マヌルマヌルマヌルマヌル……
『餞別よ。貴女はここに来たばっかりだろうから教えてあげる。――遠くに行くために移動手段についてよ』
別れ際、マーシャちゃんは微笑みながら言う。
『私がさっき言った【道化の窟】はもちろん、貴女が……探究者が目指す場所はどこも二本の足だけじゃ何カ月も何年もかけないと辿り着けない所にあるわ。でも安心して。調教師という人がいるの。あの人たちは獰猛な魔物を使役して戦闘に、あるいは私たちの生活に役立ててくれる』
『その文脈だと、移動用の魔物もその人たちは使役してるんだね?』
『ええ、そうだわ。あの人たちに頼れば【道化の窟】なんて昼寝している間に着くわ』
マーシャちゃん曰く、この世界での移動手段のほとんどは調教師に使役された魔物らしい。
魔物の種類は様々で鳥型から犬型、果ては竜まで。
『教えてくれてありがと、マーシャちゃん! じゃあさっそく――』
『待ちなさい。確かに魔物を使えば簡単に目的地に行けるけど、一つだけ大きな欠点があるわ』
『欠点……酔いやすいとか?』
『高いのよ。払えないほどじゃないけど毎回使うとなれば確実に財布がぱーになる』
『ぱーに……』
『ええ。ぱーよ』
詳しく聞くと、人にもよるが【道化の窟】まで行くのにかかる代金は平均2000ターンらしい。
ちなみに私の所持金は現在200ターンほど。
これはもう、調教師を殴ってゴホンッ!平和的に交渉するしか……。
『何考えてるか知らないけどやめなさい』
『…………』
『安心して。私だって意地悪じゃないから悲しい現実を突きつけるだけ、なんて真似はしないわよ。ちゃんと解決策もある。――北の煙突のある古本屋に行ってみなさい。私の紹介だって言ったら快く協力してくれるはずよ』
「……ここがマーシャちゃんが言ってた場所か」
一秒に三回のペースで口説いてくるラク先輩を軽くあしらいながら目的地点を探していると、ほどなくしてそれらしい建築物を発見した。
今にも崩れそうな古いレンガ造りの本屋だ。現代日本ほどではないにせよ、中世の世界観にしては街がそこそこ発展しているので尚更ここだけが時代に取り残されたような感覚に陥る。
上を見上げれば目に映る煙突――。
間違いない。ここがマーシャちゃんが言っていた古本屋だ。
「でも、ここどう考えてもただの年季の入った本屋さんだよね? 見たところ使役した魔物が入るようなスペースもないし……」
「まぁまぁ、まずは入ってみんと」
「それもそうですね」
ラク先輩に促されて私は古本屋に入る。
「ほう。こんな寂れた店に客人とは珍しい。さては筋金入りの物好きか――」
棚に並んでる本のどれもが黄ばんでいたり破れていたりと年季を感じるものであり、また店の奥から聞こえる声も同じようにしゃがれていた。
乾いた声に若さはなく、代わりに自然と背筋が伸びるような貫録があった。
「あるいは、まだ見ぬ未知を探求せんとする者か」
そう全てを見通すような瞳で私たちを見据えるのは一匹の猫だった。
その猫は高い目の位置や額、低く離れた位置にある丸い耳と他の猫と比べて顔立ちが少し異なっていた。
橙みを帯びた灰色の毛並みは長く密集しており、そのせいで丸々と太った立派な体系に見える。
何よりこの妙に高圧的な目付き。
間違いない。――彼はマヌルネコだ。もふもふでめちゃくちゃかわいい。
そんな思わず撫でまわしたくなるような愛らしいフォルムの猫ちゃんとこのやけに貫禄のある声はどこまでも合致せず、私は真っ先に腹話術を疑った。
「くく、そう驚くな。この声を発しているのは紛れもなく吾輩だ。若造には奇怪に見えるかもしれんが、この世界では吾輩のような存在はそこら中に溢れ返っておるぞ」
「マジか…………取り敢えず撫でていいですか?」
「うむ。許そう」
うへへへ、これは合意、合意だから何してもOK……。
これでもかとマヌルネコを撫でまわす私にラク先輩は苦笑した。
「久しぶりやなぁニシキさん。ご息災のようでなによりや」
「貴様こそ、随分と小さくなったな。それも新たな探求のためか?」
「半分正解やな。もう半分はこの子と新婚旅行するためね」
「ほう。ではこの小娘が……」
二人が何か喋ってるようだけど私には関係ない。
ああ、このお日様の匂い! これだよこれ、このどんな違法薬物よりも脳味噌をダメにする魅惑の香り……ああダメだ、私もうこの子なしじゃ生きていけない。もっと、もっと吸いたい! すーはっ、すーはっ……。
「はーい、お時間やよ」
「ああ!」
これからだって時にラク先輩に引き剥がされてしまった。
「な、なにするんですか! 私とマヌルネコちゃんの逢瀬を邪魔するんだったらたとえ先輩でも消し飛ばしますよ!」
「おー怖い怖い。つーか配信外でやれやい」
珍しくラク先輩から叱られてしまう。
ああ、そういえば今配信してるんだっけ。マヌルネコがかわいすぎて完全に忘れていた。
「ニシキさん。ウチらがここに来た理由は分ってるよな?」
「ああ、無論だ」
鷹揚にマルヌネコは頷く。かわいい。
「おい、小娘」
「はい♡」
「どんな高額スパチャを貰った時よりも媚びた声出しとるやないかい……」
うっさいなマヌルネコは最強なんだよ。
マヌルネコはとてとてと寒い地域で生息するために発達した毛並みを揺らしながら私に近付いた。そのまま軽く跳躍し私の肩に乗る。
「ど、どうしたのかな? もしかしてキス……」
マヌルネコはその愛らしい顔を私に近付けて――私を一口で飲み込んだ。




