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第31話 その頃、精霊界では

 高く高く、空高く浮かぶ雲。その中に、風の精霊が守る門がある。


 精霊界は、精霊のために女神が創った世界だ。精霊のための楽園。女神が愛した理想郷。


 人間界と繋がる門は四つある。魔物が侵攻してくるのは、主に風の門だ。火口や海底にある他の門と違い、攻めやすい位置にあるからだ。


 雲に隠れ、精霊と魔物は悠久の時を戦い続けている。


 魔物の侵攻を押し留める風の戦士たち。その頂点に立つ最強の者を、聖士と呼ぶ。


 しかし、今代の聖士であったフィスクが姿を消して、およそ百年。〈風の民〉は、戦士を率いる長を失ったまま、魔物と戦い続けている。






 精霊界の空。雲よりも高く伸びる巨大樹の木々を利用して、〈風の民〉は暮らしている。枝の上に組み上げた家を並べ、木々の狭間を埋める雲の上を歩くのだ。


 アイルは愛槍を背負い、人間界へ出る門の前に立っていた。


 魔物の侵攻から精霊界を守るため、〈風の民〉は門の周りに集落を作っている。魔物の襲撃があれば門から出陣して戦い、万が一侵入されることがあれば、ここですべてを食い止める。幸いなことに、これまでの戦いで精霊界への侵入を許したことはない。


 だが、聖士がいないままの戦況は、思いのほか厳しい。早く次の聖士を選出しなければいけないのだが、今代は聖士の証を持ったまま精霊界から消えた。


 聖士の証。初代の聖士が使っていた、銀色の槍だ。あの槍は戦士の素質を見定め、相応しいと感じた者を聖士として選ぶ。


 魔物の襲撃を縫うようにして人間界を探し続け、ようやく見つけ出した槍は次の選出を拒否した。


 誰もあの銀槍に近づけない。主のみに忠誠を誓う槍は、未だフィスクを主として認めたままなのだ。



「フィスク……」



 フィスクは、アイルの弟だ。あの長い髪は、〈風の民〉にとって最強の象徴だった。聖士の槍に名を遺す、初代と同じ。


 彼ら兄弟は、初代聖士セフィアスの血筋だ。〈風の民〉の中でも、特に聖士を輩出しやすい血を引いている。今は亡き父も、そうだった。


 だが、歴代の聖士たちはすべて、魔王に殺されてきた。精霊を憎む魔王ラーガは、セフィアスの子孫をことさらに憎んだ。中でも、遠い先祖セフィアスに生き写しの姿で生まれてきたフィスクは、魔王に強い殺意を向けられてきた。


 いつか、魔王を倒す聖士となるだろう。フィスクはそう期待されていた。最も強く憎まれ、熾烈な攻勢を受けつつも、それを跳ね除け続けてきたのだ。精霊の中ではまだ子供であるフィスクだが、成長した時には、その力は魔王を超えるだろうと。


 初代を超える最強の聖士。聖士の槍は、その才を幼いフィスクに見出した。


 ――それなのに。


 弟が魔王ラーガに敗れ、地上へと落ちて行った、百年前のあの日。伸ばしても届かなかった指先を、未だに夢に見る。


 アイルが駆け付けた時、もう弟は翼を失っていた。闘争心に目をぎらつかせながらも、いつその呼吸が途切れてもおかしくない有様だった。


 だから〈風の民〉の誰もが、フィスクの生存を諦めていた。アイルに面と向かって言おうとはしないが、種族全体に諦念が漂っていたのだ。


 彼の槍が次の聖士を選ばないのは、それに相応しい者がいないからなのだと。幼いながらに最強の称号をほしいままにし、これからまだ強くなったであろうフィスク以外に、もう聖士の名を背負える者は、いない。


 そう、思われていた。


 数日前、人間界から吹き上がった突風が、門を突き抜けて精霊界に到達するまでは。


 門の真下に位置する人間の街。そこに聖士の槍があることは分かっていた。万が一、魔物に奪われたり、破壊されるようなことがあってはいけない。そのため、定期的に無事を確認するようにしていた。


 いつまでも新しい聖士を選ぼうとしない、初代の名を冠する槍。彼がまだフィスクを主と認識しているのなら、まだ生きているはずだ。人間界の、どこかで。


 そう願っていたのは、アイルだけだった。それが覆った。



(あれは、確かに、フィスクの魔力だった)



 精霊界にまで届いた風は、集落に薄暗く横たわっていた暗雲を吹き飛ばしていった。


 アイルはきつく拳を握りしめた。もし本当に弟が人間界で生きているのなら、救うための光明が見えたのだ。逃したくない。もう、手が届かない思いはしたくないのだ。


 人間界まで槍を確認しに行く役目は、アイルに任された。聖士のいない今、聖士補佐であるアイルが陣を離れるのは危険だった。だが、フィスクの帰還が叶うならば、〈風の民〉にとっては願ってもないことだ。


 門の守りと、フィスクの救出。アイルたちは、フィスクの生存に賭けた。彼さえ戻ってくれば、いずれ長年の宿敵たる魔王を倒すことも叶う。


 幼い聖士を救うために、可能性が一番高い者を派遣する。実力、血の繋がり。アイルはそのために選ばれた。


 もちろん、それだけではないと分かっている。弟を案じ続けていたアイルのために、他の者たちが門の守りを請け負ってくれたのだ。迎えに行って来いと。



(必ず、助けるんだ)



 この空を、また兄弟並んで飛べるように。そのためならどんな犠牲も惜しくはないと。強い決意を宿して、アイルはその背に純白の翼を広げ、人間界へと飛び立った。

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