85話 途切れた意識
披露宴で俺の身に起きた事を一刻も早く原田に伝えたい。だが、結婚式を終えたばかりで幸せの絶頂に浸る原田に水を差すようで躊躇われた。
「今日はうちに泊まっていってね。明日は新居への引っ越しで朝早いんだし、家で良ければゆっくりしていってちょうだい」
「お義母さん、ありがとうございます!!」
結婚式を終え、そのまま役所で婚姻届を出した原田と恵美は直子の家で夕食をご馳走になっていた。テーブルには直子の手料理が並んでいる。それを美味しそうに食べながら、結婚式の話に花を咲かせていた。
原田家に嫁いだのだから、結婚式後に過ごすとしたら義実家が普通だろう。初めは義実家でという話も出ていたのだが、原田夫婦が一人暮らしをしている直子を気遣ってくれた結果こうなった。さすが原田を産んだ親だけあって、心広いというか器のでかい人たちだと感心してしまう。というより、今の時代は嫁だからという縛りが薄くなっている傾向にあるのも関係しているのかもしれない。
(いつの間にか俺も時代の流れに遅れていたんだな……社会に出ているからといって、時代の変化に追いつけていた訳じゃない)
油断すると、どうも感傷的になってしまう。口から漏れ出そうになった溜息を寸前で飲み込んだ。
(少しここから離れたほうがいいな)
俺はトイレと言って席を立ち、静かにその場から離れた。ドアから漏れる3人の声を聞きながら、俺はトイレを素通りし、迷うことなく直子の寝室へと向かった。そして、押し入れにある俺の遺品の詰まった段ボールを探り始める。
(あの記憶が正しければ、きっとスーツの中にあるはず……けど、直子が気が付いていたら別の場所に移されたか、処分されているかもしれない)
前に手に取った、事故当日に来ていたスーツをまた袋から出す。前ポケットに手を突っ込み、目当ての物を探すも何も出て来なかった。次に裏ポケットに手を入れる。
「……あった!」
手に触れた感触に俺は思わず声を上げた。すぐさま口を手で覆い、周りの音に意識を集中させる。変わらない談笑が途切れなく聞こえ、俺はほっと胸を撫で下ろした。
ーー目的のものは見つけた。あとはこれをどうするべきかだ。
披露宴で見た映像は、俺の最期だった。
抜け落ちた記憶全てが俺の中に戻ったということは、颯太の身体にいられるタイムリミットが迫っているということになる。その期限が一週間後なのか、1ヶ月後なのか、それは神のみぞ知るということだろう。そうなれば今すぐにでも行動したいと思うところではあるが、幸せ真っ只中の原田を巻き込むのは申し訳ない。今はまだ、原田と恵美の幸せを邪魔したくはない。
ある物を持ってリビングへと戻った俺は、何もなかったかのように過ごした。
「明日は新居へお引越しだからね……颯太もお手伝いお願いね」
就寝の時間、パジャマ姿の恵美が笑顔で言う。
「颯太くん、明日からよろしくね」
原田も俺を子供として接してきた。
「うん、ぼくもお引越し頑張る!」
颯太として返事をし、その日は眠りにつく。
瞼を閉じた瞬間、俺は不思議な空間へと飛ばされる。というより、颯太の身体から抜け出し、本来逝くべき場所へ落ちていくような感覚だった。
ーー頼む、颯太……もう少しだけ、あと少しだけ待ってほしい。
娘の結婚式を見たいという、俺の最大の未練がなくなった今、颯太の身体に残る理由はもうない。しかし、それでもあとひとつだけ、やり遂げなければならないことが出来たのだ。
俺は何度も何度も願う。神様ではなく、孫の颯太に懇願の言葉を繰り返した。
ーー俺の死を無駄にしたくないんだ。
すると、どこか遠くで微かに子供の声がした。
「まだいいよ」
その声は、颯太だった。
そこではっと目が覚める。視界には夕焼けの空が広がり、オレンジと赤が入り混じった太陽が俺の顔を照らしていた。
(……なんだ?)
昨夜は直子の家に泊まって、布団で眠ったはずだった。それなのに、どういう訳か空を眺めている。
「颯太くん! そろそろお迎えの時間だから、教室に戻って準備しようねー!」
下で俺を呼ぶなつ先生の声に視界を移して、ようやく今自分のいる場所が保育園なのだと自覚できた。大河と未来はなつ先生の隣で一生懸命に手を振っている。
「颯太くん、大丈夫?! ぼーっとしてたよー?」
「早く下りてこいよ!」
周りを見渡して、俺が滑り台の上にいるのは理解できた。しかし、全く状況は把握できていない。それでも今は先生の言うことを聞くのが優先だと考え、軽やかな傾斜を滑り下り、地面に着地する。
「あのさ……今日って何日?」
「どうしたの、颯太くん。もしかして滑り台の上で眠っちゃってた?」
「お前もそんなおっかしーとこあるんだな!」
「颯太くん、おもしろーい」
俺の発言は見事にスルーされてしまった。
何が起きたのかさっぱり分からないまま教室へと戻ると、そこでやっと知らない間に3日が経過していた事を知る。帰りの会が始まり、なつ先生が夏休みについて話しているが全く耳に入ってこなかった。
(……そんな、まさか……意識が飛んでたということか? 俺がいない間、颯太に戻ってたのか?)
ーー原田は気が付いていたのだろうか? 颯太に戻っていた間は原田は大丈夫だったのだろうか?
それよりも、直子の実家から持ってきたものはどうなってしまったのだろうかと不安が過ぎる。こんなにも早く意識が途切れてしまうなんて予想外だった。
(もう少し時間があると思ったんだが……いや、意識が飛んだことの心配よりも今後の行動をしっかり考えないとダメだ。こうして意識が戻ったのは奇跡だろうし)
ーー本当に奇跡だろうか?
記憶が飛ぶ直前に見た夢の中で聞こえた声を思い出す。
ーーあれはもしかしたら颯太の声で、こうしてまた颯太の身体に戻れたのは颯太が許してくれたおかげなのではないだろうか。
その憶測は、妙な確信を抱かせた。




