚らしい。
未亡人で、私をずっと育ててくれている。
本当の母みたいに思ってるけど、どこか他人行儀になってしまうのは、私のせいかもしれない。
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羊に餌をやって、花壇に水をやり、家の外へ出る。
メモには「買い物リスト」と書かれていて、私は藁で編まれたカゴを背負った。
けれど、どうしても今朝の夢のことが頭から離れなかった。
なんだったんだろう、あの夢……。
誰かが、ナニカに殺されていく光景。
正夢、なんてこと……ないよね?
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気がつけば、見知らぬ路地裏に迷い込んでいた。
「ああもう……! 時間までに戻らなきゃいけないのに……。でも、まぁ、適当に歩けば出られるでしょ!」
——そう思った矢先だった。
背後に、何か大きな気配。
「……え?」
視界がぼやけた。
そのまま、私は——意識を失った。
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気がつくと、薄暗い部屋の中。
ランタンが頼りない光を放っていて、鼻を突く異臭がした。
そこに、ドスドスと音を立てて近づいてくる大男。
「おい、窓拭きはちゃんとやったのかぁ? サボる奴がどうなるか……教えてやるよ」
「え……? えっと、ここ、どこ……?」
「言い訳か? いいご身分だなあ!」
殴られる! そう思って身をすくめた、そのとき——。
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「やめとけ。新人だろ。
商品に傷をつけたら売りものにならない」
低い声とともに、私の前に少年が立ちはだかった。
「……商品って?」
震える声でそう尋ねると、彼は後ろの壁を指差した。
そこには、大きくこう書かれていた。
『奴隷売り場』
——私は、奴隷商人に誘拐されていたのだった。
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「そんな顔すんなって。
俺だって、好きでやってるわけじゃない」
そう言って少年は笑った。けれど私には、それが悪魔の笑みにしか見えなかった。
逃げなきゃ。
酒瓶でもなんでもいい、武器になりそうなものを探さなきゃ。
その時、ぐらりと地面が揺れた。
「じ、地震!?」
私が叫ぶと、彼はぷはっと笑った。
「地震じゃない。段差に乗り上げただけ。
今、俺たちは国境越えの馬車に乗ってる。……お前が寝てる間にな。
もう半日も経ってるぞ」
——馬車? 国境?
けれど次に飛び出した彼の言葉は、もっと衝撃的だった。
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「なあ、知ってるか。
“この国から出た人間は、二度と帰ってこれない”って噂」
その声は、やけに静かだった。
そして彼は、私を誰もいない隅に連れて行くと——
ポケットから、ひとつの手帳を取り出した。
それは、どう見ても本物の”警察手帳”だった。
「俺は異国から来た警察だ。
この国の真実を調べるために、奴隷商人にスパイとして潜入してる」
そして、彼は言った。
「悪いけど——お前に協力してもらえないか」
私は呆然としていた。
つい数時間前まで、私はただの街娘だったのに——。
「……もう戻れないぞ。それでも来るか?」
「……うん。もう、引き返せない気がするから」
私たちを乗せた馬車は、暗闇の中を静かに進んでいく。
——その先に何があるのかも、知らないまま。
最後まで読んでくださってありがとうございました!
次回、レクアは少年と一緒に行動することに……!?お楽しみに!