第4話 教会の機密
「フィスク様!! 大丈夫ですか!」
ドンドンと強いノックの音が聞こえて、そんな叫び声がした。シャイラは頬を拭って、フィスクから視線を引き剥がす。
部屋の床に設置されている扉が跳ねあがって、黒髪の女性が現れた。生成りのローブを身に纏い、どこか清廉な雰囲気を持つ人だ。前回、シャイラは二度しか会わなかったが、彼女のことも知っている。
巫女アロシア。少し前に帝都から来た人物で、フィスクの身の回りすべての世話をしている責任者だった。注文にあった白い花が良く似合いそうな、美しい女性だ。
ただ、どれだけ整った容貌であっても、フィスクの隣に立てばすべて霞んでしまう。今も、フィスクがシャイラに一歩近づいただけで、自然とそちらに視線が向いた。
「一体何が……。フィスク様にお怪我はありませんか?」
フィスクの身を案じるアロシアを完全に無視して、彼はまだ座り込んだままのシャイラを見下ろす。
「お前、名前は」
間を置いて、シャイラは自分を指さした。
「わ、私?」
「ほかに誰がいる」
「……」
ここで名乗ってもいいのか。とにかく謝って、すぐに立ち去れば、これ以上フィスクと関わることもないのでは。
そんな逡巡を、フィスクの鋭い眼光が打ち砕いた。
「名前は」
「……シャイラ」
フィスクは小さく頷くと、次にアロシアを見た。
「精霊たちの悪戯で、ここまで飛ばされたようだ。怪我がないか見てやれ」
「まあ……、そういうことでしたら、分かりましたわ」
アロシアは無視されたことなどまるで気にも留めず、シャイラを手招きした。にっこりと、綺麗な形の目が弧を描いている。
「シャイラさん、と言いましたわね? ここは限られた者しか入ることの許されない塔なのですが、風の悪戯とあれば、あなたを責めるわけには参りません。ただし、ここで見たもの聞いたものは、すべて他言無用ですわ」
こくこくと頷くと、アロシアは更に笑みを深めた。「立てますか?」と優しく手を取られ、甲斐甲斐しく助け起こされる。足が震えるのを、どうにか抑えて立ち上がった。
ちらりとフィスクの方を見ると、すでにこちらには背を向け、窓から外を眺めていた。
早くも変わってしまった状況をどうすればいいのか分からないまま、シャイラはアロシアに促されて部屋を後にした。
◇ ◆ ◇
妙な場所から塔に侵入した娘を部下に任せて送り出し、アロシアはほんの僅かに眉をひそめた。
あの娘にどんな意図があろうと、なかろうと、フィスクの存在を知られてしまったのは良くない事態だ。彼の存在は教会における最高機密。教会内ならばまだしも、外部に情報が漏れるようなことはあってはならない。
何より、この部屋で暮らすお方を煩わせることは、許されないのだ。
「フィスク様……」
この塔の主、アロシアが仕える麗人は、窓の傍に立ったまま動かなかった。思索を邪魔してはいけないと、息を潜める。
しばらくの沈黙ののち、フィスクは壊れた窓枠をそっと撫で、口を開いた。
「さっきの」
「はい」
「確認したいことがある。ここに呼べるか」
「呼び戻しましょう」
すぐに動こうとしたアロシアだったが、フィスクが「違う」と首を振ったのを見て足を止めた。
「話し相手だとか……、名目はなんでもいい。あいつをここに出入りできるようにしろ」
「先ほどの娘を、フィスク様の元へ通わせる……、ということでしょうか?」
「そうだ」
その理由を問うような愚かな真似はしない。フィスクの言葉は、どのような内容であれ絶対だ。
彼の要望はすべて叶え、必要な物はすべて用意する。ここは彼のための楽園であらねばならない。
そのために、アロシアはここにいるのだから。
「かしこまりましたわ、フィスク様」
アロシアは微笑んで、頭を下げた。