54話 手掛かり
カレーライスは上手くできた。香ばしいスパイスの香りが鼻を刺激し、お腹が空腹を知らせる。
なのに、スプーンを握る手が動かず止まったままになっていた。
「連絡来ませんね」
原田も同じ状態で、溜息をつく。
あれから数時間経ったが恵美からの連絡はまだなかった。直子の状態が分からない現状のせいで美味しそうなカレーライスを前にしても食欲が湧かない。
「電話してみましょうか?」
「いや、病院の中ではマナーモードにしているだろうから……連絡を待つしかないだろう」
不安は募るが、気持ちはだいぶ落ち着きを取り戻しつつあった。冷静になってきたことで先ほどまでの自分の失態を思い出す。人前で取り乱し、しかも泣いてしまうなんて男としてなんと情けないこと。身体中に羞恥心が広がる。
「は、原田……その、さっきはすまなかったな。冷静に対処しなければならなかったのに取り乱してしまった。そして、醜態を晒してしまったな」
「謝ることなんてありませんよ。大事な奥さんが倒れたんですよ? 取り乱さない方がおかしいです」
「原田……ありがとう」
俺が礼を言うと、原田は照れ臭そうに微笑んだ。
「俺は何もしてませんよ」
「そんな事はない。お前は誰よりも優しく、頼り甲斐のあるやつだ。もしも俺が居なくなったとしても恵美の側に原田が居てくれるのなら安心だ」
「部長……そんな寂しいことは言わないでください」
すると、原田のスマホから着信を知らせる音楽が鳴り始める。原田は慌ててスマホ画面を確認し、通話ボタンをスライドさせた。
相手は恵美だろう。原田は少し険しい顔をしながら頷く。
「はい。分かりました……颯太くんのことは俺に任せてください。帰りは深夜でしょうから気をつけて帰ってきてくださいね」
話し終えた原田がスマホをテーブルに置くと、安堵した表情を俺に向けた。
「直子さん、虫垂炎でこれから手術になるそうですが命には問題ないそうです!」
「虫垂炎!? と言うことは盲腸か……だから腹を痛がっていたんだな」
「恵美さんは手術が無事に終わるまでは病院に残るそうなので帰りは深夜になるそうです。なので俺は恵美さんが戻ってきたら帰りますね」
「何を言ってるんだ。深夜になるなら原田はこのまま泊まっていけばいいだろ? 明日も会社があるんだ……身体を休ませなきゃダメだ。労働をこなすならしっかり食べて休むのが重要なんだぞ」
原田は一瞬戸惑ったがいつものように明るい声で返事を返す。
「部長がそう言うならお言葉に甘えます!!」
直子の無事が分かったせいか、先ほどよりも増して盛大な音がふたりのお腹から同時に鳴り出した。
「何も食べていない恵美には申し訳ないが……食べようか」
「そうですね。せっかく作りましたから食べないと勿体無いですから」
スプーンで掬ったカレーを一気に口に頬張る。
「んんっ!?」
口に入れた瞬間、俺は顔を顰めた。
「ええっ、どうかしましたか!? もしかして不味かったですか!?」
俺は近くに置かれてあったコップを掴み、注がれていた水を一気に飲み干す。
「原田、カレールーってもしかして中辛だったか?」
「ああ……そういえば中辛でしたね。え? もしかして辛いんですか? いっつも社食のカレーライスは辛口を頼んでたのに」
「颯太の身体に入ってからは味覚も子供に戻ってしまったのか刺激的な味に敏感なんだ」
「そうだったんですか!? 気が付かなくてすいませんでした!」
原田は慌てて俺の皿を持ち上げる。
「おいおい、何も下げなくていい。食べていくうちに辛さなんて慣れる」
「ダメですよ。子供の身体に合わないのら避けるべきです……それにカレーの辛さなら簡単に調節できます」
原田は食品用の棚から蜂蜜を取り出した。それをルーに混ぜ、改めて俺の前に置く。
「どうぞ、食べてみてください」
俺は言われた通り再度カレーライスを一口食べる。すると、さっきまでの辛さがすっかり消え、マイルドな甘さが口の中に広がった。
「すごい!! 美味い!!」
「良かった。これで安心して食べられますね」
最近、原田には頭が上がらない。会社では上司として慕われていた俺だが、私生活では原田の方が上司だ。
(仕事さえしていれば家族を支えている気になっていた自分が情けない……仕事よりも大事なことはたくさんあったはずなのにな)
「そうだ、部長……さっきの話なんすけど」
「さっき?」
不意に言われ、俺は思い出せずに首を傾げる。
「今はふたりきりなんで話しても問題ありませんね。さっきの日帰り旅行の件です」
(ああ……そんな事を話していたな。すっかり記憶から抜け落ちていた)
俺はスプーンをテーブルに置き、原田に身体を向けた。
「いきなり旅行なんてどうしたんだ? まさか普通に息抜きってわけではないなんだろう?」
「はい、もちろん遊びに誘ったわけではありません。これは部長が颯太くんの身体に入ってしまった現象の意味を知れるかもしれない重要な手掛かりが見付かるかもしれないんです!」
「なんだって!?」
俺は椅子の上で立ち上がる。
「実は颯太くんが部長だと知ってから俺も色々調べていたんです。確かに世界中で生まれ変わりがあったという事例は数多く報告されてはいるようですが、それが真実か嘘かを確かめる術はありません。だから思い切って他の人に情報を提供してもらう方法を考えました」
「そんなことが出来るのか!?」
「そこで得られる情報が真実かは……直に赴いて確かめないといけませんが、確かめようのないネットの記事を信じて行動するよりよっぽど良いと思うんです」
「なるほど。確かにその通りだ」
「普段はSNSなんてやらなくて、アカウントだけ作って放置してたんですよ。そこで部長に起きた現象を書き込んで投稿したんです。もちろん部長の名前は伏せてますんで安心してください」
すっと原田はスマホを俺に差し出した。
「何件かやりとりした中でひとり気になる人が居たんで、部長がもし確かめたいと思うなら会いに行ってみませんか?」
まさかの展開に驚くが返事に迷いなどない。
「行くに決まってるじゃないか!」
俺は期待の籠った声で原田に言い放った。




