7)エビとホタテ
冒険者ギルドを出た私とソリオンは、大きな通りの両脇ににズラリと露店が並ぶ市場を歩いていた。
国の食糧庫と言われるだけあって沢山の食べ物が所狭しと並んでいる。
見慣れた野菜もあるが、見たこと無い物も沢山あり、ただブラブラと歩いているだけで楽しい。
「ソリオン!あれはなんだい!?」
すでに私の買ったオリーブオイルのような油の瓶や、玉ねぎ、きのこなどの野菜が入った麻袋を抱えてくれているソリオンに、露店の台に並ぶ商品の説明をせがむ。
「それはマクナガガニだな、そこの湖で取れる。泥臭いから…」
「オヤジさん、このマクナガガニ10匹くれ!」
私はソリオンが説明を終わらせる前に10匹買いたいと露店主の男に伝える。
「10?ホントに?」
「ああ、食べられるんだろ?」
「まぁ食べられるけど…」
男は怪訝そうな顔をしながらも草で編んだ袋に、まだ生きているマクナガガニを入れてくれている。
「ありがとう」
私はこのマクナガガニ、手長エビに近いのでは?と思っている、甲羅の色は鮮やかな青、大きさも日本で見るような指のように小さい物ではなく、スーパーで1匹300円くらいしそうな大海老サイズだ。
泥臭さも下処理次第で何とでもなりそう。
マクナガガニの料金は10匹でたった小銀貨2枚だった。
そして、さっきから買い物続けた結果。何となくだが金額感覚がつかめてきた。
バートンが中銀貨と言っていたのでもっと下の貨幣があるだろうと予測してたが、中銀貨の下に小銀貨、その下には銅貨、鉄貨とあるようだ。鉄貨はほとんど使わない、鉄貨分はオマケしとくよ、と言う感じのようだ。
そして、この小銀貨2枚と言うのはだいたい日本円で200円くらいと言うこと、全体的に食品は安い、衣服や装飾品、酒などの嗜好品は高めの印象だ。
一応酒も買った、調理に使うのがメインだが、どれが良いかわからないので、適当に数種類を小さい瓶で購入した。
受け取ったマクナガガニをソリオンに渡し、ふと目を向けた先にいる子供に目が止まる。
「あ!カエデ!どこにいく!?」
さっさと歩き出した私をソリオンが慌てて追いかけてくる気配がした。
私は、道端で小さなナイフを器用に使いながら、カゴから出した二枚貝を開いては捨て、開いては捨てを繰り返している少年の前にしゃがみ込んだ。
「なぁキミ、それは何をしているんだ?」
「は?何って…女神の涙探してんだよ」
女神の涙…もしかして、真珠の事だろうか?
「その貝はどうするんだ?」
「苦いし、これは食えないから捨てるよ」
私の問いかけに少年は怪訝そうな顔をするが、根が素直なのだろう、ちゃんと答えてくれた。
「もらっても良いか?代金は払うよ」
私は中銀貨を1枚取り出して少年に差し出す。
「カエデ!何してる!」
後ろからソリオンに腕を掴まれた。
「何って、ホタテを捨てるようだったから買い取ろうと…」
まだ獲って来たばかりのような新鮮なホタテ貝、貝の色はピンクや赤、オレンジ色の鮮やかな物だが、見た目はホタテだ、なんか日本にも緋扇貝とかいう鮮やかなのがあったが、それよりもっと鮮やかで、サイズも一回り大きい。
「ホタテ??それはヒラ貝だ…たまに女神の涙と呼ばれる宝石が入ってることがあるから、子供達が小遣い稼ぎで捕まえるようなヤツだ、ニガ貝とも呼ばれるくらい不味い」
「へぇ、じゃあ5個くれないか?」
「おい、俺の話聞いてたか?」
私はソリオンの話を聞いた上で、少年に顔を向ける。
「…本当に?後から文句言わない?」
「言わないさ、売ってくれるかい?」
私がにっこり笑うと、少年は少しモジモジしながらちょっと待ってて、とまだカゴの中に入っている方のキレイなホタテ貝、じゃなかったヒラ貝だったか、そのヒラ貝を別のカゴに入れてくれた。
私が中銀貨1枚を渡すと少年は少し困ったような顔をした。
「俺、おつりとか持ってないんだけど…」
「いいよ、取っときな。カゴももらって良いかい?」
浅いカゴは使い勝手が良さそうだしね。
「別に、オレが編んだカゴだし…良いけど」
「あんたが作ったのか?上手いねぇ、器用なんだね」
私がカゴをまじまじと見つめながら感心していると、ソリオンが呆れたようにため息を吐いた。
「あんたじゃない、オレはシアだ!」
「シア、わかった覚えとくね、私はカエデだ。こっちの大きいのはソリオンだよ」
「ふぅん。カエデ、今度は美味しい貝を取ってくるから」
シアと名乗った少年はそれだけ言うと、地面に捨てていた貝を拾い集め、走ってどこかへ行ってしまった。
「カエデ…キミは全く…。もう良いだろ、そろそろ宿に行こう」
「ん?ああ、そうだね、調理場を借りなきゃね!」
「俺はマクナガガニとニガ貝は食わんぞ」
他のは食べる気満々でいるんだなぁと思わず笑う。
「なんだ?」
「別に、何でもないさ」
私は宿に向かう道中でも気になった店を覗いたり、ソリオンに説明してもらいながら異世界を楽しんだ。
「あら、ソリオンさん、おかえり」
「ああ、また宿を借りたいが、空いているか?」
ソリオンが案内してくれた宿は、街の中心からは少し離れた静かな場所に立っていた。
3階建ての大きなコテージのような建物は暖かい雰囲気があり、とても感じが良い。
中に入ってすぐのカウンターにいた女将さんらしき30代くらいの女性がにこやかに迎えてくれた。
「いつもの部屋が空いてるよ、でもその子と一緒ならそこより広い部屋の方が良いかしら?」
女将さんは私を見ながら首を傾げている。ソリオンは一瞬ぽかんとしたが、すぐに慌てたように首を振る。
「…な!?いやいやいやっ、別々だっ!別の部屋で!!」
「あら、そうなの?ソリオンさんの恋人かと思っちゃった♡」
「違う!」
ソリオンが必死に否定している、確かに恋人でも何でもないが、そこまで強く否定しなくても良いじゃないかと思わなくもない。
女将さんはウフフと笑いながら、ソリオンの隣の部屋でも良いかと私に訊ねるので、かまわないと一部屋お願いする。
宿代は1泊が中銀貨1枚、食事したければ1階の食堂でその都度料金を支払うシステムらしい。
とりあえず10泊分として大銀貨を1枚渡す。
「そうだ女将さん、カエデが調理場を借りたいらしいのだが…可能だろうか?」
「夕食のお客さんが終わった後なら良いわよ、何か作るの?」
「カエデの故郷の料理だ、テンプラと言うらしい」
「テンプラ…聞いたことないわねぇ?私も見ても良いかしら?」
「ああ、もちろん」
女将さんが興味津々だったので、ぜひ味見していただこう。
私は食材を調理場の端っこに置かせてもらい、ソリオンと2階の部屋に向かう。
「俺はこの部屋だ、カエデはこの奥。何かあったらいつでも声をかけてくれ」
「ありがとう、ソリオンが居て助かったよ、じゃあまた後で」
「…ああ」
私はソリオンに手を振って自分の部屋に入り、風呂敷包みを葉っぱのバッグをベッドの端に置いた。
ベッドと小さいテーブル、椅子くらいしかないシンプルな部屋だが、よく掃除されていて清潔な良い部屋だった。
ベッドは…少し硬いが、シーツはカラッと良く干されたお日様の匂いがする。
木製の窓を開けると、外はキレイな夕焼けだった。月は1つ出ている。
「はぁ…本当に異世界ってとこに来ちまったんだねぇ…」
私は窓枠に肘をつき、ほお杖をつきながらため息を吐いた。
こうしていると、どこか外国の、長閑な農村の民宿にでも泊まっているような気がする。
私はシワやシミが無くなったツヤツヤの左手をひらひらさせて眺めながら「17歳ねぇ…」と呟いた。
『楓さま…楓さま…今、家を出せますか?』
『家?ああ、ポケットに入れたままだったな』
白い男の声がして、私はポケットに入れていた自宅のミニチュアを取り出す。
『ここで広げてください』
『いやココでは無理だろ。それにここは2階だよ?』
『大丈夫です』
大丈夫って言われてもなぁと思いながらも、まぁどうにかなるんだろうと思い直し、ミニチュアの家を床に置いて輪にした指を弾いた。
「おおっ?」
目の前に家の門戸のみが現れた。横に伸びる生垣は消えている。
横から覗いても門戸しかないが、表側の門戸の隙間からは我が家が見える。
『入って良いのかい?』
私が白い男に問うと、もちろんと返事が来たので、私はいつも家に入るように門戸をくぐる。
そこはさっきまでの宿の部屋ではなく、我が家の玄関前の砂利道だった。
後ろを振り返ると、さっきまでは無かった門戸の左右に伸びる生垣もある。どう言う仕組みかはわからないが、白い男の大丈夫の意味は理解できた。
「あ」
私はふと思い出し、玄関に走る。
勢いよく引き戸を開けて中に入り、下駄箱のそばに置いてある姿見に全身を写した。
「なんだ…これ…」
服装は問題ない、最近気に入ってよく着ている、落ち着いた紺色のワンピースに黒のカーディガン。しかし、そこに乗っている顔は高校くらいの頃の私だった。
身長は160で高校生の頃から65歳の今も大して変化はない。
最初に白い男に家を出してもらった時はそれどころでは無かったので、姿見の前を通ったはずなのに、私は鏡を見なかった。
だからいつからこの姿だったのかが分からない。
「こちらに来た時にはすでにその姿でしたよ」
「え〜、早く言っとくれよ…」
後ろから現れた白い男が声をかけてきた、左手の蛇の腕輪はいつの間にか無くなっている。
「説明しましたよ、ちゃんと理解してなさそうでしたけど」
白い男は少し呆れたように言った。
「そういえば、姿が戻ったのかい?」
「いえ、この家の敷地内が神域のようなもので、神力が溢れているのです、そのおかげでヒトガタになれますが、力が戻っているわけではありません」
「ふぅん?」
「またよくわかってないでしょう?」
白い男がジトっとした目を向けてくる。
「ところで、17歳ってどう言う事だい?確かに今は17歳ごろの私の顔ではあるけど…」
「先程の冒険者ギルドという場所でのことですよね?あの板はこの世界で言う魔力を体に流し、生体情報を読み込む道具なのです。あれは人の作り出した物ではなく、この世界の神が作って与えた物なので、あのまま情報を読み込まれていたら魂に刻まれた情報がそのまま表示されてしまうところでした、なので楓さまは17歳の見た目で65歳という数値が出てしまい、警戒されてしまっていたでしょう。なので、左腕…私のいる場所で情報を操作しました、痛い思いをさせてしまい申し訳ありませんでした」
「ふぅん?とにかく、あんたが私のためにしてくれた事って事だろ?ちょっとピリピリしたのはそのせいだったって事かい?別にたいして痛く無かったし、謝らなくて良いよ!むしろ、ありがとうね」
深々と頭を下げている白い男の頭をポンポンと撫でる。
「ところで、風呂敷はまだ開けられて無いのですね?」
白い男に言われて、そういえばと思い出す。
「中々落ち着くタイミングがなくてね」
「そうですね、異世界に来て早々に大変な思いをさせてしまい、す…」
「はいストーップ!」
白い男がまた頭を下げる気配がしたので、おでこを押さえて止める。
「ところでさ、あんたは名前が無いって言っただろ?あんたって呼ぶのも嫌だから名前つけても良いかい?」
「…!名前を、頂けるのですか?」
白い男は驚きながらも、嬉しいと全身から溢れんばかりの表情をしている。
「うーん、そうなぁ…しろ、はく…」
「…(ワクワク)」
チラリと庭に目を向けると、白木蓮の花が満開だった。
というか、庭の木々をよく見ると、季節関係なく桜は満開、槭樹は紅葉、みかんや柿はキレイに色づき食べ頃だ。
「白蓮、お前の名前はハクレンだ。真っ白で優しい、大きな花」
「楓さま、ハクレンの名、確かに賜りました。このように尊き名を賜りましたこと、心より感謝申し上げます、この名に恥じぬよう、これからも誠心誠意、楓さまをお守り致します」
サッと跪いて頭を下げる白い男改めハクレン。
「大袈裟だねぇ…ハクレンって名前をつけたけど、長いからハクって呼ぶよ」
「構いません!」
顔を上げたハクレンは嬉しそうに顔を綻ばせた。犬の尻尾があれば千切れんばかりに振っていそうだな。
「さて、風呂敷を持ってこようかね」
「どうぞ!」
私が家から出て、ベッドの上に置いたままの風呂敷包みを取りに行こうとしたら、ハクレンが何処からともなくあの風呂敷包みを取り出した。
「おや、ありがと」
私はもう何で?と思うのは止めて、そう言うもんだと思うことにする。
受け取った風呂敷包みを持って居間へ向かう。
黒檀で作られた年代物の座卓の上に乗せ、結ばれた角を解いて行く。
「あら、まぁ…」
中にはキレイに畳まれた着物が入っていた。
正絹の黒地に赤、朱色、橙色、黄色と色を変えていく楓の葉が流れるように刺繍されている。
よく見ると黒い銀糸で流水紋まである。随分と上等な着物だこと…。
「どうしたんだい、これ?」
「これは楓さまに贈られる予定だった着物です」
ハクレンは少し寂しそうな顔で着物を見つめていた。