表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時戻りのアネモネは、風の精霊と愛を知る  作者: 神野咲音


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/44

第43話 選んだ運命

 シャイラの目の前で、二人の戦いに決着がつこうとしている。


 大剣を携えた魔王が、花畑に倒れたフィスクの傍にゆっくりと歩いていく。そして、今になって思い出したかのように、ちらりとこちらを見た。


 この光景を、知っていた。


 凍り付く。この先を二度と見たくないと、願っていたはずだった。そのためのひと月だった。


 魔王が大剣を振り上げ、切っ先を下に向ける。



「魔王!!」



 叫ぶ。この戦いで、シャイラにできることなんてそれくらいだった。


 だが驚くべきことに、魔王が一瞬だけ、動きを止めた。


 大剣の切っ先が微かに揺れる。



「――ラーガ」



 魔王が初めて見せた、一秒にも満たない隙。そこを縫うように突き出された銀の槍が、魔王の胸を刺し貫いた。



「女神の加護は、もうお前には無いらしい」



 ニヤリと笑ったフィスクを見下ろして、魔王は虚を突かれた顔をした。殺意の覆いが剥がれて落ちて、素の驚きが露わになる。


 フィスクがパッと柄から手を離すと、聖士の銀槍は風に姿を変えて消えてしまった。


 体の支えをなくした魔王は、目を見開いたまま真後ろへと倒れ込む。重い音を立てて、その手から大剣が転がった。


 フィスクがゆっくりと体を起こして、右肩の傷を押さえながら立ち上がる。



「……フィスク!」



 魔王が動かないのを確認して、その傍を抜けてフィスクに駆け寄った。シャイラを迎えたフィスクはほんの少しだけ目元を綻ばせたが、すぐに魔王に視線を戻した。


 胸元を赤い血で染めて倒れる魔王の姿は、過去の世界で死んだフィスクを彷彿とさせる。浅く途切れそうな息を継いで、魔王は呆然と空を見上げていた。


 無言のまま、フィスクはその息が止まるのを待っている。戦いの興奮が去った雲色の目に悲しげな色が見えるのは、シャイラの気のせいだろうか。



「――シャイラ……」



 掠れた声で名前を呼んだのが、魔王だと気づくのに時間がかかった。


 呆けていた金色の目が急速に焦点を結び、しっかりとシャイラを見た。びく、と肩を揺らしたシャイラを庇うように、フィスクが一歩前に出る。


 フィスクへの殺意を失った魔王は、もはやただの男でしかなかった。喘ぐように息を吸って、「お前は、」と何かを言いかける。


 続く言葉を、聞きたくなかった。



「あなたは私のお父さんじゃない」



 口をついて出たのは、否定だった。


 声に出して初めて、自分の感情を自覚する。



「私に、お父さんはいない。……いなくたって、私はもう自分の幸せを選べる」



 ずっと、そうだった。シャイラに父親はいない。母と二人きりの家が当たり前だった。父と呼べる存在などいなかった。


 薄情と思われるかもしれない。もしかしたら、本当に彼は、シャイラの幸せを祈ってくれていたのかもしれない。


 でも。


 魔王は、フィスクを殺すことだけを考えていた。シャイラのことなど、見てもいなかった。


 それが答えだと、思うのだ。



「……この運命を定めたのは、おれか」



 それが、魔王の最期の言葉だった。


 体の形容かたちが崩れて、風に変じて消えていく。魔王の命が風に溶けて、空へ還る。


 静かな、終わりだった。


 フィスクがゆっくりと腰を屈める。手を伸ばした先、魔王が倒れていた場所に、二つ並んで落ちた羽があった。


 手のひらの大きさくらいある、純白に輝く一本の羽根。そして、縮れた飛膜のついた黒い骨が、ひとつ。


 フィスクと魔王の、魔力の核だ。


 フィスクは白い羽根を拾い上げた。指に触れた瞬間からきらきらと光り始めた羽根は、ふわりと浮かび上がって彼の胸に吸収されていった。


 よく知った脈動が広がる。明滅し、時折輪郭のぶれていた半透明の翼が、少しずつ白く染まっていく。実体を、得ていく。


 ばさりと広がった翼が小さな風を起こして、花を優しく揺らした。



「……ぅっ」



 胸を押さえ、背中を丸めて、フィスクは小さく呻いた。そのまま、動かなくなる。



「えっ……、だ、大丈夫!?」



 シャイラは慌て、膝をついてフィスクの顔を下から覗き込んだ。



「ああ……。大丈夫。大丈夫だ……」



 フィスクは、美しく整った顔立ちをぐしゃぐしゃに歪めて、ぽたぽたと涙を落としていた。小さな雫がいくつも、地面に吸い込まれていく。


 『風の涙』だ。


 どこか遠い場所で降る雨を、風の精霊たちが運んでくる。晴れ渡った空から降り注ぐ、優しい祝福の雨。


 はらり。ほろり。ほたり。


 風の涙が、たくさん落ちてくる。



「全然、こんなつもり……、ちょっと待ってくれ。とまらない。とまらないんだ……」



 涙をめちゃくちゃに拭おうとしたフィスクの手を止めて、シャイラは彼の頭を抱きしめた。



「シャイラ、シャイラ。俺も、お前も、ちゃんと生きてる……。一緒に、いられる……?」


「うん。そうだよ、フィスク。そうだよ」



 視界が滲む。シャイラの頬も冷たく濡れて、声が震えるのを抑えきれない。



「ずっと一緒にいよう。生きていこうよ、二人で」



 そして、いつか一緒に死ねたなら、それ以上に幸せなことなんて、どこにも無いのだ。


 泣きながら笑ったフィスクが、シャイラの背に片腕を回す。


 それ以上、二人の間に言葉はなく、ただ、しっかりと抱き締めあって互いの温もりを刻み込んでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ