表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/101

8話 苦味と甘味

 おむつとジュースがぱんぱんに詰まった小さなリュックを背負い、恵美と手を繋ぎながら目の前の家を見上げた。3段の石段を上がり、小さなながらも立派な数奇屋門(すきやもん)を潜ると木造二階建ての我が家が現れる。


(もう26年か……いや、俺が死んで4年建ってるから築30年か)


 直子と恵美と過ごした思い出の詰まった家。ようやく帰ってきた嬉しさに目尻が熱くなる。

 恵美が人差し指を伸ばし、インターホンを鳴らした。


「お母さん、来たよー!」


 曇りガラスの入った木製の引き戸を開けると、懐かしい匂いが漂う。長年過ごした家の匂いが脳裏に眠っていた思い出を呼び覚ます。パタパタとスリッパの音を鳴らしながら、廊下の奥の部屋から慌てたように誰かが駆け寄ってきた。


「いらっしゃい!! 楽しみに待ってたのよ!!」


 俺は目の前に迫ってきた人物を見た瞬間、目をパチパチと(しばたた)かせた。

 笑顔で出迎えたのは確かに俺の妻の直子だった。


(直子……お前)


 元気がなくてやつれてしまった姿ばかりを想像していたのに、現れた直子はまさに真逆の状態。前の姿はシュッと痩せていて、顔も小さかった。


(なんだか少し……いや、だいぶ太ったか?)


 全体的にポッチャリとしていて、頬も艶々と光っている。表情も今まで見たことがないような笑顔だ。痩せ細って家に引き篭もっているよりかは元気な方がいい。だが、俺がいた時よりも生き生きしている感じがして、心中は複雑だった。


「颯太くん、久しぶりねー! 見ない間にまた大きくなったわね」


 直子が嬉しそうに俺の頭を撫でる。


(孫が出来たから生き甲斐ができたのか……まあ、元気なら文句はない)


「お母さん、また少し太ったんじゃない?」


「やだ、分かっちゃった? 最近、近所の田中さんと毎週のようにカフェ巡りしてるのよ。この間行ったカフェのパンケーキが美味しくってね~」


 味を思い出したのか直子は頬に手を当て、美味しさをアピールした。


「もう少し大きくなったら颯太もばあばとカフェでパンケーキ食べようね」


「お母さん、食べ歩きはいいけど程々にね。あんまり甘いものばかり食べると病気になっちゃうよっ」


「これからちゃんと運動するわよ! 近所の加藤さんと今度ウォーキング始めましょうって約束してるもん」


 見ないうちに随分変わった妻に俺は戸惑い、なかなか声を出せなかった。


「颯太くん、大人しいわね。前に会ったのは3才の誕生日の時だったけど、あの頃は好奇心旺盛で活発だったのに」


「最近成長してきたのか、妙に大人ぶってるの。おむつの交換もわたしがやろうとすると嫌がるの」


「男の子ってママに甘えたがりの子が多いけど、颯太くんは自立心が強いのかもしれないわね。将来どんな大人になるのか楽しみだわ~」


 再度、俺の頭を撫でる。


「さあさあ、中に入りなさい」


 そう言われ、俺は見慣れた廊下を歩き、一番奥にある居間へと通された。


(なんだ、これは!!)


 口で言うのを必死に我慢する。和室で落ち着いた雰囲気の居間だったのに、床はフローリングに変わり、テーブルもオシャレになっていた。そして障子戸だった窓にはメルヘンチックなピンクのカーテンが掛けられている。


(本当に俺の家なのか!!!?)


 愕然として見回すと、仏間が目に入る。覗き込むとそこは俺の記憶のままの和室だった。


「颯太、じいじに挨拶しようか」


 恵美が静かに和室の中へと入り、仏壇の前に座った。それは妻の両親と俺の仏壇。

 線香の煙が昇り、(りん)を鳴らす音が淋しく響く。見上げると、俺の慰霊写真が壁に掛けられていた。何年も前の写真の中の俺は凛々しいというよりかは、どこか不機嫌そうに見える。


 ーー俺はいつもこんな顔をしていたのだろうか?


 自分の姿を違う目で見るとこんなにまで印象が違う。なんだかまるで別人を見ているような感覚だった。


「ほんと……何も話さないで終わっちゃった」


 ぽつりと恵美の声が聞こえた。その言葉は俺に後悔の念を産み付ける。


「すまなかった」


「……颯太、なんか言った?」


 振り返り、恵美と目が合った。俺はなんだか泣きそうになり、そっぽを向いた。


「なんにもない」


「変な颯太」


「ほらほら、お茶入れたから来なさい」


 直子の声に恵美はさっさと仏間から出ていってしまう。俺は改めて仏壇に目を向ける。俺がよく飲んでいたビール缶と好きな銘柄のタバコ一箱が供えられていた。直子が今も変わらず俺を思っているのだと、今度は心が暖まった。


「颯太くんにはジュースがあるよ」


 後悔の涙が嬉し涙に変わるが、俺はそれを見せないように袖で拭い取る。


「僕、ばあばの淹れた緑茶が飲みたい!!」


 笑顔を向けた俺の目に真顔になったふたりの姿が写った。


(やっちまった! 子供が緑茶なんて言わないか!! けど、飲みたい……)


「本当に颯太、大人になったんだね」


 直子はおかしそうに笑う。


「いろんなものに興味が湧くんだろうね。恵美、一口だけ飲ませてもいい?」


「まあ、一口だけなら」


 恵美も苦笑いを浮かべながら頷いた。


「やったーーーっ!!!!」


(ナイスだ、妻よ!)


 俺は直子の作るものの中で好きなのは、鯖の味噌煮だ。でも一番は淹れたての緑茶。

 バランスのいい風味と苦味。妻の淹れた緑茶は最高だと言える。


「さあさあ、出来ましたよ」


 子供用の両手掴みのマグカップに注がれた暖かい緑茶。かと思ったのに、中に氷が浮かんでいた。


「熱いと火傷しちゃうからね」


(し、仕方がない……颯太の舌はまだ敏感なのだから我慢しよう)


 俺はやっと飲めることの期待に胸を膨らませ、マグカップの中の緑茶を一気に口の中へと注ぎ込んだ。


「うっ」


 吹き出しそうになるも、なんとか喉へと流し込む。


「あはは、やっぱりそうなった!」


「今口直しにりんごジュース持ってくるわね」


「お母さん、大丈夫。リュックの中に入ってるから」


(……あんなに美味しかったのに)


 口に広がるのは旨味ではなく、涙目になるほどの苦味だった。

 目の前に置かれたキャラクターの絵柄がついた紙パックのりんごジュース。俺はすがるようにりんごジュースを飲み干す。甘い果汁が俺の喉を優しく潤した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ