2ー2
「良かったです。それじゃあ着替えてもらって、その後に事務所に寄ってもらえますか?」
「わかりました」
伊佐美に今日の更衣室の部屋番を教えてもらった後、福松は左に曲がってひとまずは駐輪場に向かった。すでに大量の自転車やバイクが停めてあり、やはり今日は大がかりな撮影があるんだろうと推測する。頗る気にはなったが、自分も自分で授業初日という気張らなければならない立場であることも自覚する。
自転車を停めると福松は自転車の籠に乱暴に入れていたタオルで首筋を伝う汗をゴシゴシと拭った。
ふうっと一息をつき、授業のために着替えようと更衣室に向かおうとした時。ふと建物の影から出てきた子供に声を掛けられた。
「あ、お兄ちゃんだ」
「民ちゃん。久しぶり」
そこには以前に撮影所に訪れた時と同じ姿の民子がいた。聞くところによると彼女は「座敷童」という妖怪らしい。某アニメに出てくるような妖怪を辛うじて知っているくらいの福松でも聞いた事のあるお化けだ。普段は大道具や小道具を保管している倉庫を寝床にしているらしく荷物の整理を手伝ったり、時たま子役として背景に映りこんだりしているのだそうな。
「今日はこれから撮影?」
「うん! けど子供はいらないかもしれないってドリさんが言ってた」
「そっか。でも出番があったら頑張ってね」
「ありがと…あ」
「え? どうかした?」
「今、柵の向こうを人が通ってた」
そう言われた福松は民子が指さしている方を見た。確かに誰かが撮影所の入り口を目指している。ひょっとしたら時代劇スクールの生徒かもしれない。
「ごめんなさい」
「え、何で謝るのさ」
幼女にしゅんとした顔をされると福松の方が申し訳ない気持ちになってしまう。
「民子、みんなに見えないから外でお話してるとお兄ちゃんが変な人って言われちゃう…」
「ああそうか。普通は見えないんだったね」
「うん。撮影所の人は見えなくても民子のこと知ってるけどお外の人は…」
ドリさん曰く、化生部屋にいる妖怪たちはほとんどが人の眼には映らない。特に民子の場合は相当に霊的な素質が強くないと、姿を見るどころか声を聞くことさえできないらしい。だからこそあの面談の日、民子と挨拶をした福松を強く勧誘したというのだ。
福松は笑って民子に言う。
「大丈夫だよ。向こうも多分気が付いていないだろうし」
「本当?」
「うん。それと今日の授業が終わったらまた化生部屋に行くから、また後で会おうね」
「わかった! 待ってるね」
とりあえず民子に笑顔が戻った事に安心感を覚える。そうしてスタジオの奥に消えてみなくなるまで手を振って見送ってあげた。
気を取り直し更衣室に向かう。撮影所の敷地内には大小様々なスタジオがあり、全体の見通しはとても悪い。以前に簡単に案内されたことがなかったら容易に迷っていたかもしれないと福松は思った。駐輪場から第五スタジオと呼ばれている建物の横を通り抜けると、プレハブ小屋がL字に並んだ場所に辿り着く。更衣室とはこのプレハブ小屋の事だ。聞くところによるとエキストラやボランティアの控室も兼ねているらしい。主演や役付きの控室は別のところにあるという事しか知らなかった。
プレハブ、もとい更衣室に入ると既に一人の男性がいた。年の頃は間もなく二十四歳になる自分よりも若い。下手をすると高校生くらいかもしれない。誰もいないと思い込んでノックもせずに引き戸を開けた事を福松は先に詫びた。
「あ、すみません」
「いえ、大丈夫です。おはようございます」
線が細く華奢な体つきのその少年は既に青い布地に白の唐松模様の入った浴衣を着ていた。肉が足らず着物に着られているような印象だ。多分、彼もスクールの受講者なのだろう。靴を脱いで部屋に上がった福松は荷物を降ろす前に自己紹介をした。
「福松友直です。今日から時代劇スクールに入りますんで、よろしくお願いしますね」
「どうも、一葉累です。よろしくお願いします…あ、着替えるんだったらこっち使うてください」
「ありがとうございます」
そう言って一葉は手荷物ごと部屋の奥へと移動した。部屋の広さはせいぜい四畳半。あと二人も入ってこられたら手狭になってしまう。人が来る前にささっと着替えてしまおうと思った。
持ってきた風呂敷の荷ほどきを始める。そうしていると一葉が福松に向かって聞いてきた。
「福松さんってどこか事務所に入ってはるんですか?」
その質問に福松は鼓動が早くなったのを感じた。如何にも芸能界の一端に加わったかのような気分になり高揚したのと、プロになると決意しておきながら事務所には未だ所属できていない焦りとが原因だ。
「いや、まだフリーなんですよ。去年に勤めていた会社を辞めて役者になったんで」
「マジっすか? 仕事辞めたんですか?」
「そうそう。一回就職したんだけど、大学の時に演劇部に入ってて楽しかったのが忘れられなくて。いっそ本気でプロになろうってね」
一葉がとてもフレンドリーに話をしてくるので、福松はようやく彼に高校生らしさを見た気がした。別段、言う必要はないのでブラック企業に嫌気がさしたという情報は伏せておいた。
「失礼ですけど、おいくつです?」
「まだ、二十三だけど再来月には二十四。一葉くんは?」
「僕はこの春から高三なんすよ。来年に進学するか、がっつりこの道に進もうか迷ってまして」
だからこの時代劇スクールに集ってくる色々な俳優に話を聞いていると一葉は話した。
福松はなんだか彼が羨ましくなってしまった。自分が高三の頃と比べてここまで将来の事を見据えて考えたりはしていなかったからだ。ただ漠然と進学し、何となくで就職をするものだと思っていた。事実、半分はその通りだった気がする。
唯一、高校生の時の自分からみて予想外だったのはここまで役者と言うものに嵌っていた事だろう。役者の面白さに取りつかれている福松にとっては気が付くのは遅かったかもしれないが、気が付かない人生を送るよりはずっとマシにも思えた。
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