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5話 夫への違和感

 夕方6時。

 家のチャイムが鳴る。


「あっ!! 帰ってきちゃった!!」


 恵美が急に焦り出した。慌てたように着ていたエプロンを脱ぎ捨て、玄関へと駆けていった。


(誰が来たんだ?)


 部屋中に漂う美味しそうな料理の臭いでお腹が騒がしくなる中で、俺は恵美の後を追う。

 鍵を解錠した途端、扉が勢いよく開かれた。


「おかえりなさい」


 入ってきたのは恵美と結婚の挨拶へ来た智貴だ。

 ただいまの一言も返さずに、持っていた鞄を恵美に押し付けるように渡す。


(なんだこいつ、随分偉そうだな)


 と、思ったものの自分も妻には似たような態度だったと、喉まで出掛けた言葉を飲み込んだ。


 ーー俺はあんな押し付けるような渡し方ではなけれど……


「夕食の準備はできてます」


「今日はなに?」


「智貴も颯太も好きなハンバーグを作りました」


 靴の向きを整えてから顔を上げた智貴の顔はどこか怪訝そうに映る。


「なに、またハンバーグ? 先週もハンバーグ作ってたよね? 毎週出すなんてしつこいんだけど」


「ご、ごめんなさい」


 肩を竦め、恵美は謝った。

 俺はまた喉元まで沸き上がる言葉を懸命に飲み込もうとしていた。


(いやいや!! 妻が一生懸命作るご飯に文句を言うなんて、なんてひどい男なんだ!!!!)


 怒り心頭で、今にも智貴の顔を殴ってやりたい気分になる。だが、致命的な問題があった。

 それは身長差だ。片方は180センチ以上ある高身長で、もう片方は100センチ未満。これでは殴れない。

 蹴りでもいいが、こんな小さな足では威力に欠けるないだろう。


(くそっ、身体が子供じゃなかったらな)


 けれど、これは亭主関白というやつなのだろうか。

 たしか智貴は長男だった。昔の家庭なら長男の嫁はなにかと苦労する傾向にある。

 見たところ義両親とは同居している気配はない。


「お風呂は?」


「用意してあります」


「なら、風呂を先にする」


「颯太も一緒に入れてもらってもいい?」


 恵美の言葉が気に食わなかったのか、智貴の眉がピクリと吊り上がる。


「俺、疲れてるんだけど」


 恵美は再度、ごめんなさいと返した。

 俺は我慢の限界に達した。


「僕、パパと入りたい!」


 男同士、腹を割って話そうじゃないか。

 そんな意気込みで俺は言い放っていた。

 本来ならサシで酒を飲み、本音を語り合いたかったがそうもいかない。


「颯太」


 驚く恵美。夫の機嫌を損ねていないかと、挙動不審な動きになる。


「めんどくさいな……颯太の着替えとかはお前がやれよ」


 苛つきながらも智貴はお風呂に一緒に入ることを了承し、二階の寝室へと向かった。


「僕もお着替え選ぶ!」


 子供の声帯に慣れてきたおかげでスムーズに言葉が出るようになったし、我ながら演技も板についた気がする。


「そうだね」


 恵美が俺の手を引く。


(これを口実に二階へ行けるぞ!)


 またとないチャンス。そう思ったのもつかの間。

 手を引かれた方向は予想外にも子供部屋だった。


「えっ」


「どうしたの? 着替えは子供部屋だよ」


 またチャンスを逃したと俺は小さく溜め息を漏らす。



 お風呂ではなんだか気まずい空気が流れた。最初の意気込みはどこへやら、お互い一言も喋らずお風呂に浸かる。話す内容を考えるも、それを言葉にするまでに到達しない。


(よりにもよって娘の旦那と風呂に入るとは……もとの姿ならいろいろ嫌みのひとつも言えるのにな)


 頭を洗い出す智貴を無言のまま眺める。

 中肉中性で見た目は悪くない。けれど、口数が少ないのか会話らしい会話がない。

 妻に対しての態度もそうだが、実の息子を目の前にして会話すらしないのはどうなんだろうか。

 しかし、そこで昔の記憶が蘇る。


(俺も人のことをとやかく言えるような立場じゃなかったか)


 俺も昭和の男だったから、亭主関白と言われる側の人間だった。

 家に帰れば用意されたお風呂に入り、妻の準備した着替えを着る。夕食の準備も後片付けも手伝ったことはない。お茶が飲みたいとき、自分が使いたいものがある時は全て妻を呼んだ。

 子供に対してもそう。学校の集まり、教育、全部を妻任せにしていたから、俺は恵美に何一つ関わろうとしなかった。ふたりきりで同じ場所にいても、ろくに会話した記憶もない。子供がもしも息子だったら、何か違っていたのだろうか。

 だが、今この現実を見ていると何も変わらなかったのかもしれないと思ってしまう。


(こいつも俺も似たようなものなのか)


 娘に愛情がなかったから何も話さなかったわけではない。何を話したらいいのか分からなかったのだ。相手が女の子だから余計だったのかもしれない。

 子供との距離感が分からず、会話することを避けてた。そして、気がつけば娘は結婚する年に成長していた。


(後悔してももう遅い)


 それならば、この智貴には俺のような後悔をさせたくない。恵美にも息子にも優しくできるような良き父親になってほしい。

 ほんの親心から、俺は智貴にある質問を投げ掛けていた。


「パパはママのこと好き?」


 体を洗い始めたばかりの智貴が少しぎょっと目を見開く。


「急になんだ」


 どこか怒った口調。


「好きなの?」


「そんなこと子供にいうことじゃないだろ?」


 素っ気なくそう言って、智貴は俺を風呂から追い出すかのように恵美を呼んだ。

 お風呂場を出る瞬間、冷たい目線に気が付く。モヤモヤした感情が心の中に溜まっていくのを感じた。


「お父さんとのお風呂どうだった?」


 笑顔で脱衣場にやってきた恵美に裸を見られてしまった羞恥心からあたふたする。しかし、その投げ掛けられた質問でそれも吹き飛んでしまった。


「うん……楽しかった」


 俺は嘘を付く。

 恵美を、娘を悲しませたくなかった。


(俺自身の問題もあるが……恵美のこともなんとかしてやりたい)


 先程の智貴の冷たい目線が気になる。あれはどう見ても、子供に向ける目付きではない。


(……まずは情報を集めなくては)


 何事も情報がなければ動けない。俺は密かに決意を固めた。

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