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時戻りのアネモネは、風の精霊と愛を知る  作者: 神野咲音


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第13話 アネモネの約束

「フィスクって、花は好き?」


 部屋の中に引き上げられながら、シャイラは尋ねた。こうやって事あるごとに触れられるのにも、少しだけ慣れてきた。


 唐突な質問に、フィスクは怪訝そうに眉をひそめる。



「花?」



 ここ何日か、お菓子を持参する日が続いている。それで分かったのは、彼はお菓子だけでなく料理そのものが好きなのだということ。そして、シャイラの手作りでなければあまり興味を示さないということだった。


 何を気に入ったのかさっぱり分からないが、フィスクは店で買って来たものより、シャイラが作ったお菓子を好んで食べる。


 無口だと思っていた彼は、話題を選びさえすれば意外と饒舌だ。彼の事情に関わりそうな話を避ければ、問いかけには答えてくれる。


 向こうから話しかけられることは少ないが、最近は部屋に呼ばれる時間も長くなった。待機時間が少なくなったせいで、書庫での調べ物は捗っていないけれど。


 だが、これだけでは駄目だ。シャイラが知りたいのは、フィスクがここにいる理由だ。彼のことを知りたい。もっと、もっと。


 それが、あの惨劇を食い止めるための道だと信じて。



(焦っちゃ駄目、嫌われるようなことは避けなくちゃ)



 そう心がけるのは、シャイラにとって簡単なことだった。


 今日のお菓子であるマドレーヌを差し出しながら、シャイラは当たり障りのない会話を続ける。



「うち、花屋なの。お母さんが隣国の、土の国の出身で」


「嫌いじゃない」


「それじゃあ、お花、持ってきてもいいかな? この部屋、すごく殺風景だから」



 最低限の家具しか置かれていない部屋は、あまりにも味気ない。ここで誰かが生活しているなんて、部屋だけを見れば分からないだろう。


 フィスクは少し考えてから、小さく頷いた。



「切り花じゃなければ」


「鉢の方がいいの? かなり場所を取っちゃうけど……」


「摘み取って飾るのは好きじゃない」



 日の当たる窓の内側にスペースはない。戸棚もないから、植木鉢を置けるのはテーブルの上だけだ。そのテーブルも、一人用の小さなもの。


 フィスクの私物すら、ここにはない。一日三回の食事と、朝夕の着替えが決まった時間に運ばれる。夜の着替えの時には清拭に使う水と、それを沸かすための魔道具がついてくる。フィスクの方から何か要望があるときは、ベッド近くの壁に掛けられている通信の魔道具で、アロシアに繋がる仕組みだ。


 時間が戻る前、シャイラは主にそれらを運ぶための力仕事を担当していた。何もない待機の間は、なんだかんだと教会内の雑用を頼まれて引き受けることが多かった。他にもアロシアの雑用をこなしたり、伝言のために走り回ったりしていたが、優先される仕事はフィスクの用事だった。


 必要なものを運ぶ時、それからフィスクに呼ばれた時。それ以外でこの部屋を訪れるのは、アロシアだけだった。彼女は時間が空くと塔に来て、フィスクと会話をしているようだった。その時には、シャイラだけでなく他の世話係も追い出されていたから、どんなやり取りをしているのかまでは知らなかった。


 時間が戻った今は、日中のほとんどをシャイラと共にいるフィスク。けれど、それまでフィスクは、一人の時間をどうやって過ごしていたのだろう。



「……おい」



 思考に沈んでいたシャイラは、フィスクからの呼びかけで我に返った。



「あ……、ごめんなさい」



 じっと見下ろされて、慌てて笑顔を作る。



「えっと、お花。何の花がいい?」


「なんでも。……いや」



 ふと何かを思いついたように、フィスクは首を振った。



「お前が育てた花を」


「私が育てた……?」



 思わぬ言葉に戸惑った。風の国で生まれたシャイラは、植物を育てるのが得意という訳ではない。母の影響で花は好きだが、売り物になるほどのものは育てられない。



「お母さんの花の方が、綺麗だけど……」


「そういうのを求めてるんじゃない」



 フィスクの声に、若干の呆れが混じっている気がした。確かに、花を飾りたいと言い出したのはシャイラの方だけれど。



「気が進まないなら、持って来ないよ」



 そもそも花を飾るのが嫌なのかと思えば、それには首を振るフィスク。少しだけ何かを言い淀むように目を伏せて、小さな声で呟いた。



「お前の手が入っていないと、意味がない」


「……ど」



 ういうこと?


 尋ねかけた言葉を飲み込んで、シャイラは「分かった」と頷いた。


 心臓がばたばたと走り回っているのを、遅れて自覚する。フィスクに気付かれたくなくて、さりげなさを装って横を向いた。



「お前の家のオーブンじゃ、マドレーヌを焼くには火力が足りないんじゃないのか」


「う……」



 包みを開き、膨らみの悪いマドレーヌを指さすフィスクの無表情はいつも通りだ。彼の真意を直接問うには、二人の距離はまだ遠かった。

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